『ザ・ウェーブ』 著:モートン・ルー
ハイスクールの授業で実際におこった、不気味な事件。
熱心な歴史教師ロスは歴史の授業で、ナチスの残虐行為を描いた、
ドキュメンタリー映画を見せる。
呆然とする生徒たちから上がる質問に返答できなかったロスは、
「ナチスでの生活の一端を再現して体験させる」授業を行う。
始めは半信半疑だった生徒たちも、いきいきと参加するようになり、
それは次第に、教室の外へも広がっていく。
少女ローリーは、その集団的圧力に恐ろしさを感じていたが、
誰もがそれに陶酔している今となっては、手の出しようがなかった。
歴史の授業でナチスの映画を見た生徒たち。
「なぜ誰もナチスの横暴を止めなかったのか」
「なぜナチスがしていることを知らなかったなんて言えたのか」
「なぜ誰もナチスから逃げ出さなかったのか」
「なぜ誰もがナチスの命令に従ったのか」
生徒たちの質問に答えられなかった教師は、ある実験を試みる。
教室をあるチームとし、そのチーム名を「ザ・ウェーブ」とし、
「ザ・ウェーブ」のモットーを決め、返事の仕方を決め、
敬礼の仕方を決め、「ザ・ウェーブ」のマークを作り、
旗を作り、反姿勢への監視役を決める。
最初は半信半疑だった生徒たちも、たちまちこの「ゲーム」に、
夢中になる。
統率され、やるべきことを示され、そしてそれに従うのは、
なんと気持ちよく、素晴らしいことだと。
次第にその「ゲーム」は、教室を出て学校中に広がり、
そしてエスカレートしていく。
「ザ・ウェーブ」に対して批判的な生徒はすぐに密告され。
フットボール観戦で、「ザ・ウェーブ」の敬礼をしないものは、
席を分けられ。
その「異常さ」に気付いた女子生徒は、友人たちに必死に、
おかしいと訴えるも、それに陶酔してしまっている集団の前では、
なすすべもなく。
こんなに簡単に「集団」に飲まれてしまうものなのか…。
と、ゾっとする。
「私だけはならない」と思っていても、その力が、
明らかな悪意の形をしたものではなく、正義の仮面を被って、
忍び寄ってきたら…。
かなり前に見たドイツ映画、es(エス)を思い出した。
こっちは、その「役割」において、人は残虐になり得る、
という「実験」だったけれども、「陶酔」というか「集団」というか、
その力の前では、人はいとも簡単に操られてしまうということ。
戦争や思想や宗教。
そうやって大きな力に普通の人々が駆り立てられることが今度、
ないとは言えないと思い、怖ろしく思った、一冊でした。
これもドイツで映画化されたそうです。
『Die Welle』
やっぱりドイツという国は、あの恐ろしい歴史を国民の罪として、
過去のことではなく、今でも何かしら背負っているんだろうか。
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