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つれづれなるままにまんがを読み暮らしています・・・というのはほんとうですが、感想は最近書いていません。私たち夫婦の毎日がマンガということで、ご了承くださいな。本人たちは劇画のつもり。
最近は父親育児日記に変貌中。長年の出鱈目と不義理が祟って同級生からは「父親」をやっていることを信じてもらえない。くすん。 教訓:信用は日々の積み重ね。 イクメンとか、そういう流行り言葉がないとヒトは頑張れないもんなのかね? ほとんど夫がのっとってますが↓ [全3122件]
女癖の悪い大学教授の男。その周囲の人間模様を描いた連作集。 どろどろとしたどす黒い感情とそれを抑え込もうとする緊張感。混沌と静寂、狂気と冷静。 恋愛を描いているはずなのに恋愛にはみえない。でも確かにヒトが描かれている文章にひきこまれた。たとえば桐野夏生にはついていけない私でさえもささくれだった感情を拾っていくようなこういう小説には惹かれる。怖いものみたさと、悪意に満ちた世界の一筋の光に揺さぶられるのだ。 出版社(編集)との相性というのがあるとすれば、新潮社で書く三浦しをんはいい(自分が好きな作家のひとりである浅田次郎は新潮ではダメな気がする)。まったくの個人的な感想だが。作家の扱いかたの違いかしらん?(♂)
「イングリッシュマフィンをめだまやきにはさむとどばっとでる」よくよめば反対なんだが、なんとなくわびさびを感じる不思議。
元K-1の格闘家が亡くなった。母国に帰って経営者をやっていたらしい。ほぼ同世代ということに驚く。おっさんになったいまでも、相撲取りとか野球選手とか、異形の者をつい年上だといまだに思ってしまう。不思議だ。 自ら命を絶つという終わりも痛ましさを感じた。強さの象徴みたいな仕事をしていても心はまた別ということか。合掌。 以前佐山サトルが自ら興した格闘技団体をやめた理由として「技術は伝えられても精神的な鍛練を弟子たちにさせられなかった=武道としてつくれなかった」というようなコメントをしていた。健全な肉体にはなんとかという言葉があるが、実際には精神的なものを意識しないかぎり難しい。 強さを求めるということは弱さを知る作業なのだろう。 でも、なにも死ななくていいだろうに。他人がどうこういうことではないが、他人だからあえていう。 ネット上では「40の壁」について書いているひとがいた。人生の折り返し地点もみえ、社会的には中心になり、相談される立場になるために相談する場がないそうだ。ただし、社会的に成功しているひとだけがみえるらしい。ふーん・・・トホホ。 いまだに壁はみえそうにないが、もしみえたら自分にいってやろう。壁がみえるところまでみえた自分を誇れと。急いで越える必要はない。回り道したらいいのだ。そのときはわからないだろうから、いま書いておく。(♂)
ムスメの報告。 先日のお遊戯会のミュージカルにサポートとして出演されていた先生の動きがゆらゆらと怪しくピチピチの衣装もあいまって、「ストップ!映画泥棒」のCMにでてくるカメラ男みたいだね、というみたまんまの感想を家族に話していたのだが。 そのままムスメが伝えたところふたりの先生が Yeeeaaah------! とだいこうふん(本人の弁)だったらしい。 なんでも、まさにそれを狙っていたとかで。ネタが伝わった喜びらしい。子供の前でやったらしいから相当うれしかったのだろう。その姿をみたかった。 気持ちはわかる。それは実際には小さな場面で、話には何の関係もないのだが、本人だけのこだわりを他人にわかってもらえたときの快感はパフォーマンスする者にしか味わえないものだ。 以前知人のとある劇を「J-WAVE系」と評したところ演出の方に感謝?されたことがある。よいしょするつもりは毛頭なかったが素直な言葉というのが響くらしい。 もっとも素直に思ったことをそのまま口に出して傷つけたことも数知れずあるから気をつけるにこしたことはないが。 大事なのはどういう言葉を選ぶかよりもどれだけ真剣にみているかという態度だ。それだけは自信ある。(♂)
伝票処理をしていると同僚♂がニヤニヤして寄ってきた。 「2階のチョコ状況どうなっています?」 ああ、毎年某女史がばらまいてくれるチョコだけだよ、たぶん。だれかからもらったみたいなはなしはないよしるかぎりでは。なんか浮いた話もないし。 と答える。聞いてくるということは聴いてほしいということだろうと思い 「3階は?」 と聞いてみたら 「あげたんですよ。恥ずかしかったんですけどSに。あげれば意外とあげられるもんですよははは」 「!」 ああ、それもありかと納得してしまった。なぜだ。 ちなみにあげるほうももらうほうもアラフォーのおっさんである。もちろんゲイでもなんでもない。彼女も奥さんもいる。シャレだ←たぶん。 トモチョコなんてのが流行っているがあげればあげる面白さがあるようだ。 もらえない哀しみを嘆くならこちらからあげるのもありなんじゃないかしらん。バレンタインの存在を呪うモテナイ君はこれで破壊活動をすることをおすすめする。 そこに新たな恋をみつけても責任はとらないが。(♂)
卒園間近の最後の発表会にいく。 かみさんが席をとり、自分は駅まで母(父は面倒くさがっていかないというので不参加)を拾いにいくという作戦。相当早くいったのに席とり組は大行列だったらしい。どうにかならんのかこのパニック。ビデオとカメラを禁止すれば一発だろうけど、ありえないだろう。嗚呼少子化。 小皇帝といわれるとなりのひとりっこの国は親の対応はどうなっているのやら。考えるだけで恐ろしい。以前聞いたのは軍隊の訓練に同行してちょっとでも殴ると文句をいってくるという話。日本のモンペなんてモンスターのうちに入らないのだろう。世界標準では。 駅で拾ったタクシー(バス停から遠いので)で保育園の名前をいうと「おゆうぎかいですね」と運転手さんがニコニコ。相当遠方客がいると思われる。 イベントは若い順でスタート。年齢毎の成長が分かって面白い。場の認識が年齢とともにあがっていくのが明らかだ。ボーッとしていた子の率がだんだん下がっていくかわりに場に関係なく遊ぶ子がでてくる。それでもサポートする先生の目が潤む。いろんな想いがある。 年少さんだと先生の歌唱力が勝負だというのがよくわかった。保育園の先生は可愛いなあ(邪心)。年齢を考えると自分の子供でもおかしくないのだけれど。 ミュージカルは30分にわたる長編。練習中に先生から「ムスメちゃんは楽しそうに演じますね」とほめられていたがたしかによく声がでていた。ほめてやろう。 ラストはこどもオーケストラで「アルルの女」。鍵盤ハーモニカの吸い口が外れるハプニングにも落ち着いて対応していた。ちゃんと演奏できたかどうかよりもそういう小さな成長に頼もしさを感じる。はやいものだ。 打ち上げは近所のレストラン。水をこぼしたらなぜか号泣。緊張続きで糸が切れたのだろう。よしよし。 母を実家まで連れてドライブ。ムスメ作のチョコを父親に届ける。珈琲を飲みながらバカ話を1時間ほどして退散。さて春のイベントとりあえず終了。次は卒園式か。(♂)
夏目京氏の同郷である、とある作家の青春小説を読み始める。一部悪口になるので書名はあげない。 面白い。 なにが面白いかって、土地の描写がリアルなのだ。行ったことのない場所ではあるのだが、読むと風景が立ち上がってくるのは愛というより執着ゆえだろう。水の近い町ってこういう雰囲気だよなあと母の実家を思い出しながら読んだ。 私は小説を書いたことはないが、何を書きたいかという一番単純かつ曖昧な理由に「その土地が好きだから」というのをあげるのも十分ありだろう。 ワンパターンという人もいるだろう。そこに世界を掘り起こす緊張感があるかぎりは「こだわり」であって、ワンパターンと切って捨てることはない。 もしこの作家さんがその後低迷したのだとすれば描く舞台を誤ったのではないか。ひたすらこの町にこだわればよかったのではないだろうか。こればかりはいろんな世界に視点をむけて成功する人もいるしギャンブルのようなものかもしれないが。 自分が生まれ育った町の風景を描こうとすると黄色っぽい関東ローム層独特の空気を書かなくてはいけないのだろうか。プロに描かせればすごく美しい描写にするのかもしれないが、なんとなくうらびれた雰囲気になりそうだと思う自分は想像力が貧困なんだろう。 道理で意味もなく横浜の住人はいばっているわけだ(偏見)。海があるというのはそれだけでアドバンテージらしい。まあいいけどね。(♂) |一覧| |