カテゴリ:歴史について
それが何なのか、長年、意味が分からなかったのですが、
それが分かったとき、日本の戦争の意味も分かると思っておりました。 私は学校で、反日歴史義務教育、によって、 日本が起こした戦争は石油資源を確保するための戦争であったと教育されておりました。 けれど、石油とは全く関係のない、 そして、あの、あまりにも無謀な、【インパール作戦】を、何故、日本軍は決行したのか? 中学の歴史の先生(ガチン、ガチンの真っ赤っ赤)に【インパール作戦】に何の意味があったのかを聞いたことがありましたが・・・・ その先生、【インパール作戦】はアジア全土を侵略するための戦争だったのです。 と、言っていました。 当時、 イギリス、フランス、などの植民地となっていたアジア諸国を日本が侵略するために戦争を仕掛けたものが【インパール作戦】です。 けれど、その作戦は失敗に終わりました。 日本軍は失敗に終わっているにもかかわらず、 『日本は戦争には負けたが、しかし、我々の作戦は成功した!』 などと負け惜しみを言っておりました。と、主張しておりました。 日本の中学で反日歴史教育係をしていた歴史の先生は。 けれど、その主張だと矛盾してくるのですよね。 【インパール作戦】の最終目的地はインドでした。 当時のインドで独立運動を行っていたマハトマ・ガンジーと日本は友好関係にありました。 そして、日本軍が向かう進路にあるものは、全て西欧列強の植民地にされていた地域で、 しかも、地元住民が独立運動を起こし、植民地支配から独立するために絶えず小競り合いが起きていた地域だったのですよね。 で、日本軍が現地に到着した後、独立運動を起こしている地元住民と合流して、 植民地支配から開放していった。 戦争がないときは牧歌的な行軍だったそうですね。 日本軍は、なおも進軍を続け、片っ端からアジア諸国の独立の後押しをして回っていたそうですね。 やがて、イギリス軍は日本軍を迎え撃つために兵力を増強しなければいけない状況に陥り、 インドでの独立運動を鎮圧するために駐留させていた兵員も日本軍を迎え撃つための兵力として投入しなければいけなくなりました。 そして、インドでの独立運動鎮圧部隊は手薄となり、 独立運動家達と独立運動鎮圧部隊の力関係は逆転し・・・・インドはイギリス政府から独立を勝ち取ることが出来ました。 このとき、 『インパール作戦、成功せり!』という連絡を司令部から受けると日本軍は速やかに引き上げたそうですね。 けれど、インドの手前で足止めを余儀なくされているとき、雨季に見舞われ、戦争をしているとき以上に過酷な状況が日本兵達を襲っていたそうです。 旧日本軍が推し進めていた【インパール作戦】とはインドを、はじめとするアジア諸国を西欧列強の植民地支配から独立させるためのものだったのですね。 格闘ボディさん、これで合っていると思う? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[歴史について] カテゴリの最新記事
|
|