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月のひかり★の部屋

月のひかり★の部屋

四季折々の私の短歌

四季折々の私の短歌



他愛なきわが哀しみよ人あまた行き交ふ春の陸橋の上


 子供達が次第に成長して行く中で,私は自分自身の生きかたに疑問を感じ,一体何を指針にどう生きれば良いのか判らなくなっていました.答えの見つからないまま日々を送っていましたが,上の歌が思いがけず新聞の文芸欄に掲載された時は少し明るい気持になりました.

     われの歯を削る歯医者の本当のマスクの下の顔は知らない

     生きるとは規律を守ることなのかもしれぬと思ふ雑踏のなか
 
人々の中で迷い続け,毎日の生活に疲れを感じながらも,短歌が自分から生まれて来る時,心には安らぎがありました.

      笑ひ袋笑ってゐたり地下道を曲がりくねって玩具屋の隅

世の中の矛盾にやりきれない疑問や反発を抱きながら,実は私自身の心の奥深い処にも笑い袋の笑い声と同じようなふとどきな白けた笑い声が始終鳴り響いていることをよく知っていました.

     「知らない」と言ひしペテロに似たるわれ雑踏に紛れて地下道を行く
 
 自分自身に行き詰まりを感じた私は子育てにも当然行き詰まりを感じ,神に救いを求めましたが,渾沌とした流れに流されるまま何はともあれ,日々の暮らしを続けていました.

      誰からも音沙汰の無き夏の午後風のめくりしヨハネの章読む

相変わらず孤独を続けていた私は家事の合間には聖書を読むようになりました.

      幾重にも被れる皮を剥がしつつ筍はわれに似ていると思ふ

     顔半分朝日浴びつつ厨にて今日一日の安らぎ祈る

 今まで他を批判することばかり多かった私でしたが,それでは自分自身は一体どうなのかと考えるようになり,初めて「祈り」というものを学びました.

      木のごとく静かに佇ちて祈りたし紅葉明るき森巡る朝      
    
     雪雨に変わりなほ降る冬なんて嫌ひと言はずヨハネ伝読む
 
 祈り始めた私は自分自身でさえ自分をどうすることも出来ない存在であることを知って,初めて神に全てを委ねようと決心しました.

     哀しみは哀しみのままに美しく口の欠けたる古き壷あり

     執はれぬ心のままに在りたしと或る日野に佇ち飛ぶ鳥を見る
      
    風吹かば吹かるるままに靡く草良き生きざまと思ふ朝明け

 次第に気持が楽になり,人も自分自身も神が居られるならば「有りのまま」で良いのだと思えるようになりました.本当の「自由」とは,もしかするとこれなのかもしれないと感じました.

   本当は何もわからぬままなれど桜吹雪に微笑して佇つ

 恩師の安田章生先生が逝去された後,暫く呆然としていてあまり短歌を詠めない状態でしたが,誰かが誘ってくれて今度は大津雅春先生の鳴風短歌に参加するようになり毎月一回の歌会にはよく出席しました.
   
    金雀児の黄に輝ける花の下明日に向ひて歩むわれ在り
 
    美しき過ぎゆきのそばに佇つごとし晴れやかな朝の薄紅桜 
自分自身をさえ愛せなくして,人はいったい他の誰を愛することが出来るでしょうか.
神が私を愛して下さっているということを知った喜びから本当の生きる勇気が生まれ,消極的人生が次第に積極的人生に変化して行った時に,私も初めて自分自身を愛することが出来るようになったのだと思います.
  
    猫ジャラシ数本切りて瓶に挿し何事も無く夏の日は過ぐ 

    しろがねの羽光らせて飛ぶ蜻蛉けふの出会ひの良きもの一つ
   
    不従順を繰り返すのみの長き冬十字架の血色に似し椿咲く
 
今までは何かにつけて心に余裕が無く,ぎすぎすとするばかりの私でしたが,次第に周囲の人や物に対して親しみを感じ始め,無理無く有るがままを受け入れることが出来るようになりました.
                                
   午前九時今朝も庭掃く平凡は幸せなれど少し退屈 

   着実に蜘蛛の糸編む朝の庭われ干し終へし干し物白し

夫が単身赴任となり留守がちになったので,私は二人の子供達と共に何とか毎日しっかり生活していかなければならなくなりましたが,その事は今から思うと自分にとっては良い結果になったのだと思います。人は追い詰められた時に本当の力が湧いてくるのかもしれないと思います。主人の有り難さも離れてみてよく判りました。
  
   空見上げ雲雀ゆび指す夫なれど兄とも思ふ兄の無きわれ

   扁平足と言はれし足を投げ出して芝生に寝転ぶ空に抱かれて  

余裕のない心のままに,思いがけず学習塾で国語を教えさせて頂けるようになり,妻,母親以外に家の外にも仕事が持てるようになってからは社会との繋がりも少し持てたように感じました。いきいきとした個性豊かな中,高生の人達との個別の勉強の時間は何にも増して楽しく,自分にとってかけがえのないひと時でした。

    捉えんとすれば逃げゆく絮胞子ある少年の心にも似て

   「思ふな」と言ふ戒めも破らるる焦げさうに紅き夏の夕空

   「夏雲よ,ちょっと待って!」と呼びかける追はるることも追ふこともなく

   黒揚羽ふわり漂ひ哀しみの兆しのごときよろこび一つ

   「久々に逢ひたく存じ候ふ」と書いてゐさふな木の葉一枚

色んな生徒達との交流は,女子ばかりの私学に10年間も通っていた私にとってはとても新鮮で,日々が貴重な体験の連続だったと言えます。生徒との国語の勉強は私自身の国語力をも次第に向上させてくれるものとなり,やがて高校受験,大学受験の国語も担当させて貰えるようになりました。
そして,この頃から「短歌」以外に「小説」というものを是非とも書いてみたい・・という少女時代からの憧れを本気で考えるようになりました。原稿用紙に向かって,とりとめもなく散文を綴る日が続きましたが,発表するところも見当たらないまま,所詮は儚い夢なのか・・と溜息をつくばかりでした。しかし,夢は決して消えることがなく,いつまでも心の中にくすぶり続けて,ついには苦悩にまで成長してしまったのでした。
次第に短歌からは遠ざかり,一首も作らない状態が何年も続きました。
或る時,パソコンのインターネットでホームページと言うものがあるということを知り,知識の無いまま苦労の末,自分のホームページを持てたことがきっかけとなり,そこに始めて自分の書いた短篇小説を載せることが出来るようになったのです。
その嬉しさに,短歌もまた作り始めた次第です。

   水無月の森の泉の水鏡妖精となりしわが顔写る

  誰が為もなく我が為にさくら草買いに行くなり雪降る町に


  (このホームページの文章,短歌などの内容の無断転載を禁じます。)




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