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ももも。のおスイス暮らし

ホームシック~経験談~

(2005.3.4の日記)


      ホームシック~私の経験談~






      ワタクシ、スイスに来て1年8ヶ月になります。
      いろいろありました。ホームシックにもかかりました。

      今は楽しい気分なので、幸せに笑って暮らしていますが、
      自分の心の変化の記録のため、そのときのことを書こうと思います。

      もし、スイスのどこかでホームシックに悩んでいる方がいて、
      こんな人もいるんだ、と、これを読んで励みになってもらえればいいな、
      とも思います。





      彼と出会い、二人の人生の歯車がぴたーっと回り始めた。
      結婚を決めるのもお互い早かった。

      結婚前に2ヶ月間、彼のもとで居候をした。
      私がスイスになじめるか、というトライアルも兼ねて。
      その2ヶ月の間にもすでに大変だ、と思った。

      まず言葉。一番身近な所で、彼のお母さんが英語が話せなかった。
      彼の周りの若い世代でも、英語が話せない人がいて、ちょっとびっくりした。
      スイス人は英語がしゃべれるものだと勝手に思っていたから。
      英語がしゃべれる人でも、間違いをおそれてしゃべりたがらない人も多かった。
      ドイツ語をしゃべれない私を、どう接していいのかわからない、
      といった雰囲気が結構漂っていた。
      旅先で会ったスイス人とは全然違う。わかっていたようでわかっていなかった。
      スイス人だけの集まりに行けば、スイスジャーマンばかり。
      最初のうちは、その場の雰囲気を壊してはいけないと、笑顔でいた。
      しかし、そのうち疲れた。
      彼と彼の両親が話しているときに、sie(彼女)と聞こえると、
      なんか自分のことを悪く言っているのでは、という妄想もした。

      海外に住むっていうのは、ラクではない。そんなの分かっているつもり。
      でも彼となら頑張れると、結婚しスイスに住むことに決め、日本に帰った。



      いざスイスに移住という形で日本を発つとき、
      これからのことに対する期待もいっぱいあった反面、
      あ~またあの言葉のわからない所に行くのか~という不安も大きかった。
      なんとかなるさ、という反面、
      慣れるように頑張らねばという気合も、結構あったかもしれない。
      でもその気合がただただ自分を焦らせ、悪い方向に持って行くだけだった気もする。

      日本では自立していた自分、スイスでは一人では何もできない自分。
      一人前になりたい!役に立つ人間になりたい!
      早く早く…と焦るばかりだった。

      スイスに住んで5年になる日本人に会えば、自分と彼女を比較して
      なんか落ち込んで帰ってきたこともあった。
      今思えば、差があって当たり前だが、
      当時は、その差がますます自分をダメだ、と追い詰めていた気がする。

      スイスジャーマンもしかり。なんか作り笑いもするのもイヤになった。
      ほんとーに疲れる。


      結婚式1週間前だった。
      彼の親友の家に、彼と彼の両親とでおじゃましていた。
      親友Bの奥さんPは、彼のお母さんとも大変仲がよく、家族ぐるみのおつきあいで、
      こういった集まりはしょっちゅうあった。

      その日は私はとても疲れていた。
      昼からこのように集まって、夜になってもダラダラと集まりは続いた。
      きっと、みんなはおしゃべりに花を咲かせて楽しかったのかもしれないけれど、
      スイスジャーマンのわからない私には、ダラダラという風にしか捉えられなかった。

      私はその頃、ドイツ語を習い始めて1ヶ月、少しの単語は理解できた。
      Bが私に英語で聞いた。「疲れている?」
      私は「ええ、とってもmüde(疲れている)。」とドイツ語の単語を混ぜた。
      向こうの方で、彼のお母さんがPに言った。
      「彼女はいつもmüde。」

      すごく傷ついた。
      彼女がちゃんとそう言ったか自信はないけど、私にはそう聞こえた。
      理解できない言葉でずーっとしゃべられたら、疲れるに決まってる。
      それなのに、それなのに…。悲しかった。

      帰りの車では平静を装っていたが、部屋に入って泣いた。大泣きした。
      もう人の集まる所には行きたくない。と。
      彼も泣いた。一緒に頑張ろうって。

      泣いたら結構すっきりした。


      次の日、学校でちょっと話をしたら、クラスメイトが自分の体験談を語ってくれた。
      3年住んでいるユーゴスラビア人は、最初の2年は家にひきこもっていた、
      来て半年になるヨルダン人は、最初の3ヶ月ほぼ毎日泣いていた、と。

      みんな同じ道を通っているんだ。自分だけじゃない、辛い思いをしているのは。

      って、今さらながら気付いた。

      先生にも言われた。最初の1年は辛抱よ。と。


      ドイツ語もそうだけど、スイスに慣れるのも、人それぞれペースがある。
      人と比較していたら、落ち込むだけ、自分のペースでぼちぼち頑張ればいいんだ。
      そう思ったら、今までの焦り、自分で自分を重くしていたものが、
      すーっと消えていった。




      2回目の情緒不安定は去年(2004年)1~2月にやってきた。
      年末年始にかけて、里帰りをしたのも原因である。
      スイスで一人でできなかったことが、日本では当たり前のようにできることに
      喜びを感じた。思いついたら、誰の力も借りずに一人でできる。
      こんなちっぽけなことが、とてもとてもうれしかったのだ。

      3週間後、再びスイスに戻ってきたとき、外に出るのが怖くなってしまった。
      里帰りする前と何も変わらない状況。言葉ができなくても一人で買い物が
      できていたのに、それさえも怖くなってしまっていた。
      ダンナとは外に出れる。でも一人だと。
      日本は恋しかったけど、帰りたいとまでは思っていなかった。
      だから自分がホームシックだとは、そのとき気付いていなかった。

      気分にムラがあるまま、義両親と4人で山にホリデーに出かけた。
      ちょうどそのとき、スイス全体がカーニバル一色で、
      テレビで漫才みたいのをやっていた。当然スイスジャーマン。

      それを見て、転げるほど大笑いをする3人。

      「お笑いは英語で説明できない。
       何年後かには、ももも。も理解できるようになるよ。」

      ダンナはそう言った。
      彼には励ましだったのかもしれないけど、私には全然そうではなかった。
      しばらくリビングにいたが、しんどくなって、みんなより早くベッドに入った。

      次の朝、起きれなかった。誰の顔も見たくなかった。
      ダンナが私の異変に気付き、いろいろ問う。
      最初は、ほっといてくれと言ってたけど、それでもダンナは聞いてくる。

      私は言った。

      「きのうみんながテレビを見てるとき、大笑いしたでしょ。私すんごく悲しかったんだ。
       今やっとわかった。私はホームシックにかかってるんだ。」

      そう言って、今まで溜まっていたものを噴出すように、ワーワー泣いた。


      山から帰ってくると3月だった。
      3月になると、少し一人で外に出始めた。
      電車に乗ってチューリッヒに出たり、ネットで知り合った日本人に会ってみたり。
      外に出るとき、まだどこかでビビっているのだけど、一人で電車に乗れたこととか、
      そんな些細なことさえ、うれしかった。


      そして、一番大きかったのはロンドンに親友に会いに行ったこと。
      彼女自身からもいっぱいパワーをもらったし、彼女の周りの日本人もみんな
      ロンドンで頑張っていた。
      ロンドンは何度も行っているけど、それは好きだから、という理由ではなく、
      大好きな親友がそこにいるから。
      いわゆる観光名所だけを見ていれば、キレイな街だが、汚いエリアもかなりある。
      親友のフラットは決して治安がいいとは言えない所にあって、それも疲れる。
      バスの中でケンカにも度々遭遇する。
      親友に会えたのはとってもうれしかったけど、ロンドンは大きすぎて
      私は疲れてしまう。

      ロンドンからチューリッヒ空港に着いた。なんでかホッとした。
      電車に乗ると、ロンドンの地下鉄とは比べ物にならないほど、キレイだ。
      今までただの雑音にしか思えなかったスイスジャーマンが、なぜかホッとする。
      スイスに帰ってきたんだー。なんかうれしかった。
      ここが自分の住む、帰る場所なんだ。そう思えた。

      ロンドンから戻ってくると、私はすっかり前向きでホームシックは治っていた。
      その後、再び学校が始まり、自分のペースがつかめたのもよかったんだと思うし、
      ドイツ語が少しずつわかり始め、一人で郵便局などに行って、用事を済ますことが
      できるようになったのも、自信になった。



      この冬も一時期、情緒不安定に陥った。
      11月から始めた、ドイツ語試験対策コースのストレスもあったのかもしれない。
      クリスマス、年末年始に友人達がそれぞれ里帰りをしたのもあるかもしれない。
      クリスマスはここではファミリーイベント。
      なんで私は自分自身の日本の家族や大好きな友達に会えないんだ、といじけた。
      普段は飲まないお酒を飲んで、笑って泣いた。
      感情を何らかの形で外に出すことが必要だった。

      でも今回は立ち直りは早かった。
      ダンナが私の話を、うんうんと聞いてくれた。
      新しい趣味に没頭したりして、気がすごく紛れたのもある。
      上手に気分転換ができたからだ、とも思う。

      そしたら知らないうちに、また自然に笑っていた。





      今度いつ、情緒不安定、ホームシックに陥るか、正直わからない。
      すごく大きなのがやってくるかもしれない。
      でも少しずつ少しずつ、うまく対処できるようになっている気もする。

      それから、すごく言えることは、
      プラス思考のときは、小さなことなんて全然気にならないのに、
      ネガティブ思考のときは、同じ小さなことが、すごく大きなことに感じたり、
      結局、何が一番って、気の持ちよう。
      それから、人と比較して焦らないってこと。
      今は楽しく暮らしているから、こんなこと言えちゃうんだけどね。




      春はもうすぐそこです。





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