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月のひかり★の部屋

月のひかり★の部屋

小説4 幻想即興曲(1)

幻想即興曲  2003.7.03.5.21


               
(1)

 
 窓を開けると,さわやかな風に乗ってどこからかショパンの幻想即興曲が流れて来る.いったい誰が弾いているのか・・揺れ動くハナミズキの青い葉蔭の窓辺に佇んだまま私はじっと美しいピアノの調べに耳を傾けている.
 あれが愛なのか恋なのか,それとも単なる幻影に過ぎなかったのか私自身にも未だに定かではない.だが,時には心に痛みさえ伴う激しいその頃の印象は時間の流れとともに私の心の中で少しずつ和らぎ,今ではその数々の不可思議な現象をも含めた経験が一体自分にとって何であったのかを冷静に考えるまでの余裕さえ生じて来ている.誠に時間とはどのようなことをも静めて正常な状態に戻す力を持っている.
                ☆ ☆ ☆
  私はその頃,主に小,中学生対象の学習塾で個別専門の講師として仕事をし始めたばかりだった.もともと何をするにも器用な方ではないので,試行錯誤の末にやっと見つけ出したのが学習塾と言う職種であった.思いがけずこの仕事が長く続いたところをみると或いは自分にかなり適した仕事だったのかもしれない.とは言っても正式な社員としての講師などではなく,時間給で仕事をする<しがないパートの講師>に過ぎなかったのだが・・いや,それだからこそかえってスクールという集団の中に溶け込みにくい様々な特徴を持った生徒(本当はそれが貴重な人間の個性そのものである場合もあるのだが・・)の個別の講師としてはふさわしかったに違いないと実際には誇りにさえ思っている私である.
                    (2)
 五十嵐幻(げん)と言うその少年は私が塾の個別講師になって最初の生徒だった.
 初めて出会った時,中学ニ年生の少年は体こそほっそりしているが背丈が思いっきり伸びて少し大人びた感じに見えた.髪をポニーテールにしたまだうら若い感じのする母親の後ろに無表情な顔をして立っていた。
 塾長が「こちらが五十嵐 幻(げん)君とお母さんでそれからこちらは国語担当の芹沢先生です」と双方を引き合わせてくれた.
「では、後は芹沢さんにお願いしますよ。」と、私の方を念を押すように見ると、今度は、五十嵐親子に向かって「国語のどういう所を特に勉強したいのか、先生に、話してください。ではすぐに勉強に取り掛かってください。」と言いながら、日頃愛用しているらしい細長い棒を再び手に取って勉強している人達の方に行ってしまった。
 少年の母親は私に向かって「よろしくお願いします」とあらためて挨拶をしたので私も「こちらこそよろしく・・」と頭を下げた.
「先生、うちの子は国語が特に弱くて、中でも古文と文法が一番判らないんです。」と、母親はまるで自分が判らないというような顔をした.
「他の科目もなんですが、なかなか点数が取れなくて、ほんまに困ってますねん。なあ、そうなんやろ?」と少年の方を振り返る。
少年は(全くそのとおり、ごもっとも、)と言う風に頷いて見せた。
 母親は本当に心から困っているという表情をしていた。
「よく判りました。では、古文と文法を特に丁寧に、勉強しましょうね。きっと良くなりますから。だからもう心配なさらないでください。」
 私がきっぱりとそう言うと,母親は急に明るい顔になり
「今日は国語の後、数学もありますので、今から二時間くらい経った頃に、迎えに来ます。」と言って、そのまま,そそくさと帰って行った。
 少年と私は塾長から指示された席に、二人並んで座った。
 前の席には男子学生と私服姿の中学生くらいの女の子が座って勉強を続けている。
「Xぷらす2Yイコール10・・」等と、聞こえて来るので、数学をしていることがすぐに判る。それにしても先ほどから幻(げん)という少年が真横に坐っているだけで、私が圧倒されるように落ち着かないのはいったい何故なんだろうかと思った.
 私は中学から大学までの10年間を、両親の方針で、私立の女子ばかりの学校で勉強した。その学校の殆どの生徒達は、電車通学をしていたので長い年月の間には自然に色んな人たちと、顔見知りになって,時には男子学生とも仲良くなる機会もあったかもしれず、休み時間ともなると、廊下や教室の隅の方で、わあとか、きゃあとか、歓声を上げたり、そうかと思うとヒソヒソ秘密めいたお喋りをしている光景をしばしば見ることがあったが私は家から学校まで、徒歩でたった10分間と言う距離を毎日10年間往復しただけだったので、そんな経験は殆ど無かった.
 長女である私に対して,父親が特に厳しくしつけをしておこうと思っていたのは一番上の子供さえしっかり育てておけば下に続く子供達は少々放っておいても同じように上手く育つと言う風に信じていたからであったらしい。
 高三の終わりの頃、四、五人の級友と高校最後の思い出に、京都へ日帰りで遊びに行くことになって、父に話すと賛成してもらうどころか逆にひどく叱られてしまった.
「大した用事も無いのに年頃の娘が町をうろついていると,とんでもない人間がいて,ろくなことにならないから絶対に行ってはいけない.もし行くなら二度とこの家に帰って来るな」と言うのが父のいつもの決まり文句であった.
(そんなことを言ってる父自身お酒をよく飲むし,時々徹夜でマージャンして朝帰ることもあるのに・・)と私は思ったけれど黙っていた.
 母が協力してくれたお蔭で、翌日,泣き腫らした目をして何とか京都行きに参加したが皆が楽しそうにしている中で案の定,私だけ憂鬱を引きずるような一日になってしまった.父が私のことを大切に思ってくれているからだとは、その頃どうしても素直に受け入れられず,父のことをただの判らず屋の頑固な人としか思えなかった。
 とは言っても結局は父と言う大きな壁を自分は一度も破ることなく長い間、ただ、従い通して生きて来た。だからこそ、今まで平穏無事だったとも言えるが、そうは言ってもそれでは余りにも自分自身が不甲斐ないと思うので正直なところ後悔している.だが今となってはもう何と言っても遅過ぎる.
 父にそんな風に厳しく育てられたので、私は夫と祖父と弟以外には、学校の先生を除いて男の人と会話らしい会話を殆どしたことが無かった.中学,高校時代,世の中に女の他に男の人もいるということを殆ど意識すること無しに過ごしたと言っても決して過言ではない.
それだから,中学生の少年が、横に座っているだけで、もう戸惑いを感じてしまうのはきっと私が男の人に馴れていないからなのだと思った.
 困った!これでは塾の仕事は出来ない・・
 思わず「イエスさま、助けて下さい!」と心の中で祈った.
すると「もし戸惑っているなら,そのままの有りの侭で良い・・少年も有りの侭にしているのだから、早く勉強を始めなさい。」と言うキリストの優しい御声が聞こえたので,何はともあれ早速,勉強を始める事にした。 
「では、教科書を出して下さい。文法を、まず一緒に最初から読んで行きましょう。」
少年は鞄の中から、教科書を取り出すと、机の上に置いた。
 二人で一冊の本を片方ずつ右手、左手に持って、机の上に立て,かわるがわるゆっくりと一段落ずつ読み始めた。
 私も、あまり久しぶりなので、まるで初めて文法を勉強する人のように真剣に読んだ。一段落を読むごとに、ストップして内容の見直しをした。
 文、文節、単語、そして修飾語、被修飾語のあたりまで読み進んで行くうちに、いつのまにか、一時間があっと言う間に過ぎてしまった。
「どう?今日の所で何か解らないことがありましたか?」
「いいえ、別に無かったです。」
「そう、それは良かった。ゆっくり読めば、必ず判るのよ。」
少年は緊張がほぐれて、安心をしたのか最初見た時より頬がふっくらとして子供っぽい表情になっていた。端整な美しい横顔をしていた。
「きょうだいは?」と聞くと、弟が二人いて三人兄弟の一番上だと言った。きっちりとした裕福な家庭に育っている人らしく、おおらかで上品な雰囲気がした.
「まあ、そうやの、私と一緒やねえ。わたしも姉弟三人で一番上なのよ。一番上と言うのは、良い時もあるけど、損だと思う時もあるわね。何しろ、一番先に生まれて来たので、親も初めてだから、力を入れて期待をかけるし、それだけ厳しくされるから・・それをまともに受けて、私は思いっきり頑張りすぎて、ぼろぼろになってしまったのよ。今はもう大丈夫だけど・・」などと、自分でも意外なくらい口数多く喋ってしまった。
 少年は黙って私の話を聞きながら、時々、笑顔で頷いていた。
(私って、出会ったばかりの中学三年の少年に、どうしてこんなに喋る氣になったのかしら?)と、自分ながら不思議だった.もしかすると私が他人にこんなに打ち解けることが出来たのは初めてかもしれない.
 自分の弱みまで見せてしまったことを少し後悔したが、これから一緒に勉強する者としては、相手に安心感を与える為にきっとそれも必要なことなのだとすぐに思い直しをした。
「では、宿題は練習問題をする事とそれから次の品詞の種類の所をよく読んでくること、それだけです。」
第一日目の初めての勉強はこうして何とか無事に終了した。
 一週間に一度,一時間ずつの勉強を続けながら数ヶ月立つうちに、少年は次第に私に打ち解け、私もまた,思いがけず子供がもう一人与えられたような幸せな気分で初めての生徒を大切に指導した。
 私は少しでも少年の国語の成績が良くなる事を真剣に望み、その為にはどんな努力も惜しまなかった。まるで生徒の成績が良くなることは自分が良くなることだと思い込んでいるかのように,本屋にも足繁く通い、問題集も時間を十分かけて選んだ。
六十分という与えられた時間を出来るだけ集中して勉強出来るように,時々小さな休憩も入れて、勉強とは関係の無い雑談の時間を持つなどの工夫も忘れなかった。
 何はともあれ国語の講師と言う仕事は、それまでした他のアルバイトなどに較べると初めての経験のわりには順調だった。
 私の生徒は五十嵐 幻の他に小学六年生の中島由紀と、もう一人中学三年生の人もいて,それぞれの勉強が続いた。
 忍耐力のいる仕事ではあるが、殆ど苦にならず日が経過するにつれて少しずつ慣れ、次第に遣り甲斐のある楽しい仕事に思えてきた。
 塾に行く日が楽しみで待ち遠しい程だった.
 小学六年生の中島由紀はとても小柄で可愛いかった。同じ年頃の子供に較べると何もかもが華奢で、抱き上げたら人形みたいに重さを感じないのではないかと思った。最初の頃は慣れないせいか、本当の人形のように由紀ちゃんの唇からはめったに言葉が出てくることが無かった.
「ねえ、由紀ちゃんはお花好き?私は好きやけど・・」
 勉強の合間に尋ねると、由紀ちゃんは少し首を傾げて考えていたが暫くすると
「ううん、由紀、花は嫌いです」と小さいが何時になくはっきりとした声で意外な答えを返して来た。
「どうして?花が嫌いなの?きれいなのに・・」
「あのね、由紀、花粉のアレルギーやから花のそばに行くだけで、すぐに目も鼻も喉もむちゃ痒くなるんです.クシャミと涙がすごく出て困るから,それで花はなんぼ綺麗でも嫌いなんです。」
「ふーん、そうやったの。」
 由紀ちゃんが花の嫌いな理由はそれでよく判った。そう言えばこのところテイッシュを出して始終鼻をかんでいて,よく見ると鼻の周りが赤くなり,目だって充血している.
 由紀ちゃんは体はそんな風に虚弱ではあるが気持ちはずいぶん現実的でしっかりしていて、例えばもし自分が人形のように人から可愛がられたりしても,「百害あって一利無し」ということをすでによく承知しているのである。
 母親が二十年以上も郵便局の窓口の仕事をしているということが間もなく判り、その人の子供だから現実的でしっかりしているのは当然のことなのかもしれないと思った.
 塾では講師が自分の生徒を例えどんなに可愛いと思っても、決して感情をむき出しにしたりせず、何よりも勉強を充実させることを第一に考えねばならない.
由紀ちゃんは私に言われるといつでも素直に、聞き取れないほどの小さな声だけれど、物語や詩や問題の文をすぐに読み始める。けれども平仮名はともかく漢字が出てくると、その度に途切れてしまう.教えるとまたすぐ読み始めるのだが、すぐにまた途切れる.あまり何度も途切れるので終には二人とも何が何だか訳が判らなくなってしまう(@_@)。
 思わず私が笑ってしまうと由紀ちゃんもつられて笑う。毎回それの繰返しでお世辞にも学力が向上しているとは思えないのだが、不思議に二人は少しも暗くならずかえって明るくしている事が出来た。
 それはきっとお互いに相手のことを気に入っているからに違いなかった。
 一体どんな共通点があるのかは判らないにしても,二人は似た者同士であるのかもしれなかった。だから一週間に一時間ずつでも一緒に過ごせることがお互いにこの上もなく幸せで嬉しいことであったのだ。
                   
                       (3)
 何もかも順調に進んでいるように見えていたのに、思いがけない事は思いがけない時に起きるものである。
 その日、五十嵐幻との勉強はなく、由紀ちゃんと教科書の童話の文章を読みながら勉強をしていた。
 いつものことながら由紀ちゃんがあまりゆっくり読むので,思わず眠気を催してきそうになる。
 由紀ちゃん自身も同じように眠いに違いないのだが、自分がどんなにたどたどしい読み方しか出来なくても決してイヤになったりせず,どこまでも根気強く読み続けて、決して弱音を吐かない。
(由紀ちゃんの良いところはこの素直さと根気強さだ!)と私はいつもの事ながら感心する.
 その時,突然、塾長の雷のように大きな声が狭い部屋中に響き渡った。
「なんで、靴の後ろを踏んどるんかと聞いとるんや。聞こえてえへんのんか?なんでや?靴は後ろを踏んで履くもんか?そんなだらしないアホな履き方をするから勉強もでけへんようになるのんじゃ。立て!立てと言うとるんや!」
 よく見ると塾長に叱られているのは、五十嵐幻だった。
 幻はいかにも無表情な顔をして黙って立ちあがった。
 すると今度は「前に出て来い!」と言われ、椅子から離れて塾長の前に出て行った。
 成る程、運動靴の踵のところを踏んでいるのが椅子の隙間から見える。
「早く履きなおせ!」
 塾長は手に持った棒で幻の靴を何度も突っつきながら、一層大声を張り上げる。幻はゆっくりとしゃがむ姿勢になり,両方の靴をきちんと履きなおし,また立ちあがった.
「それでええ。もっと真っ直ぐに前を向いて立て!姿勢が悪いぞ。手をしっかり脚の横につけるんや。顎をもっと引け!気を付け!右向け、右!左向け、左!休め!気を付け!」
 塾長の棒が少年の背中や脚の横に何度も押し付けられた.
(そうか.あの棒はあんな風にも使われるのか・・)
 その光景はまるでいつか映画で見た兵隊の訓練の場面とそっくり似ているではないかと私は思った。
 部屋の薄茶色の壁に白い大きな紙が貼ってあって、あまり上手だとは言えないマジックペン書きの黒い文字が詩のような書き方で並んでいる。
「思い込んだら勉強の道を、ひたすら行くのがど根性、
判らないよと弱音を吐かず努力、忍耐、惜しまずに
自分で山を乗り越えながら、行け行け今日もドンと行け」
(どこかで聞いたことのありそうな言葉だが,これは塾長が書いたに違いない.成る程・・だから,やっぱりこういう結果になるのだな・・)と私は思った. 
 立派な精神ではあるが読んでいる中に溜息が出てしまう。
(誰でも自分の力でドンと行って頑張ってもみても,どうにもならない時があるが,そんな時にはいったいどうすれば良いの?どんなに頑張っても試験の点数が上がらないから生徒は塾に来てるのに・・・)と私は思わず塾長に聞いてみたくなった.
 少年は塾長に命じられるまま素直に動いていた。まるで,こう言う場面に遭遇した場合には無抵抗を装うのが最も賢い抜け道になると言うことをすでに悟っているかのように当たり前の静かな顔をして素直に従っている.
 講師の学生達も生徒達も勉強をストップしたまま黙って事の成り行きを見守っている。
(少年は今どんな気持ちなんだろう?いくら塾長でもここまで厳しく言う必要があるのだろうか? 行き過ぎではないのか? )
少年の気持を考えると自分までが辛くて遣り切れなかった。  
 そして,その日を最後に五十嵐幻の姿を塾で見ることは無くなった.
数日後、「五十嵐幻の母親から都合で辞めさせますと言う連絡が入って来ましたので了承して下さい」と塾長から私に電話で連絡があった。
 運動靴の件については一言も触れず、「塾の生徒は成績が一向に上がらないので辞める時もあれば、成績が上がったので辞める時もあって、ほんまに難しいもんですわ」とだけ言った。私は何の心の準備もなく、五十嵐幻が突然止めてしまったので、ショックは思いの他に大きかった。
 (国語の成績は随分良くなって来ていたし、あれほど気持も通じ合って喜んで勉強をしていたのに..)と考えれば考えるほど残念だった。そこで塾長に折り返し電話をした。
「他の科目の事は知りませんが、国語はとてもスムーズにはかどっていて点数も上がりましたので、私としてはどうしても納得いかないのです。直接、話をしてみたいので、五十嵐さんの電話番号を教えていただけませんでしょうか?」
「生徒が辞めた後の辛さはよく判りますよ。わたしなんかは酒でも飲んで何とか過ごしますけどねえ。女の方はそうもいきませんでしょうね。塾の講師なんていう仕事は実にしがないものでしてねえ。まあそういうもんですわ。」
塾長はそれだけ言うと、意外にあっさりと少年の家の電話番号を教えてくれた。
早速、電話をかけると,母親がすぐに出た。
「あ、芹沢先生、子供がお世話になりまして有難うございます。実は数学と英語が少しもよくならないので、別の塾に行かせているのです。でも、国語だけは、何とか芹沢先生と続けたいと本人も言うてますので・・」
 幻の母も運動靴の一件を知っているのか知らないのかその事には全く触れなかった。
「そうですか、私も勉強を是非続けて行きたいと思っています。もし良かったら今度は私の家の方に来て頂いたらどうでしょうか?」
と,思わずそんなことを言ったもののすぐに,(しかし,それでは塾長に対して申し訳無く済まない・・)と思った。すると,幻の母もすぐにそれを察して
「今すぐは良くありませんから、暫く立ってから行かせて頂くことになると思います。」と言ったので、私は自分の家の電話番号を教えた.
「では,お待ちしていますので・・」
 (勇気を出して外に出てこの仕事を始めて良かった・・)としみじみ嬉しかった.
 私の住んでいるこの辺りは関西の軽井沢と呼ばれるだけのことがあり,夏の暑さは比較的凌ぎ良いけれど,弥生三月はまだまだ寒く,庭の紅梅が冷たい風に震えながら今を盛りとばかりに咲いている頃であった.
 しかし,四月になり五月になっても少年の所からは一向に音沙汰は無かった.
(あんなことを言ってたけれど,やっぱりその場限りのいい加減な約束だったのだろうか・・)
六月も末になり,雨の多い季節になったがまだ連絡は無い.
(もう忘れてしまったに違いない・・少年は今頃どうしているのか・・勉強ははかどっているのか?)
 学習塾の方は後二人ほど生徒が増えて仕事は順調に続いていた.
 塾長から「年輩の講師ばかりで夜どこかに集まって懇親会をするので参加して下さい」と誘われたけれど夜のことだし,お酒飲むのなら困ると思って「その日はあいにく用事があって都合が付かないので・・」と断った.
 自分はパートの講師に過ぎないので生徒をしっかり指導さえしていれば良いと思っていたのだが,もしかすると自分勝手な判断だったかもしれない.
                     (4)
 いつの間にか夏になった.
 私の住んでいる所が山合いの緑多い地とは言え,空気が澄んでいる分だけ太陽光線がまともに射すので夜は別にして,日中は肌を刺すように暑い.
 洗濯とか掃除などの家事を済ませると汗が吹き出すように流れるので,いつものようにシャワーをしてから,台所で一人お昼の食事をしていた.
たぶんまた窓際のモミの木に止まっているのだろう,蝉が不意にヂーヂーと鳴き出した.
暑さに弱い私は体が疲れて来ると動きが鈍くなり,物思いにふける癖がある.(実のところ気持ちがしんどいので体もしんどくなるのか,体がしんどいので気持ちもしんどくなるのか自分でもよく判らない・・それにしても五十嵐幻はどうしたのだろうか.もしかするとこのままもう二度と出会うことも無く終ってしまうのか・・人間の繋がりなんて所詮はやはり儚いものなのか.しかし・・もしも神の御心に叶えばきっとまたここに来て一緒に勉強が出来るはずなんだが・・)などと,いつもの物思いの癖がまた始まりかけたちょうどその時のことだった.
 リビングの電話がそんな私の物思いを吹き飛ばすかのように勢い良く鳴り響いた.
受話器を取ると五十嵐幻の母親の声がした.
「お久しぶりです.お約束してたのに遅くなってしまって,今から行かせて頂いてもよろしいでしょうか.うちの子,やっぱりまた困ってますねん.」とかなり辛そうな声だった.
「そうなんですか.ではどうぞお出で下さい.」
 そして間もなく,幻を車に乗せてやって来た.
 久し振りに見る幻の顔はやつれて青白かった.相変わらず背だけは高いが体も少し細くなったように見えた.
 けれども再会が嬉しかったのか明るい表情をすでに取り戻していた.
 そして私の喜び,それは言うまでもない・・
 少年は私と一緒に勉強していた塾を止めた後,やはり個人が経営している別の学習塾に入り,今はその塾の夏期特訓クラスで朝早くから夜遅くまでお弁当持参で英,数,国,理,社の五教科全部を勉強しているらしかった.
「毎日,どの科目も塾の問題集一冊ずつ絶対にしないといけないんです.」
 少年は母親が帰ると,しんどくて大変な今の自分の状況を少しずつ私に話した.
「まあそうなの!それは大変やね.もし塾でその日,問題集を全部出来なかった時はどうするの?」
「出来なかったら宿題になって夜寝ないで次の日までにせんとあきませんがな.」
 少年は一見はおとなしそうに見えるが実はひょうきんな面も持っていて,時々コミックス調だと思われるユーモアのまじった独特な言葉を使った.
「まあ,それやったらゆっくり休む暇もないわね」
「仕方ないす.俺が頭悪いんやからそれくらいせんと高校行けませんから・・」
「偉いわね!それほどの意気込みならきっと大丈夫よ.でも,自分で自分のこと頭悪いなんて言うものじゃあないと思うよ.幻君が頭悪いなんて私今まで思ったことないからね.」
「そうかな・・」
「そうに決まってるでしょ!そんな厳しい塾の勉強をここまで続けて来られたんだからもっと自信持ちなさいよ.」
「うん,そうする!」
 二人とも再会出来たことが嬉しくて勇気百倍!それぞれ急にまたどこからか元気が湧いて来た.
 私も先ほどまでのあの憂鬱は一体どこに消えてしまったのかと思うほど,嘘のように明るくなれた.
 それにしても実現するまでは全く不可能のように思われることも,実際に実現してしまうと まるでその事が当然起こるべくして起こったことみたいに思えるのは実に不思議なことである.
 こうして少年はもう一つの学習塾で他の科目を学びながら私の所にも頻繁に来て国語の問題を次々に解いた.現代文,文法,古文,漢字などあまり猛スピードで進むものだから,私は本屋に行って次の新しい問題集を見付けて来るのが忙し過ぎるくらいだった.
いつの間にか夏休みが終わり二学期になった.
 幻の勉強には母親だけでなく父親もよく協力していた.来る時は母親が車を運転して幻を私の家まで運び,夜勉強が終る頃には父親が車で家の前まで迎えに来ていた.
私も幻との勉強のお蔭で国語の個別講師としての仕事にいっそう愛着と熱意を深めることが出来た.生徒と共に講師もまた成長して行くものなのだ.
 幻もまた私と国語を勉強することによって,持ち前の明るさを少しも失うことなく,素直に伸び伸びと成長して行った.決して人間性の乏しい「ガリ勉少年」だけが製造されて行ったのではなかった.
 或る時,「ねえ,幻君,神の御子キリストは十字架にかかって私たち一人一人の罪のために身代わりになって死んで下さったのよ.それほど神さまは一人一人の人を愛して下さってるのよね.」と私が言うと,
「そうやね.先生.神さまは俺もやっぱり居てはると思うよ.けどイエス・キリストって男なんやろ.男が男を愛するんやったらちょっと変なんと違う?それやったらホモと言うのんと違いますか?」と答えたので,冗談にしてはあまりにも単刀直入過ぎる答えだっただけに私はただ笑っている訳にはいかなくなって,
「キリストは男の姿をしておられても神の御子だから人間の愛とは全然違うのよ.男の人も女の人も同じように愛して下さって,神さまの愛は限りなく深くて広くて清くて,信じる人には永遠の命を与えて下さるのよ」と説明をした.
とは言っても,説明している私自身も「永遠の命」と言うものについてはまだ殆ど知ってはいないので,もっとよく知りたいし,もしそれを知れたならもっと幸せになれる筈だ・・という気がした.
 やがて秋も半ばになった.
 幻(げん)の中間考査での国語の成績は98点でクラスで一番良かったらしい.他の科目もやはり良かったらしいが詳しくは判らない.
 そして幻と母親は一番大切な中学最後の三者懇談に行く日が近づいていた.
かなり成績が良くなったにも拘わらず母親は相変わらず「うちの子みたいに成績の良くない生徒の行けるような高校はめったにありません.」とばかり口癖のように言うので,
「そんな筈はありません.大丈夫,きっと行けるようになりますから・・キリストもあなたの信じた通りになりますようにと言っておられますので母親がそんな消極的なことばかり言っていて,もしその通りになったらどうしますか!」と私はむしろ母親の方を励まさなければならなかった.
 間もなく三者懇談があって,幻の家が自動車関係の会社を経営していて長男の幻が後継ぎなので,K大学付属高校の自動車科を受験することに決定したとのことだった.
月日はまたたく間に過ぎた.
 少年の受験の日が近づくにつれて緊張と共に何故だか私の心には暗雲がまた少しずつ立ちこめ始めた.
 (少年との別れが待っている.)ただそれだけのことが自分の心を暗くしていることを私自身よく判っていた.努力で何とかなることなら努力して何とでもするが,どうすることも出来ないこの問題に関して私は全くお手上げの弱い自分であることを改めて知った.
 そして時の流れをこんなに速く感じたことは無かった.
あっと言う間にその日が来た.(--;)
合格発表のあった日,少年と母親がお礼の挨拶を言う為に私の家に来た時,「おめでとう!」と言う私は顔で笑ってはいても実は心の中では泣いていた.
別れ際に幻は私の顔をじっと見て,
「先生,俺高校になってからも国語の勉強にきっとまた来るから・・」と小さな声で言い残して去って行った.
 
                     (5)

次第に春らしくなって桜の季節も過ぎさわやかな若葉の季節になった.
 それなのに何故だか気持ちが晴ればれとせず調子が出ないのは何も今に始まったことではない.
 この季節になると決まって胸が締めつけられるように苦しくなり原因不明の不眠症にしばしば悩まされ,ひどかった頃には,時々電車に乗って大阪に近いとある駅前のビルの中にある心療内科まで通っていたこともあった.
 医師の治療が適切であったこととキリストへの信仰によって今ではかなり症状が軽くなり胸のつかえも眠れない辛さも殆ど忘れそうになってはいたのだが・・
 少年との別れの淋しさが身に沁みたのかどうしょうも無い空虚で憂鬱な気分が再び私を支配し始めていた.
 長い付き合いになっている大柄な土居医師の白衣姿がふと目の前に浮かんだ。だいぶ白髪が目立つようになってはいても、それがかえって土居医師の品位を高めている・・
 心療内科の待合室は子供の姿が少ないと言う事を除くと、普通の内科と大方は同じような感じで、訳の判らない事を大声張り上げるような異様な雰囲気のする患者を私は今までに、まだ一度も見掛けたことが無い。
 どちらかと言えば、この世の中では殊更、几帳面で生真面目なタイプに属するように見受けられる人達がいつも静かに長椅子に並んで腰掛けている。
大抵、目を閉じて(決して眠っている訳ではないのだが・・)自分の診療の時を静かに待っている。私も他の患者達と同様に目を閉じ、誰かの名前が呼ばれたりすると、その時だけ目を開いて部屋の様子をそっと窺って見る。
 待合室には始終小さなボリュームで音楽が流れている。聞きたければ聞こえて来るし、聞きたくなければ聞こえて来ない程の微妙な音量に調整されている。
 そこに居合わせた人達は誰も気候の挨拶をしたり世間話などしてお互いに声を掛け合うことも無く、干渉しあわないので、気楽と言えばとても気楽である。 
 順番が廻ってきて診察室に入ると、先生は少し微笑みながら「どうですか?具合の方は..」と久し振りにやって来た自分の患者に優しく問い掛けてから、椅子に腰掛けるようにそっと片手で指示をする。
 そして、いつものように視線を前の壁に注ぎながら机に片肘を付く格好をしてこちらを時々見ては、殆ど黙って頷きながら患者の話す心の状態の一部始終をまず十二分に聞くのである。私が夜なかなか眠れないことや、胸の辺りが常に異常に圧迫される感じがすることなど、症状を包み隠すことなく話し終わると、その後は暫く静寂の中を時間が小さな水の流れのようにさわやかに過ぎて行く。
 医師のペンを動かす音だけが微かに聞こえている。
 目の前の大きなガラス窓には灰色がかった都会の空が無表情に広がっている。
 ひたすら羽を動かしながら飛んでいる小さな鳥の姿が時折そこに黒く見えることもあり、私はそれを見ながら(生きるという事は、誰にとっても何時でもあんな風にひたむきに必死なものなのかもしれない・・)と思ったりする。だがいつだったか,「生きるってきりきりのしんどいことだと思う」と私が何気なく言うと,或る人は「そんなことは無い.楽なことだと自分は思う」と即座に否定したが,あれが一体誰だったのかどうしても思い出せないな等とそんなこともふと心の中を過ぎったりすることもある.
 そして,ガラス窓一面に見える空の一番下の方には相変わらず薄汚れた白っぽい色のビルだの瓦葺きの屋根だのが無数に混沌と並んでいて,そこでは限りなく沢山な人々が泣いたり笑ったりしながら生活を続けているのだ.そんな風景を横切るようにして、音も無く走って来た電車がプラットホームに暫く停まっていたかと思うとまたおもむろに動き出す。
 
 気がつくと、先生が眼鏡の奥から大柄な体格に似合わない小さな優しい目で私の方を見つめながら、二言三言医師として何かを話し始めているのだが、その声も体に似合わずとても小さく静かなので、話しの内容より声を聞いているだけで安らかになり、私は病気がすっかり治ってしまったような錯覚を起こしたりする。
 けれども何時だったか私は先生の書いている自分用の白いカルテの病名の欄に横書きで「不安神経症」という文字が並んでいるのを見付けてしまった。
 その時、自分の病名が何であるのかが始めて判り、少なからずショックを受けたのだが、それにも増して自分の苦しみの原因がこれだったとはっきり納得したことでほっとしたことも事実であった。
 私にとってそんな風に「納得する」と言うことは常に重要なことなのである。
いや,私だけではなく、他の多くの人達にとっても「納得する」という事は同様に重要な事であるに違いない。
 何故なら「納得」は即ち「安心」に繋がるからである。
 人間にとって「安心」ほど幸せなものはない。にもかかわらず「納得できる事」が世の中には何と少ないことか。
 世の中はつじつまの合わない事があまりにも多すぎる。
 正し過ぎると人から嫌われるし、優しすぎると利用だけされて、バカにされゴミ箱に投げ捨てられることさえある。
 納得出来ないことばかり沢山な「?」になって、私の心の中の訳の判らない物ばかり仕舞ってある倉庫のドアから今にもはみ出しそうなほど一杯に溜まってしまった。
 それから後も診察を何度か受けに行ったが、或る日、カルテの病名の欄に今度は「鬱病」と書いてある横書きの文字を見つけてしまった時には、慣れっこになったのか開き直ったのか,もう驚かなかった。
 むしろ、自分はこんな心の病にかかる程、それほど繊細で感受性が強いのだから、もしも仮に自分が将来物語りでも書く時が来たら,かえってその気質の方が役立つに決まっているので,逆に喜べば良いのだと意外に呑気にしていることが出来た.
 心療内科に通う患者にとって担当の医師はあたかも恋人のような存在になると確か何かの本で読んだ記憶があるが先生はまさしく当時の孤独な私にとっては恋人のような存在であったに違いない.
 私は夜眠れないことを誰かに決して大袈裟に言ったり嘘で言っている訳では無かった.
 一晩中眠れないことが幾晩も続くと,この先どうなるのかと,とても心細くて辛いので何とか判って欲しいと思うから誰かに訴えるのだが,殆どの人は「それはね,きっとあなたが結構過ぎるからそうなるのよ.苦労のある人はそんなことにはめったにならないものよ.あなたのは言うなれば<贅沢病>なのよ!」とまるで私が苦労を知らない人で,苦労を知らないような人間は一人前でないから相手になどしていられないと言わんばかりに,さも可笑しそうに笑いを噛み殺しながら急いで話題を逸らしてしまうので,私はいっそう心が傷ついてみじめな気持ちにならざるを得なかった.
「もう誰にも大切なことは二度と話さない」と思うことがあまりにも度重なったので,それでいつの間にかこんな風に頑固で意固地な私という人間が製造されたに違いないのだと思ったほどだった.
けれども土居医師だけはそうではなかった.
 私が一月以上も眠れない日が続いて疲労困ぱいの末,初めて診察を受けに行った時,先ず私の話しをゆっくり聞いてくれた上で
 「それは大変でしたね.さぞ辛かったでしょう.よくここまで我慢しましたね.しかし,いくら我慢強いと言っても我慢には限界と言うものがありますよ.薬を少し出しますから,それできっと楽になりますよ」と私の話を初めて受け入れてくれた時,胸のつかえが嘘のように消えて気分が楽になり,まるで自分が病気なんかではなかったようにさわやかな気分になれた.
 だから,心療内科の医師のことを患者が恋人のように思うのは無理も無いことだと私も思う.
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 久し振りなのですぐにでも土居医師に会いたい気もするが,今回は原因がはっきり判っていていつもの病気ではないと思うのでやはり行かない決心をした.
心療内科には行かないかわりに自分の淋しさや辛さをキリストの名によって祈った.
牧師夫人に大阪ナンバにあるプロテスタントの教会で毎週一度ずつ行われている超教派のクリスチャン女性コーラスに参加してみてはどうかとすすめられていたのでそこに行くことにした.
 朝の祈りを済ませては来たが私の感情は相変わらず鬱のままで心の中には悲しみが満ちていたのだが,家から外に一歩出ることで少しは積極的な自分になっていたのかもしれなかった.
 最寄りの駅から電車に乗って終点で乗り換えると,次は阪急電車に乗った.
 午前9時半過ぎの電車は通勤通学の人達がすでに利用した後なので比較的空いていて座席にはゆったりと坐ることが出来た.
 電車が動き出すと車窓から若葉色の五月山が眩ゆ過ぎるほどの明るい装いで見えていたが,たちまち視界から遠ざかり景色はどんどん変化して行く.
 晴れている筈なのに大阪の都心部が近づくにつれていつの間にか空は灰色に変わり白い雲一つも浮かんではいない.
 智恵子抄で高村光太郎は「妻の智恵子は東京の空が灰色で本当の空ではないから本当の青い空が見たいと言う」と,詩に書いているが智恵子ってやはり純粋な人だったんだなと思う.
 夫の光太郎に「妻は息を引き取る前にレモンをかじった」なんて自分の死の床をあんな風にさわやかにロマンチックに「レモン哀歌」という詩に書いて貰えたことも随分しあわせだったと思う.
また「智恵子がこんなことを言い,こんなことをした」と詩の中に書く光太郎もまた智恵子に劣らず純粋で,それだからこそ真の芸術家であり詩人であり得たのだろう.
 それにしても五十嵐幻はいったい今頃どうしているのか.
 高校が始まって毎日電車通学になったが,もともと元気で明るい性格だから,きっともう慣れたことだろう.また国語を勉強しに私のところに来るなんて言っていたが果たしてホントに来るのだろうか.あれっきり出会っていないので元気な姿だけでも一度くらい見たいと思うが,今度いつまた会えることだろう・・などと思っているうちに電車が次の駅に着いた.
 ドアが開いた.
 電車の開かれた出入り口の空間いっぱいに週刊誌,キャンデイー,ガム,ジュース,牛乳などを販売する売店がプラットホームのありふれた風景としてその時,私の視野の中には見えていた.
 数秒間の静寂の時が流れた・・
 すると,一人の制服姿の少年がそんなありふれたプラットホームの風景の中に突然姿を現わしたかと思うと,売店の所まで進んで行き何かを買うために品物を探している様子であったが・・
 一瞬,私は自分の目を疑わざるを得なかった.
 何故ならそれは五十嵐幻であったから・・
 私は夢でも見ているのであろうか?いいえ,夢ではない.
 前より少しほっそりとしていて顔色はあまり良いとは言えず何とか元気を保っていると言う風ではあったが,それは確かに紛れも無い私の生徒の懐かしい姿に他ならなかった.
 少年の横顔を見た時,私は嬉しさと感動の為に思わず胸が熱くなった.
 神は生きて働いて居られて祈りはやはり聞かれるのだと思うと涙が溢れた.
 それはほんの一瞬の出来事で,まるで舞台の幕が閉じるように電車のドアはたちまち閉まってしまったが私の心は嘘のように明るくなっていた.
 その日,教会でのコーラスの練習は思う以上に楽しく私は心を込めて歌った.
 「日ごとに主を慕いまつる我,
  日ごとに主を愛しまつらん.」
 それは毎年春と秋に一度ずつロイヤルホテルの大広間で行われている1000人以上の婦人が集まる大阪婦人ランチョンのオープニングコーラスの讃美の練習だった.
                       -つづく-    
         


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