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2011.03.27
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生き物が「生きている」ためにはすべからく、低分子有機化合物であるアミノ酸をしかるべき順序で組み立てて、タンパク質を作りださなければならない。
「でたらめ」に並べられた材料を、意味のある排列に並べなおし、「エントロピー増大則」に抗して、「秩序」、「情報」を生みだすには、その身体の「外部」からエネルギーの供給を受けることがぜひとも必要であることが知られている。
緑色植物を除くすべての生命は、これを、「外部」から取り入れた化合物の化学結合、共有結合が蓄えるエネルギーを解き放つことによって行っている。
ということは、誰・か・が、そのようにすでに高エネルギーを蓄えた化合物を作らなければならないのだが、それがで・き・る・のは、ひとえに、ただ、緑色植物のみなのであって、では、緑色植物はそのエネルギーをどこから得たのか?、と言えば、
地球そのものの「外部」、太陽光しかあり得ない。
樹上生活を諦めて、生得の武器となる牙や爪も持たないままに、肉食動物化しなければならなかった、「我々の」祖先は、直立二足歩行によ・っ・て・、また、幼形成熟によ・っ・て・、極端に重たい頭脳を持つことができたから、「外部」からのエネルギーの獲得においても、「道具」を用いてさまざまな「間接性」を持ちこんだけれども、依然として、緑色植物が作りだした有機化合物、およびそれが他の動物の身体に取り込まれて形を変えた有機化合物、つまり「化石燃料」を掘り起こす以外の方法を、「発明」することはできなかった。前の世紀の前半、「生き物」の全歴史の中では、ごくごく「最近」と言えるほんの百年ほど前までは・・・。


これが、「夢にまで見た」(!)、リュウキュウアイ(キツネノマゴ科)、たどり着くまでに「疲弊」して、「感動」も、よくわからなくなったが・・・。

ではその地球上に「生き物」などというものが発生するはるか以前から、きっと「生き物」のすべてが滅んだ後に至るまで、変わらず膨大なエネルギーを放出し続けている太陽光のエネルギーはといえば、
化学結合、つまり、「原子」と「原子」を結合しているエネルギー、とは異なり、「桁はずれ」に大きな、原子核を構成する「核子」と「核子」を結合しているエネルギーに由来する。
前世紀の初頭にアインシュタイン氏が定式化した「E=mc^2」は、「質量とエネルギーの等価性」を示しているといわれる。質量mを持っていることがそのまま、そこに「光の速度」cの二乗を乗じた値のエネルギーに変換し得る(!)、ということだ。
私たちの「日常生活」上は、そんな、質量がエネルギーに「化けて」しまうようなとんでもないことを目撃することはありえず、安んじて「質量保存則」を適用できるのは、私たたちが通常扱うエネルギーの大きさが、「E=mc^2」が問題にする世界では、あまりに取るにたりないからなのだろう。
どのくらい、「取るに足りない」か?、どのくらい「桁はずれ」か?、というと、・・・、


「新種」発見♪、これが方言名「てかち」、柳宗悦「手仕事の日本」にも出てきた、その樹皮から黄色の染料をとる、オキナワシャリンバイ(バラ科)。

たとえば水素の原子核を構成する「陽子」一個に、「中性子」一個を「くっつけ」(!)ると「重陽子」なるものになるそうなのだが、
その際、反応前の「陽子」、「中性子」の質量は、それぞれ1.0073、1.0087「原子質量単位」、合計、2.0160「原子質量単位」、であったのに、反応後の「重陽子」の質量は、2.0136「原子質量単位」と、0.0024、減っている(!)のであった。
「原子質量単位」というのは、「陽子」、「中性子」という「核子」一個分の質量が約1になるように設計されたもので、「陽子」6個、「中性子」6個合計12個の「核子」で出来た、どこにでもある、あなたの身体の中にも山ほどある普通の炭素原子の質量の12分の1を基準にしている。ということは、同じく質量数12の炭素がいくつ集まればちょうど12グラムとなるか?、という問いの答えが「アボガドロ数」6.02×10^23であるから、
1「原子質量単位」は、12÷(6.02×10^23)÷12、ということで、1.66×10^(-24)グラム、1.66×10^(-27)キログラム、
この反応に伴って「消えた」質量(「質量欠損」と申す)が、エネルギーとして取り出されるとき、それが「E=mc^2」によって計算できる、わけなのだった。したがって一個の「重陽子」の蓄える「核子」間の結合エネルギーは、「光の速度」、毎秒3.0×10^8メートルを二回かけて、
0.0024×1.66×10^(-27)×{3.0×10^8}^2=0.036×10^(-11)=3.6×10^(-13)ジュール、・・・、
これに対して、たとえばどんな有機化合物にも、水分子にもある、ありふれたO-H、酸素原子と水素原子間の共有結合は、462.8kJ/mol、ということだから、これはあくまでも1モル、つまり「アボガドロ数個」の集団についての値だから、比較のためにたった一対の「酸素―水素結合」を取り出すと、
462.8×10^3÷(6.02×10^23)=76.8×10^(-20)=7.68×10^(-19)ジュール、となるわけだ。
6桁異なる、小数点以下に並ぶゼロの個数が、6個異なる、百万倍、・・・、どう言いなおしても、同じだ。ただただ、と・て・つ・も・な・く・、違う、としか言いようがない。


リュウキュウウラナミジャノメ(タテハチョウ科)、だったかな?、林の中などの日陰でよく見かける。羽を広げて表の面が見えるのは、珍しい。

予想されたことだが、「○○さん!、あなた物理の先生なんでしょ?、ちょっと、△△『ベクレル』とかって、どうなの?、大丈夫なの?」・・・
何度も言っているが、私は大学でまともに物理学など「専攻」したこともないくせに、諸般の事情からや・む・な・く・、恐る恐る、だましだまし、人様に「教え」るなどという大それたことをしている「イカサマ」の、「バッタもん」の物理講師であって、
上に「得意そう」に述べたことなんか、高校の教科書にでも書いてある事柄に過ぎず、だから、そんな「質問」に「お答え」できるわけがない。
ただ、もう一つ言い訳がましく付け加えさせてもらうと、・・・、そんな「質問」には、誰・に・も・、答えることができない、ことも、一応、知っている。


「やんばる」の山間に入ると、こうして、道路上にも降り立ってくるハシブトガラス(カラス科)。やはり「賢い」鳥なのか、カメラを向けると、すぐ、「それ」に、気付く。

太陽の・み・に許された「E=mc^2」の力が、地上に持ち込まれてから、わずか半世紀あまり、・・・、そう、ギリシャ神話のプロメティウスは、「天上の火」を盗んだ廉で罰せられたのだろう?、・・・、
私たちの身体が利用可能な形態との間に、6桁程度もの隔たりを持ったその「恐るべき」力が、私たちの身体そのものに、「行使」された機会を、「故意」に基づくものと「過失」に基づくものを含めて、「人類」は、わずか数回しか経験していないのだ。
人間が人間について「知る」ことができないのは、「自己言及パラドックス」のゆえばかりではなく、たとえばキイロショウジョウバエに対してしたように、X線を照射して突然変異を誘発する、といった実験を行うことが、「人倫」の問題以前に、観測者と観測対象の生命の持続時間が同じスケールである「原理的」な問題に基づいて、不可能であることによる。


「新種」発見♪、アカボシタツナミソウ(シソ科)。なるほど、同じ科のホトケノザ、にも似ている。林の中に咲く。花の色にはかなり「個体差」があるようだ。

もっとも、その「質問」は、文字通り「大丈夫であるか否か?」の「情報」を欲して、発せられたわけでは、ないだろう。
猫が、他の猫の頭が目の前にあると「思わず」なめてしまうみたいに、・・・、「転位的毛づくろい行動」を通じて、敵対性を緩和し、親密さを確認する、・・・、「擬人的(anthropomorphic)」に言うのならば(!)、私たちの「会話」のほとんどは、そのように成り立っている。
電車の中でA、B、Cの3人が楽しそうに談笑している。駅に到着して、Cがにこやかにあいさつして下車し去るや否や、A、BはCの「悪口」(!)で盛り上がり始める、などということはしばしばあることだ。非難しているわけじゃない。
「第三項排除」って言うんだっけ?、共通の「他者」を引き合いにして、自分たちがひたすら、「そうではない」ことのみを確認することを通じてしか、私たちは「共感」することができない、かもしれないのだ・・・。


「やんばる」の干潟の、アオサギ(サギ科)。なるほど、「過眼線=アイライン」・屈折率・問題、がよくわかる。

せっかく「会話」に交ぜて下さろうと声をかけて下さったのに、木で鼻をくくったみたいに「いえ、私にはわかりません!」などと取り付く島もない答え方をしてしまうから、またしても「協調性」を欠いた落後者の烙印を押されてしまうのだが、それはもういい。
困難の中にあるだろう「見知らぬ」人々を「他者」に追いやって、「安全」を喜び合うことに、根拠のない「自責」を感じるのもまた、私の「病」の一態様に過ぎないのだろうから。
一六年前のあのときもまた、「人々」は、たとえば「活断層」などについて、熱・心・に・語り合ったものだった。半ば「逃げ出すように」神戸に向かったのは、ただひたすら、そんな「会話」を、聞きたくなかったからかもしれない。

一番上の写真は、・・・、そう、また、「やんばる(山原)」に出かけてきたのだ。群生するシマアザミ(キク科)、と、海。





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Last updated  2011.04.03 00:21:25



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