|
カテゴリ:Travel(タイ)
バンコクの街中でわりとポピュラーに見る風景がこれ。
しかしキミ、そこはエレベータの前では? すごいな~、ここまで大胆に道端で寝てる犬は、イタリアのパレルモ駅(シチリアね)で見た犬以来。パレルモの犬も駅前の雑踏の中で何の心配もなさげに寝ていた。 お犬様まで微笑んでいるよう。さすが「微笑みの国、タイ」だけのことはある。日本の犬より幸せそうに見えるのは気のせい? 王宮のすぐそばのワットポーにあるのは、もちろんこの巨大仏。なんか、だらけているようにしか見えないんですが…… 足のほうから撮ってみる。とにかく、デカい。ほかになんともいいようがない。すっかりボキャブラリーを失うMizumizu。 ワットポーからトゥクトゥクに乗って50バーツでちょい離れたワットスタットに向かう。値段から考えれば絶対に公共のメータータクシーのが安かったと思う。 ワットスタットに近づいたところで、 「待ってましょう」 などとトゥクトゥク親父が言うので、間髪入れず、 「必要ない。高いもの」 と言い捨てる。あはは…… と気弱そうに笑う親父。いまさらいい人に思ってもらおうったって無理さ、でも基本的に根性曲がったスレッカラシではないよう。シチリアのタクシー運ちゃんよりは素朴だね、さすがアジア人。 ワットスタットで50バーツきっちりわたし、 「ありがとう。よい一日を」 と言ってさっさと降りる。 観光客に占領されたエメラルド寺院やワットポーと違って、ワットスタットは地元民のための祈りの空間だった。タイの人々の信仰の篤さは感動的。一応日本も仏教国だとは思うけれど、すでに一般人はほとんど信仰を放棄している。それで日本人は幸せなのか不幸なのか? タイ人には地理的にはより近い中国人や韓国人にはない日本人との共通点があると思うだけに、複雑な気分になる。 しかし、この仏陀の並んだ回廊で、ごろごろ寝てる人がいるのには驚く。多くは浮浪者のようだが、旅人もいる。これはアリみたいだ。お坊さんも不快そうな顔をするでもなく通りすぎていく。寛大だなぁ。 これまで見たタイの仏陀の中では、ワットスタットのご本尊様の「姿」が一番よかった。つまり使ってる材料が高価ということではなく、仏師の腕というのか、造形美に目を惹くものがあったということ。日本人にとっては、素材そのものよりも、仏像の「姿」の美しさが非常に重要だと思うのだが、タイでは素材が仏像の価値のなかで大きな位置を占めているように思った。 考えてみれば、日本のたとえば、正倉院の宝物なんて、紙だとか木だとかガラスだとか貝だとかでできていて、素材そのものの価値なんてたかがしれている。だがそれらの造形の美しさ、つまりは職人の技術の確かさ、そして保存状態のよさで「宝物」としての価値を保ち続けている。どうして保存状態がよいかといえば、それはひとえに天皇へ献上されたものだから。 だが、こういう意識はむしろ例外であって、普通ある国のある権力の権威を示す「宝物」といったら、世にも珍しい巨大な宝石を使った冠だとか指輪だとか、素材そのものの珍しさと高価さに重きをおいているものが多い。だから、仏陀の価値は仏師の腕より素材にあると考えても何も不思議ではない。エメラルド仏にそれほどありがたみを感じない日本人のほうが例外的なのかもしれない。 追記:ワットポーのその他の仏像については2008年8月5日のエントリー参照。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.08.05 18:56:00
[Travel(タイ)] カテゴリの最新記事
|