。*** Aloha *** ~ハワイ王朝と王朝最後の女王リリウオカラニのその後~ しばらくお休みしてしまいましたが、 興味のある方は読んでみてください 前回のあらすじ(リリウオカラニ☆前編)はこちらからどうぞ
新憲法の草案提出(1月14日)からたった2日後、白人・ハワイ人はともに大集会を開きます。ハワイ人は新憲法支持の大集会を、一方、白人たちは新憲法施行反対を理由に、王政廃止を掲げた大集会を開きます。 相反する2つの大集会・・・きっとすさまじい光景だったのでしょうが、この2つの大集会は暴動などには発展せず終わりました。 ・・・が、事態は急変します!! 大集会が終わった後、在ハ中のアメリカ海兵隊がリリウオカラニのいるイオラニ宮殿を包囲。アメリカ人の安全の確保という名目だそうです。 次の日、アメリカ人のドールを首班とした臨時政府を樹立します。 (1893年1月17日) アメリカ政府はドールの味方というわけではなかったのか、 「この臨時政府は一部のハワイ在住の白人による不当な陰謀である」 と発表。しかし、単に調査・報告だけで終わってしまったため、ドールはそのまま独立宣言をし、ハワイ共和国のドール大統領となるのです。 ちなみにこの宣言は1894年7月4日にされています。 アメリカの独立宣言と同じ日・・・いろいろと考えてしまいますが。 翌年、ハワイ人はとうとう爆発します。しかし、結局リリウオカラニが復位することはありませんでした。激しい銃撃戦になった挙句、首謀者(もしくは加担者)として逮捕されたのは、リリウオカラニの方でした。彼女はイオラニ宮殿に幽閉され、その後女王廃位宣言にサインさせられてしまいます。 リリウオカラニが女王に即位してから女王廃位宣言にサインさせられた1895年まで、わずか4年間の出来事でした。 彼女はもう危険性はないだろうと許された後、自らアメリカへ渡ります。王政復活の最後の望みの綱として、当時のアメリカ大統領にも会ったとも言われていますし、滞在中に『クムリポ(ハワイ創世記)』の英文翻訳をしたり、『ハワイの女王によるハワイの物語』を書き記し、自らの正当性を訴え続けたといいます。 1898年、ハワイは大統領の変わったアメリカ合衆国に併合され(アメリカ領)、長い植民地時代を経て、1959年アメリカ合衆国50番目の州となりました。 『アロハ・オエ』(リリウオカラニ作) ←こちらよりお借りしました 彼女もカラカウア同様音楽が大好きで、多くの歌を残しています。 有名なこの曲は、もともと別の情景や感情を歌った曲だそうですが、 こうした背景から、ハワイ王国の崩壊への悲しみの歌ととられています。 また、ビショップ美術館の裏庭に彼女の銅像が建てられており、その 腕には『クムリポ』と『アロハ・オエ』の楽譜が握られているそうです。 ハワイ王国の始まりと終わりを暗示しているとか。 彼女を通してハワイのひとたちの思いが伝わってくるようです・・・ 主な参考・引用文献 ハワイ王朝最期の女王(猿谷要氏著) 前回までのお話は『ハワイの知識』にまとめてあります。 興味がある方は見てください こちらもぜひお願いします^^ *** Mahalo *** 。 mixiチェック シェア Last updated 2007.01.27 14:53:07