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2008.05.04
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カテゴリ:Movie
<きのうから続く>
『美女と野獣』(ジャン・コクトー監督)は戦後日本で初めて公開されたフランス映画。当時の日本人に与えたカルチャーショックは大きかった。まさしくフランス映画にしかない美と気品。淀川長治は、「よくわからないままに、フランスワインに酔うようにコクトーの世界に酔った」と話している。

のちの世界中のファンタスティック映画に、計り知れない影響を与えた不朽の名作だが、個人的体験でいえば、15~6歳のころ初めて見て、そのときは作品の素晴らしさがさっぱり理解できなかった。20歳を超えた人はみなオジサン・オバサンに見える年頃だったせいもある。この映画の価値がわかったのはオトナになってからだ。子供のころにはわからなかった良さが大人になるとわかる。それも人生の楽しさだろう。




この映画をコクトーが構想したのはパリ解放直前の1944年1月。実はその前にコクトーは『双頭の鷲』を脱稿していた。ところが、この『双頭の鷲』、できあがってもまだタイトルが決まっていなかった。コクトーは最初この物語に『美女と野獣』というタイトルをつけようとする。それを聞いたジャン・マレー(ジャノ)が、
「ジャン、それはダメだよ。むしろ『美女と野獣』という名前で別の話を書いて」
と言ったのだ。

そこでコクトーはボーモン夫人の同名のこのおとぎ話を読む。原作に感銘を受けたコクトーは、日記に「素晴らしい物語。読めば読むほど映画のアイディアがひたすら雲のように沸いてくる」と書き、映画化を進めようと決心した。

ちょうどマレーがアンドロマック上演でごたごたしていたころだ。コクトーは『悲恋(永劫回帰)』のプロデューサー、ポールヴェに企画を話す。コクトー脚本の『悲恋(永劫回帰)』が大当たりをとってホクホクのポールヴェは、「やりましょう、やりましょう」とコクトーをプッシュ。コクトーの条件は自分が監督をするということだった。ドラノワ監督の『悲恋(永劫回帰)』を見たコクトーは、脚本執筆中に自分の描いていたイメージと実際の映像との齟齬がどうしても気になったのだ。「ジャノをキャスティングした映画を自ら書き、自ら撮る」――それがコクトーの夢になった。

ところが、コクトーが台本を書き始めると、ポールヴェがなんだかんだと横槍を入れ始める。
「ジャン、実は社の重役会議でさ、君が監督をやりたいって話が問題視されちゃってね。君に脚本を書いてもらうのはもちろんとしても、監督は別の人間にやらせてはどうかな?」
「いや、これに関しては監督は他人には譲れない。ぼくは自分で撮るつもりだよ」
「君は確かに偉大な詩人だよ。ただね、映画の監督となるとまた別だろう。餅は餅屋にまかせてはどうかな」
「ぼくはもう『詩人の血』を撮っているよ」
「あれは芸術作品だろう? ジャノを使うとなったら、興行のことも考えないと。難しいアートじゃ、ジャノのファンはついてこないだろう」
「『美女と野獣』はおとぎ話だよ。徹頭徹尾おとぎ話として書くつもり。監督もぼく自身がやる」
「そんなに監督にこだわるのか?」
「こだわるさ。最後までこだわる。これに関しては譲れないよ」
「だけど、君がそう言い張ると、企画そのものが流れるかもしれない」
「頼む。他のみんなを説得してみてくれ。もし、君の会社で作ってくれないとなると、ぼくは他をあたるしかなくなる」
実はポールヴェの当時の会社ディシナ社は別監督を用意していた。今では想像しにくい話だが、コクトーの映画監督としての力量は信頼されていなかったのだ。

そこでコクトーは別のゴーモン社と接触し、映画化の約束と支援をとりつけた。3月の終わりに脚本が出来上がる。脱稿したときの気持ちをコクトーは、「おとぎ話の初々しさを徹頭徹尾保てたのできわめて誇らしい気分。素敵なトリックをいろいろ考えつく。まったく単純だが、眼を見張る効果を発揮するだろう。語るのは最低限に抑えているが、筋は明快だし、展開も速やかだ」と日記に晴れやかに書いている。

美術担当は、コクトーの親友クリスチャン・ベラール(通称ベベ)。マレーとコクトーが出会ったころ、よくコクトーのホテルに遊びに来て、コクトーと即興芝居を演じ、マレーを爆笑させていた美術家だ(3月26日のエントリー参照)。ベラールはコクトーの映画にはなくてはならない存在だった。生きた腕を蝋燭立てに使うなどのアイディアは、ベラールが考えたもの。ベラールについてコクトーは「お金をかけずに、至上の豪華さを表現できる。これは、まさに精神の豪華さ」と厚い信頼を寄せていた。

ベラールは『オルフェ』(1949年)の撮影直前に亡くなるが、これがコクトーには取り返しのつかない痛手となる。同時期に撮影した『恐るべき子供たち』の時代設定が現代に変更されたのも、1920年代の雰囲気を再現できる美術家ベラールがいなくなったためだ。『オルフェ』が大ヒットししたにもかかわらず、それ以降、遺作となる『オルフェの遺言』までコクトーが映画らしい映画を撮らなくなったのはベラールを失ったことが非常に大きいということを、コクトー自身が認めている。

1944年4月にいったんゴーモン社と契約にこぎつけたものの、その後のパリ解放にともなう混乱で話が進まなくなる。1つにはコクトーの対独協力への疑惑がゴーモン社の中で指摘されたという話もある。

1944年9月にマレーが戦場に発ったあと、コクトーはベラールとともに映画の装置作りに励んでいる。物価が急激に上昇し、装置は簡素化を迫られていたが、コクトーもベラールも工夫をするのを楽しんでいた。「フェルメールの雰囲気の素敵なセットになりそうだ」とコクトーは戦地のマレーに書き送っている。

フェルメールの雰囲気!?

確かに、言われてみればそうだ。ヒロインのベルの家の市松模様の床や、シャンデリアの形。それにベルはフェルメールの有名な画の少女のようにターバンを巻いていたっけ。↓

http://www.youtube.com/watch?v=DaG3zns3fqA&feature=related

『美女と野獣』が具体化するにつれ、コクトーにとっての大問題は、「ジャノをどうやって呼び戻すか」ということになってきた。映画撮影のために休暇を取ることなど、もちろんできない。そもそも休暇そのものがなかなか認めてもらえなかった。マレーは困惑し、「戦争が長引くようなら、別の俳優をキャスティングして撮ってくれてもいい」とコクトーに書き送り、コクトーが、「何を言っているんだ、ぼくのジャノ。あれは君のために書いたものだし、そもそも君以外に野獣をやれる俳優はいない。君のような眼が備わっているのは君しかいない。野獣の孤独と誇り高さを演じられるのも君しかいない」と返している。

そんなとき、「どうやら結婚すれば、休暇がもらえるらしい」という話が関係者の耳に入ってくる。

<続く>











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最終更新日  2008.06.01 18:18:43



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