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紅顔いずくへか去りにし、、、往事の再び逢うべからざる多し>70才にならんとする私に、何の情報発信!があろうか?かって脳出血に倒れ、未だ後遺症に悩みつつ、我が息子に医業を継いで、クル-ズに昔の夢を追う。趣味はワインと読書ぐらい、強いて付け加えるなら、こうして駄文をつづることであろう。省みるに、私は今日まで世のため人のために自慢出来ることは、してない様に思う。特別悪いこと
したとも思ってないから、まぁこれで良いのだと、考える真摯な?、不真面目人間でもある。従兄弟が、創った川柳に「黙ってる内は 賢く見てもらい」というのがあるが、ちょっぴり後悔している。航海<クル-ズ>へ出て!、そんな「後悔」なんか海へ捨てて来ようと、考えている。 合掌 |
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monnki-007さんのお買い物
monnki-007の日記 [全1215件]タイトルと昨年来からの評判(150万部突破)に興味をもっていた。なかでも中学生のホームレスと心理、そして生活状況だ。ホームレスのきっかけも始めの内は登校拒否とか非行・・を考えた。そうではなくて家を差し押さえられやむなく兄姉共々ホームレス生活を余儀なくされたのだ。初めての夏休み(中一)が明日からという時に家に帰ったら差し押さえられて家に入れず、やむなく公園のコンクリートの滑り台の空洞で、独りでの寝泊りが始まったということだ。先ず夏休みの前で良かった、冬休み前ではまた違ったであろう。二学期が始まる前には、友人の家族や親切な人たちの世話でボロボロながらアパートの一室で兄姉と一緒に住むようになり、それぞれ新学期を迎えた・・・。世間の注目を浴びるにふさわしい読み応えがある平易な著書だが贅沢に慣れた世代には、一読をお薦めしたい一冊だ。昨年末は聖書に熱中したが新春は「ホームレス中学生」から始まった。転ばぬ先の杖と、云うが度が過ぎると神経質になりかねない。読み終えて固苦しかった気持ちがほぐれる感がある。「人生を余り難しく考えてはいけません。・・・もっと簡単で単純なもの・・・」(チェーホフ) 合掌
みびいきを辞書で確認したら<自分に関係のある人を特に大切に取り扱うこと。>で単なる朝青龍フアンに過ぎない事が分かった。その横綱だが報道ニュースで見聞きするとおり、本来の取り口には戻ってないことは明らかである。一番一番の気迫は充分見て取れるが従来の勝負勘とかスピード感が足りない。慎重になっているのだろうが土俵から干されていたせいで相手力士の力量が分からないせいもあるだろう。今更孫子の兵法でもないが敵を知り己を知らざれば・・・・の例え今場所の朝青龍の苦労の程が偲ばれる。2日目に稀勢の里に負けた一番などはその証左であろう。昨日も稽古場で可愛がっていたという安馬に苦戦をしいられる横綱に陽の沈む哀れを感じたものだ。陽の上る勢いは白鵬だ。人生の無常を垣間見る思いである。一っ時の人気や勢いなどに心を惑わしてはいけない暗示を覚えるのは老いた証しであろう。そねみや落ち度、欠点をあげつらう世の中を見返す意味でも今場所の優勝を期待したい。「どうだ・・・」と、いわんばかりのふてぶてしい朝青龍をもう一度みたいものだ(笑) 合掌
朝刊トップのそのフレーズに惹かれた。もんきー家もそれに重なった。このところの日経平均株価の下落も一つの要因だ 奢る平家は久しからず=栄枯盛衰、かっての大英帝国の現状やローマ帝国衰亡の歴史も思い起こさせる。身近には大相撲の朝青龍だ。国民小学校と呼ばれた時代に育ったもんきーの記憶には日出る国日本!が鮮烈に蘇える。神風を信じて戦争に駆り出されて行った英霊に浴びせられた批判中傷も今は昔となった。国会では、福田氏は「話せば分かる」というが筆勢の衰えを取り繕う小手先の政治手法としか見えない。かっての小泉首相を思い出すがイラク戦争支持!「米国は『日本への攻撃は自国への攻撃とみなす』と言っているただ一つの国だ」と、言い切った。株価低迷の原因も多々あるがKY(空気が読めない)日本の政情も大きな要因と考えている。それはいいとしても国際情勢が読めない「KY日本」は、国民にとっては大迷惑である。民主の小沢氏も目先の政権奪取に目を奪われてKY民主にならないように心して欲しい。誤った指導者で困苦をこうむるのはローマ時代からの歴史が証明している。「けんかを先送りすれば事態は悪化するだけ・・・」(閣僚経験者)「他人を信じるな。自分も信じるな。」「あなたには名誉を。私には利益を。」(アラブの格言~) 合掌
故人がな亡くなった月日と同じ毎年の月日と、辞書にあった。今日はただの命日ということになる。去年は毎月11日に総持寺のお坊さんに来てもらっていたが今月は、断った。実は、少し気がとがめたがあえて無視した。お盆まではと、考えもしたが断ち切った。息子は不思議そうにしたがあえて無視した。気持ちの何処かで無理をしているが聖書学習のせいも否定出来ない。学習のきっかけを省みるとそのクリスチャンの人となり、生活態度に惚れたからだ。そのように穏やかで慎ましく、謙虚で暖かく優しい人柄に憧れたわけだ。一朝一夕にできるものではないことは云うまでもないが、聖書を読んでみたいと考えた。クリスチャンとの違いは一方は実社会の生活をとうしてその真実を吸収し成長した・・・・私は、そうなれたらいいなー、悩みも少なくなるかも・・・勉強はプラスになってもマイナスはない・・・つまり功利的で無責任、そのうえ当のクリスチャンにも好感をもたれたいと、いったところだろうか。スタートラインから大きな差異がる。しかしながら学んでいくうちに、その奥深さ、神秘的な魅力に捉われ空恐ろしさも覚える。厳しい西欧諸国文明、文化の差も無視できない。春は花、秋は紅葉の・・・・四季に彩られた豊かな日本の自然環境に育まれた宗教とは、自ずから異なるのは自明の理だろう。精神的アレルギー体質?(かぶれ易い)のもんきーは、早々と、命日を中断したわけで前述のとうりちょっぴり、悔やんでいる。 この年まで生きてきたのだ。今更、健康食に変えることもないように、宗旨を変更せねば生きれぬわけでもない。老いて軽佻に住環境を変える愚はないと考えている。 合掌
未だ6ヵ月余りに過ぎないが之までもっていた聖書に対する概念的な誤りの多さに気ずいている。先ず、聖書は日本で云えば弘法大師とか親鸞聖人といった稀なる一人の天才に依る壮大な宗教物語と考えていた。その誤りについては聖書に関する参考書の初めに具体的に分かりやすく記述されているので、あえて割愛する。唯、聖書は1600年ほどの期間にわたって書き記され、40人の筆者もそれぞれ幾世紀も離れた時代に生きていたことになる。職業も様々で漁師もいれば、羊飼いや王、医者も一人いたとか・・・・。それが、一つのテーマのもとに統一されているのも驚嘆すべきことではないか。それはさておき、それを神の声と受け取り戒律を守り献身するクリスチャンの日常生活は複雑な現代社会に於いて、きわだって見事に映る。様々に起こる日常茶飯事な悩みなども揺るぎのない答えを持っているようだ。時々、現実離れの感もしなくはないがそれも意に介さない。羨ましい限りだ。そうありたいと、学習を始めたが進めば進むほど、かえってクリスチャンから遠ざかるような疎外感を覚える。伝統的な日本民族の正月、初詣もまだ行きそびれておるが先延ばしにしている有様だ。そのせいか気持ちにケジメがつかないまま「仕事始め」を迎えた。冬の夜長もワインを飲みすぎる愚かさも、我ながらうんざりだ。聖書学習も「信仰」も中途半端で明けましておめでとうは、ほど遠い。 【すべての年寄りは二つの間違いをやらかす。可能性のない希望と極度のケチ。】アラブの格言~> 合掌
占う>自然や物の現れ方によって、事の成否、吉凶、なりゆきなどを判断したり予言したりする。従って当たるも八卦あたらぬも八卦である。先ず占うにあたって、顧客が何を望んでいるのか、何を占って欲しいのかを推察することが重要だ。医者が患者さんの訴えを聞くのと同じだ。何処どこがいたい、苦しい・・・、それだけで病気は診断できないし、治療も出来ないのは自明の理だ。それは、経験を積めば積むほど身につくものだ。名医は的確に患者さんの望むことを把握し適切な助言と治療をする。評判の占い師は、人の悩みをよく聴き経験豊富だ。座ればピタリと当たるの例えだ。事の成否、成り行き、吉凶についても大胆にして細心な指針を失わない。客は疑心暗鬼ながら、気に病む場合が多い。でも、こちらの思うように的中すると、神業のごとく宣伝し、傾倒するものだ。また占う人物が卑しからざる人物だと、それは信仰宗教の態さえ呈して反論、批判の類は凡そ無駄である。熱が醒め、体力が回復する患者さんを見るのに似て非なりだ。 悩み多きは、人の世の常・・・・古代から占術師の悪魔祓いは、医療の役割も受け持っていたことを想うと、あながち迷信とバカには出来まい。 合掌
懸命に働いて、高価なブランド品を身にまとい派手に遊ぶのも楽しみごとだろう。同じように働きながら、ブランドなどよりお茶でも持ってドライブウエーから夜景の美しさを愛でるのも、素敵なな楽しみごとであり見事にさえ思う。人として、どちらが優れた楽しみごとで、それが正しいかどうかは、誰にも決められないと考えている。その人様々な育った環境とか社会状況に影響をうけるだろう。それに感受性も加わる。端的に云えば、金持ちも貧乏も、それなりの楽しみごとがありその優劣は決められない。従って、誰それは、何処へも行けなくて気の毒だ・・・そんな楽しみは可哀想と口にするのは、不遜かも知れない。目に見えぬ小さな虫にも、見るからにおぞましい生き物でも生きていることは変わりはない。人間は、自分の都合だけで川を堰き止めダムをつくったり、いたずらに空港を作ったりするが自然界に対して不遜と云われても仕方がない。生活を追われ、その場さえ失う数え切れない生き物の命も忘れてはいけない。それらは、巡り巡ってやがて人間自身の生活に降りかかってくるだろう。気ぜわしい日々が続いたが昨日で一段落して内心ホットしている。医師として之まで命の現場に携わりながら、省みなかった多くのことに愕然とすることがある。人生の軌道は踏み外したが愛の道は、迷いはしたが踏み外さなかったと、自負している(笑) 合 |一覧| |
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