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♪アトリエえんどうまめ 今季洋の日記。

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2012.10.12
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今回、星図めぐりで行ったあたりには、むかし吉原の遊郭だったという場所も、ありました。

道を歩きながら、このあたりにくわしい方に、教えていただきました。

実際に、もと吉原だったところに、行ったわけではなくて、「この川の先に、もと吉原があったのですよ」と、教えていただいた感じです。



それで、どうして天秤座地区に、吉原があったのかなぁと、考えてみました。

フォーカスしてよんでみた感じでは、時代的な特質があるみたいで、たとえば江戸時代は、吉原は芸能の街のような感じがしました。

芸能というのは現代にたとえると、お昼に行ったレストランが、元ブロマイド屋さんだったり、北野武が成長したその土台が浅草芸人だったり。という、そういう感じでの、芸能です。

きっと、テレビとか映画とかが無かった時代、吉原は、そういう流行の最先端の、ドキドキする場所だったのではないかなぁと、思いました。

AKB48的な競争みたいのも、そこにはあったことでしょうね。みんなの注目が、集まっていた感じです。

現代では、吉原遊郭と言うと、イコール、性風俗的なイメージだけが先行してしまいますが、どうもそれと芸能が未分化な状態で、存在していたみたいな感じがしました。



歴史的に、江戸時代よりももっとさかのぼると、「聖」なることと「性」なることが、未分化だった時代も、けっこう長く続いていたような感じです。

そんな長い歴史の上に、今があることを考えると、「吉原」があったことと、「浅草寺」があることは、切り離せない関係性だよなぁ~と、思いあたりました。

思いあたったのですが、ちょっとそれは浅草寺さんに失礼なことかもしれないと、口に出すことを控えていたのですが。

先日、浅草寺のレポートのなかでも取り上げました、浅草寺貫首の清水谷考尚さんの『生かして生きる』という著書を、アマゾンで取り寄せて読んでみはじめているのですが。

そうしたらさっそく、本の初めのあたりで、実にあっけらかんと、浅草寺と吉原の関係に触れられていまして。

浅草寺・観音さま・浅草は、「聖と世俗が地続きで気取らない」、「信仰と盛り場の両方の顔を持つ」、「大衆信仰」と書かれています。

「民衆」という、人々に対するとらえ方とかは、天秤座だなぁと、つくづく思ったりもしました。



浅草のあたりからは、建物の隙間から、時々スカイツリーが、顔をのぞかせます。

オープン以来たくさんの人が集まっている、新しいパワースポットになっていますね。

それではこのあと、浅草近辺の町並みから見えたスカイツリーの写真をアップして、レポートを終わろうと思います。


12天秤座28.JPG


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12天秤座30.JPG


12天秤座32.JPG


12天秤座33.JPG


おまけで、隅田川の写真も。


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次回東京星図めぐりは、11月4日(日)に、蠍座地区に行きます。

くわしいことは、どうぞこちらをご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/mokuseiki/

みなさまのご参加をお待ちいたしております。





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Last updated  2018.08.10 16:17:01
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