邪魔で仕方ない存在だった
――平壌には、2月13日午前中に起こった金正男暗殺事件は、いつどのような形で広まったのか?
「その日の午後には、私の耳に事件の一報が飛び込んできた。内部での発表などは一切ないが、実は平壌の口コミ社会は非常に発達しているのだ。
おそらく他の朝鮮労働党や朝鮮人民軍の幹部たちも、私と同時期くらいに知ったことだろう。翌々日の15日に、平壌体育館で開かれた『金正日同志誕生75周年慶祝中央報告大会』に参加した党や軍の幹部たちは、すでに全員が知っていたはずだ」
――北朝鮮の一般市民も知っているのか?
「一般市民は、元帥様(金正恩委員長)に兄弟がいることすら知らない。まして外国暮らしの異母兄のことなど、まったく知らない。存在すら知らないのだから、死亡したことなど知るわけもない」
世界に衝撃を与えた金正男暗殺事件から1ヵ月が経過し、現場となったマレーシアと北朝鮮との間で、激しい外交戦が続いている。
3月8日には、金正男氏の息子・金ハンソル氏(21歳)が、ユーチューブに自身の動画をアップし、すでに家族ともども亡命していることを匂わせた。
そんな中、中国を経由して質問を託す形で、初めて朝鮮労働党幹部との接触に成功した。
北朝鮮は、アジアを揺るがせた今回の事件をどう捉えているのか。以下、朝鮮労働党幹部との一問一答である。
――金正恩委員長にとって、金正男氏は、どのような存在だったのか?
「想像するに、長年にわたって邪魔で仕方ない存在だったろう。
正男は、'01年に日本で、みっともない形で拘束された時、将軍様(故・金正日総書記)の逆鱗に触れた。
その時、父親から出国禁止を言い渡されたが、正男はしばらくすると、その命令を無視して、再び海外生活を始めた。それで将軍様に、『二度と平壌に戻って来るな』と厳命されたのだ。
だから将軍様が、'11年12月に逝去された時も、正男は祖国に戻っていない。いまの元帥様も父親と同様の方針を貫いており、正男の帰国を許さなかった。
元帥様は、正男の海外での放蕩ぶりと、天衣無縫な発言を案じておられた。それでも張成沢(金正恩の叔父の党行政部長)と金敬姫(金正日総書記妹の軽工業部長)夫妻がパトロンとなって、正男に送金を続けていた。
それが'13年12月に、張成沢が処刑されたことで、正男への送金も途絶えた。
正男は、北京やマカオなどに、計4つもの家庭を持っていたと聞いている。そのため、パトロンを失った後は、さぞや生活を維持するのに苦労したことだろう」