。*** Aloha ***
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以前、「リリウオカラニは、反共和制派色を打ち出した憲法を施行しようとして抵抗に遭った」と書きましたが、どうしてそのような強攻手段に出たのでしょうか。
当時ハワイは、外国から持ち込まれた疫病と医療の未発達や医療施設の不備などが重なったことによって人口が激減、全人口は9万人程度しかいなかったようです。
そのうちの約半数がハワイ人やハワイ系(以下ハワイ人と書きます)、3割が日本人や中国人たち(アジア人)、残る2割が西洋人やアメリカ人(白人)という人口比率でした。
(クックが発見した当時のハワイには30万人いたようです。ちなみに今現在のハワイの人口は約128万人、アジア人が約4割を占めます。)
しかし、政治の世界はというと、人口比率から見ると少ないはずの白人の官僚が圧倒的に多く、ハワイ人は全体の3割程度だったようです。アジア人は?・・というと、元々産業の経営者や商売人として移民してきた白人と違い、主に労働者として移民してきたアジア人は、政治に関しては全くと言っていいほど輪の中には入れてもらえなかったようです。
そのことがよくわかるのが「憲法」です。リリウオカラニ以前の憲法では、アジア人はもとより、ハワイ人にさえも選挙権が与えられていませんでした。この憲法は、リリウオカラニの兄カラカウアが王だった頃に無理やり施行させられたと言われていますが、これはどう考えても不当・・・。この憲法では、選出されるのが白人になるのはムリもありませんし、共和制派色を強めた議会と国王との間で意見が食い違うのは当然のことでしょう。
王政・共和制の話は置いといて、彼女はただ、ハワイ王国を本当の意味でハワイ人の手に戻したかっただけではないでしょうか。もちろん、ハワイの産業が発展したのも、医療が発達したのも、政治や治世について勉強させてもらったのも、白人のおかげもあるでしょう。でも、だからと言って、ハワイ人に選挙権が与えられないというのは、納得がいかない話だったと思います。
新しく彼女が施行しようとした憲法には、このハワイ人の選挙権の回復が盛り込まれていました。そして同時に、白人であっても市民権を持たない者には選挙権を認めないという内容も含まれていました。そしてこれを、議会の最後の日に出してきたのです。誰もがやっと長い議会が終わってほっとしていた矢先の出来事でした。
この憲法の発布は延長という形で持ち越しとなります。(1893年1月14日)
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主な参考・引用資料
ハワイ王朝最期の女王(猿谷要氏著)
ハワイ州観光局オフィシャルサイト
ハワイの神話と伝説(延江俊輝氏著)
ウィキペディア(Wikipedia)
前回までのお話は『ハワイの知識』にまとめてあります。
興味がある方は見てね^^
&こちらもぜひ♪

*** Mahalo *** 。 |
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Last updated
2006.12.18 10:16:16