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*さて長らく中断していた昔話を再開するのです。ぁそ。どこまで進んだかよく覚えていないので、取敢えず1964年から始めます。この年は「第18回オリンピック」が東京で開催された年で、私がテキストにしている『ザ・20世紀』には↓以下の記述があります。
東京(日本) 【期間】10月10日~10月24日 8月21日、ギリシャで採火式、聖火リレーがスタート。タイのバンコクでカトマンズからの聖火と合流し、那覇に運ばれた。 アジア初のオリンピックとなった東京大会の参加国は大会史上最多の94ヵ国、参加選手・役員は7,495人を数えた。この大会で始めて通信衛星を利用したテレビ実況が行われた。 会場は、 国立霞ヶ丘陸上競技場、 駒沢総合運動場を中心に埼玉、神奈川、千葉、長野の各県にまたがって30会場が新設または改造された。 マラソン折返し点 代々木公園 この大会から柔道が正式競技になった。 陸上100m準決勝でハインズ(米)が、追い風ながら9秒9を記録し、決勝で10秒0のオリンピック新記録を出した。男子マラソンでは、アベベ(エチオピア)が世界記録で前大会に続いて優勝した。 第17回(1960年) ============ *というわけで、当時このオリンピック招致は国家的大プロジェクトということで、これはもう国を挙げての大騒ぎでした。 前年1963年にはケネディ米大統領が暗殺されるというショッキングな出来事があり、この事件の真相を巡っては今なお諸説が入り混じり飛び交っています。真相は藪の中です。アメリカは大統領がしばしば暗殺される国なのですね。 当時私たち中学生に「尊敬する政治家は?」と問えば十中八九は「ケネディ大統領!」と即答したものですが、私たちは別にアメリカの政治やケネディ大統領の政策に詳しかったわけではありません。 ところでオリンピックの入場券・一般競技の観覧券は、私たちの学校も抽選に当たって何枚か(?)回されて来たのです。がしかしここに問題があって、多分「数」そのものは全校生徒分あったと思われますが、その中には本場・国立競技場の分や当時エクシビジョンに過ぎなかった日米学生野球(於・神宮球場)の分が混在していたのですね。 今でこそ北京では野球が(最後の?)正式競技種目になっていますが、あーた、40年前にはオリンピックに関しては野球なんてお呼びじゃなかったんですよ。誰だってオリンピックを見るなら正式種目を見たいに決まっている。「オリンピックを直に見られるなんて一生に一度のことだ!」と大人も子供もみんな舞い上がって翼をバタバタさせていたんですからね。ぁそ。 それで私の学校ではこれをどう調整するかで先生方が頭を悩ませ、結局全校生徒が一人一票ずつを、体育館で投票することになったのです。(いやしかし、私の記憶には今三年生のことしか蘇って来ないから、オリンピックに行けたのは三年生全員とかの一部の生徒に限られていたのかも知れない。) そこで、投票は「クラス別対抗」。「当り」を沢山引いたクラスが順次人気のある良い番組を観戦出来る決まりでした。箱から宝くじ(?)を引き出すシステムだったから誰が当りを引いたかは誰にもわからない。「恨みっこなし」というわけで、今考えてもなかなか良く考えられた抽選方法でしたね。 結果、私のクラスは大外れ。あちゃ。 [思い出すこと。]カテゴリの最新記事
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