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ももも。のおスイス暮らし

カルチャーショック

カルチャーショック



チューリッヒ近郊でリチャード、バーゼルでノラ、インスブルックでマティアスにお世話になり、
そしてドイツ・オーバーバイエルンでマヌの所にやってきた。


マヌのフラットに着いたとき、私はとても驚いた。

当時彼氏と半同棲状態だったとはいえ、マヌは一人暮らし。
日本で3人家族が暮らせそうなフラットに住んでいたからだ。
そしてバスルームがとても広く、それは私の大阪のアパートの部屋並であった。
家賃だって、私のあの小さな部屋と、このマヌの大きなフラット、大差がない。


リチャードの所にお世話になっていたとき、東スイスのリチャードのご両親の家にお呼ばれした。
庭がとても広くて、野菜や果物畑、そしてりんごの木が何本もなっていた。
リチャードはここで生まれて育った。

バーゼルの郊外で両親と住むノラの家も、大きな庭があって、裸足でそこを歩いた。
気持ちよかった。ノラはここで育った。

マティアスはインスブルックから車で10分ほど山手に上がった一軒家に
彼女と友人達とシェアして暮らしていた。
ここ周辺は絶好のウォーキング場で、ちょっと上がると市内が一望できたし、
お花畑、そしてチロルっぽい古いステキな家がぽつんぽつんとあった。

「ここはパラダイス」とマティアスは言った。私もうなずいた。

マティアスはインスブルック近郊のチロル地方の出身で、そちら方面にも
ドライブに連れて行ってもらったが、夢に描いたような風景であった。


そして山に囲まれ自然いっぱいのマヌの村。マヌはここで生まれ育った。


友達を訪ね、彼らの育った環境を見て、自然と共に暮らし、それに育まれながら、
彼らは育ったんだな、とうらやましく思った。

誰もが、自分の生まれ育った環境を誇りに思っているのもわかった。


そして、ある意味納得した。
NZで出会ったヨーロピアンの多くは自然に対する知識が多かったし、
そこにある物で何かを作ってしまうという発想や能力に長けていたからだ。


ある意味、全てがカルチャーショックだったとも言える。



リチャードの友人夫婦に会ったとき、そこの2歳の男の子がライン川岸でのびのび遊んでいた。
川の中に少し入って石を投げていた男の子を、お父さんは傍らで見守っていた。
ほのぼのする風景だった。

日本の都会でこんなふうに遊べない。まず場所もないし、危険だから、両親が止めるだろう。
日本の都会の子供とこの男の子を比べたら、彼にはお父さんとの時間がたっぷりあって、
自然も周りにあって、のびのび育っている。
どっちがいいって、もちろんこの男の子の方がいいに決まっている。


NZ以来、私は都会に住むことに疑問を感じ始めていた。
でも田舎には自分の求める仕事はない。仕事のために都会に住むのか。
いろいろ考えていた。
大阪に長いこと住んでいたし、大切な友もいて、NZの後あっさり大阪に帰ってきてはいたけれど。



ヨーロッパを友人を訪ねながら始めた旅の最初から、

「私はもう大阪には住めない。」

そう感じた。



自分の周りに自然がなくちゃ、ダメだって。




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