|
カテゴリ:Movie
<きのうから続く>
1953年、マレーは映画『上級生の寝室』に出演し、そこで端役だったジャンヌ・モローに出会う。小さな役だったにもかかわらず、その卓越した才能と個性的な美貌はたちまちマレーの心をとらえた。イヴォンヌ・ド・ブレ以来の衝撃と言ってよかった。映画だけではなく、モローには舞台の経験もあった。 『上級生の寝室』のジャン・マレーとジャンヌ・モロー ちょうど、マレーのところにはブッフ・パリジャン座という劇場の支配人から芸術監督にならないかという誘いが来ていた。役者だけでなく、芸術監督となれば自分以外の若い才能を育てる必要があった。さっそくマレーはモローに声をかける。 「君の舞台に賭ける夢は何?」 「バーナード・ショーの『ピグマリオン』を演じることです」 『ピグマリオン』はオードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』の原作戯曲。貧しい花売り娘のイライザがヒギンズ教授と出会い、レディへ変身するという一種のシンデレラ・ストーリーだ。 「今、ブッフ座から運営協力を頼まれてる。ぼくと舞台に立ってくれないか? 君の夢をかなえるから」 「本当ですか!」 モローは目を輝かせた。 「でも、1つ条件がある」 「条件?」 「ぼくにはバーナード・ショーはあまり馴染みがない。いきなり『ピグマリオン』ではなくて、ジャン・コクトーの芝居から始めたいんだよ。縁起を担ぐ意味でもね。『ピグマリオン』はその次でかまわないかな」 「もちろんです。私、ジャン・コクトーは大好きです。何をやるつもりなんですか?」 「ちょうど『地獄の機械』の巡業の話が別の興行主から来てる。巡業のあとブッフ座にかけたいと思ってるんだ」 「私の役は?」 「スフィンクス」 「やります。是非やらせてください」 『上級生の寝室』のあと、『ジュリエッタ』の出演依頼がマレーに来る。『ジュリエッタ』はコメディーで、マレーはその原作の小説が好きだった。だが、例によって台本を読んで、出演辞退を監督のマルク・アレグレに申し入れた。当然、アレグレは理由を尋ねた。 そこで、マレーは原作の一部を大声で朗読してみせた。監督も含めて居合わせたスタッフ全員が爆笑した。 「これが理由なんですよ。原作のおもしろい箇所がシナリオでは全部消されちゃってる」 アレグレはスタッフと顔を見合わせた。 「もし脚本を書き直したら、出てくれるかい?」 「原作のおもしろさが生かされる台本なら、出ますよ」 「別の脚本家を知ってるかい?」 「ぼくが?」 「原作を生かして書いてくれるような人をさ」 「……考えてみますよ」 こういうときにマレーが相談するのは、当然コクトー。コクトーはマレーからの電話にはずんだ声で出た。 「やあ、ジャノ。ブッフ座から電報が来たよ。君を芸術監督にするそうだね。あそこはいい時代に作られた、いい小屋だよ。パレロワイヤルにも近いし、様式的にどんなものでもかけられる。ドラマでもオペレッタでもね。君があそこで自由に活躍できるなんて、夢みたいだ」 「うん、ジャン。でも今日電話したのは、別の話なんだ」 「別の話?」 「次の映画なんだけど、ルイーズ・ド・ヴィルモランの『ジュリエッタ』に出たいと思ってる。でも脚本が悪くて、コメディなのに全然おもしろくないのさ。原作を引っかきまわしすぎてるんだ。監督に話したら、書き直しさせるから脚本家を紹介してくれないかって。誰か適任者を推薦してくれないか」 実はヴィルモランは、コクトーがマレーに会う前、結婚をほのめかすほど一方的に惚れこんだ美貌の女流作家だった。ヴィルモランはコクトーの求愛をうまく友情にはぐらかし、その後も交流は続いていた。だが、それよりも、コメディというのが、今のコクトーには引っかかった。 「ぼくのジャノ、君はコメディ・フランセーズで並ぶもののない悲劇役者として大成功をおさめたばっかりじゃないか。それなのに、今度は喜劇をやるのか? それは君にふさわしい役なのか」 「原作が好きなんだよ。飛行機で読んでたんだけど、1人で爆笑してしまって、周りがビックリしていた。今度は軽いコメディで観客を笑わせたい」 「しかし、『地獄の機械』の巡業もあるんだろう」 「うん」 「それにブッフ座の芸術監督。そんなに映画と舞台をかけもちして大丈夫なのか」 「まあ、確かにきついはきついけど、ブッフ座での初仕事は君の『地獄の機械』にするつもりだし、映画のほうは『ジュリエッタ』を撮ったらしばらくはやらないよ。ブッフ座に集中したいからね」 「ぼくの芝居をかけてくれるのか!」 大喜びするコクトー。2人の会話はしばらく、コクトー戯曲の再演の夢で盛り上がった。 最後にコクトーが言った。 「脚本家のことだけど、ロジェ・ヴァディムがいいんじゃないか。彼ならアレグレの友人だから気心も知れているだろう。全然知らない人間に書かせるよりやりやすいだろうし、ヴァディムは有能だよ」 話はとんとん拍子にまとまり、ヴァディムが『ジュリエッタ』の脚本を書き直した。マレーは監督にジャンヌ・モローを推薦し、出演させることで話をまとめた。だが、肝心の「純粋であると同時にセクシーな15歳の少女」ジュリエッタがいなかった。 「そのイメージにぴったりなコ、『マッチ』誌の表紙で見たよ」 マレーから話を聞かされたジョルジュが言った。 「名前、憶えているか?」 「いや、残念ながら……」 ところが、2人がリドに出かけた日、ジョルジュが別のテーブルにいる少女を見て驚きの声をあげた。 「ジャン、あのコだよ。マッチ誌のモデル」 確かに、抜群のスタイルが際立つ、ジュリエッタにぴったりの若くてセクシーなブロンドの美少女だった。ショーにはヴァディムも来ていた。さっそくマレーはヴァディムのもとに駆け寄った。 「見ろよ、ジュリエッタがあそこにいる!」 すると、興奮気味のマレーにヴァディムは驚くべき告白をする。 「彼女、ぼくの奥さんだよ」 「はあ?」 どう見ても、彼女はまだ17、8だった。 「ブリジットというんだ」 「ジュリエッタ役を探しまわってるのは知ってるだろ? あんなに打ってつけの女性をよく知ってて言わなかったってわけ」 「おいおい、何言ってんの。ぼくの女房だって。どっちにしろもう遅いよ。マルク(=監督)は今日の午後、ロバンと契約したよ」 マレーは期待をこめて監督のアレグレにヴァディムの妻の話をした。だが、残念ながら『ジュリエッタ』には遅すぎた。 アレグレは次の作品でこのヴァディムの幼な妻と契約する。それが誰あろう、フランスのセックス・シンボルとして一世を風靡することになる「ブリジット・バルドー」。 ちなみに、夫のヴァディムはその後脚本家から監督に転身し、バルドーと離婚後、カトリーヌ・ドヌーブ、ジェーン・フォンダなどの美人女優と次々に浮名を流していく。 マレーのほうは、『ジュリエッタ』を撮った翌年初め、『地獄の機械』の巡業に出た。もともとはコクトーが、「君こそぼくのオイディプス」と口説いてジャン・ピエール・オーモンに主役を与えた『地獄の機械』だったが、途中からほとんどジャン・マレーのための戯曲になってしまった。この作品をマレーが好んだのには理由がある。 『地獄の機械』はオイディプスとイオカステの物語。母と知らずにイオカステを妻としたオイディプスは、その呪われた事実を知ったとき、先に首を吊って自殺したイオカステのブローチで自らの目を突き刺し、放浪の旅に出る。するとイオカステの亡霊が、オイディプスの魂の救済に死の世界から戻ってくる…… ジャン・コクトーと出会うまで、母が唯一絶対の崇拝の対象だったマレーにとって、母を妻としたオイディプスの悲劇は、もう1つの自分の物語のようでもあり、非常に入りやすい役だったのだ。 コクトーも途中から、オーモンをわざわざホテルに呼び出して口説いた(とオーモンは自伝で言っている)いきさつなどすっかりナイナイにし、「『機械』は君のものです。あれの命運を決めるのも君です」とマレーへの手紙ですべてを委ねている。 大当たりを取ったラシーヌ作『ブリタニキュス』のネロン役も、母后アグリッピーヌとの愛憎劇が大きなウエイトを占める。コクトーと知り合ってから、マレーと母との異常なまでに緊密な関係は崩れ、マレーは明らかに狂気じみた母との関係に苦悩するようになる。こうした実生活での経験が『ブリタニキュス』での役づくりに生かされていたことは間違いない。 1954年2月、『地獄の機械』の巡業でパリを離れていたマレーのもとに、信じられない知らせが届く。 イヴォンヌ・ド・ブレ急死――ジャン・ジロドゥの戯曲出演中に、突然起こった悲劇だった。 「私は愕然とし、烈しい悲しみに襲われた。これほどの苦痛とは思いもよらぬ悲しさだった。それほど、イヴォンヌを愛していたとは自分でもまったく気づかなかった」(ジャン・マレー自伝より) マレーは巡業を中止し、パリのド・ブレのもとに戻りたかった。だが周囲に反対され、公演を続けざるをえなかった。「イヴォンヌは君が仕事を続けることを望んでいる」というのだ。思うにまかせないマレーのために、葬儀にはコクトーが2人の名で参列し、「ジャノに代わってイヴォンヌに」という詩を捧げている。 ジャン・マレーとイヴォンヌ・ド・ブレ、それにマレーの実母をめぐるエピソードについては、4月13日のエントリー参照のこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.05 08:19:16
[Movie] カテゴリの最新記事
|