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晴耕雨読 読書記録 [全121件]
副題:いつでも奇跡はそこにある 著者:オグ・マンディーノ 訳者:牧野・M・美枝 出版:ダイヤモンド社 / 2005年 / 単行本 日本での邦訳の出版は2005年ですが、本国米国では1980年に発表された作品です。 このブログでも紹介した3作品だけ抜き出すと、 The Greatests Salesman in the World 『地上最強の商人』1968年 The Christ Commission『キリスト・コミッション』1980年 The twelfth angel 『十二番目の天使』1993年 (Wikipedia より抜粋) このような順序になっています。すなわちマンディーノ氏の初期の作品となるのです。 この本を手に取ったのは、偶然ですが、潜在意識として、キリスト教に関するものを求めていたことは認めます。 私個人としては、聖書にはほとんど触れたこともなく、極々一般的な出来事を知るのみと言ってよいでしょう。 それでも、この作品は本国アメリカで一体どのように受け入れられたのか、タブーではないのかと、疑問ばかりが胸を襲いました。 これは小説です。しかもオグ・マンディーノ氏が手掛けた自己啓発的な作品とは一線を画すものです。 聖書の内容を多少知らないと読み辛いかもしれませんが、それでも多分、読み進めることはできるでしょう。 20世紀の著名なミステリー作家が、イエス・キリストの復活の謎に迫るというテーマです。 ともかく、なまじ評価することはできない作品です。 謎は、解けるのか。その答えはあなたの手で紐解いてください。 <目次> 1 危険な告白 2 夢のはじまり 3 エルサレム 4 大神殿へ 5 弟ヤコブ 6 マタイと雷鳴の子ヤコブ 7 ベタニアの姉妹と生き返ったラザロ 8 ペトロ 9 大祭司カイアファ 10 総督ピラトの罠 11 ヨハネ 12 マグダラのマリアとマルコ 13 ゴルゴダの丘とニコデモの秘密の庭 14 ヤコブとの約束 15 真実 16 死と奇跡と幸運と 訳者あとがき
副題:ノーブレス・オブリージュとは 著者:李登輝 出版:文唱堂 / 2003年 / 単行本 ジャンル:評論、解題書 新渡戸稲造先生が英語で書かれた『BUSHIDO / 武士道』(1900年)を、元台湾総統の李登輝氏が日本語で解題された一冊。 私も「武士道」の日本語訳(佐藤全弘訳 / 教文館)を2008年に読んでいますが、決して読み易い本ではありません。 新渡戸先生がキリスト教の信者であり、その宗教および哲学の基盤があるからこそ、欧米人向けに「武士道」とは何なのか、を説くことができたのです。 すなわち、「武士道」を読み解くには、新渡戸先生の人となり、またキリスト教を知ることが大切です。 李登輝先生もキリスト教の信者であり、終戦までの青年期までを日本人として、日本の教育環境で過ごされました。 ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、氏の兄は日本人として出兵して、現在は靖国神社に祀られています。 そのような人生経験を持つ李先生だからこそ書くことができた、「武士道」解題書なのです。 この著作には、ご紹介したい個所が多くあります。 機をみて何度かに分けて紹介していこうと思っています。 <目次> はじめに いま、なぜ『武士道』か 第一部 日本的教育と私 第一章 世界に目を開いてくれた先哲の教え 第二章 新渡戸稲造との出会い 第三章 新渡戸稲造、国際人への旅立ち 第二部 『武士道』を読む 第一章 道徳体系としての武士道 第二章 武士道の深淵 第三章 義 第四章 勇・敢為堅忍の精神 第五章 仁・惻隠の心 第六章 礼 第七章 誠 第八章 名誉 第九章 忠義 第十章 武士の教育および訓練 第十一章 克己 第十二章 自殺および復仇の制度 第十三章 刀・武士の魂 第十四章 婦人の教育および地位 第十五章 武士道の感化 第十六章 武士道はなお生くるか 第十七章 武士道の将来 あとがき [付]慶応大学三田祭・幻の講演原稿 私は本書をこう読んだ 『武士道』は多くの現代語訳が出ています。 この李先生の解題書なら、高校生の読解力で充分読み解けます。 あくまで個人の意見ではありますが、高校の現代文の教科書はこの李先生の解題書1冊、そして英語の教科書は、新渡戸先生の原著1冊で充分ではないでしょうか。 これを3年間で何度も何度も読み解く、日本の教育はきっと変わると思います。 戦後の日本人が捨て去ってしまったのは何か、忘れ去ろうとしている日本人のあるべき姿はどういうものなのかを、100年前の日本人と、台湾の偉大な哲人政治家が説き、力強く警告し、奮起を促しているのですから。 久しぶりの★5評価となっています。
著者:津本陽 出版:文藝春秋 / 1986年 / 文庫本 ジャンル:歴史小説 直木賞作家で、時代小説でその名を知らしめる著者は、自身も剣道三段、抜刀道五段の腕前です。得意とする剣豪小説では、その描写の繊細さや臨場感を見事に表現されることでも知られています。 この作品も例に漏れず、薩摩藩島津家に代々伝承された示現流剣術を題材とした短編小説集となっています。 <目次> 薩南示現流 第一章 上意討ち 第二章 雲燿の太刀 第三章 御前試合 第四章 師弟の意地 第五章 江戸の対決 桜田門外の光芒 寺田屋の散華 煙管入れ奇聞 最後の殺陣 解説 第一番目の作品で、示現流を島津藩に定着させ、その流祖となった東郷重位を題材としています。この剣豪の描写が大変荘厳で美しく、類稀な剣の達人として描かれます。 その後の作品では、示現流を会得した薩摩藩士の闘いを、西南の役の時代まで描いています。 作品は時代を追って描かれていますが、その時代背景と登場人物が、少し説明不足でわかりにくい部分があったことは残念に感じました。しかしその部分も、読み手自身が調べることを厭わないという前提で書かれていて、読者もそれを了承しているのではないか、とも思います。
著者:夏樹静子 出版:文藝春秋 / 1993年 / 文庫本 ジャンル:小説(社会派ミステリー) ハワイと日本を舞台とした社会派ミステリー小説です。 実は夏樹氏の作品をきちんと読んだ記憶がなく、おそらくこれが最初なのでしょう。 舞台設定が、バブル絶頂期の日本となっていて、日本の資本がアメリカの、ここでは主にハワイの土地や不動産を買い漁っていた、そんな時代と状況の中、不動産経営側と、その不動産を購入しようとする日本人、そしてハワイの人々が描かれています。 夏樹氏もミステリー界の巨匠と呼ばれるだけあり、最後まで読者を惹き付ける手法はさすがです。 また、ストーリーを組み立てるための舞台設定、取材力が凄いと感じました。 ハワイの舞台は当然オアフ島なのですが、ハワイ島が重要な場所として描かれていることにも好感がもてた作品でした。 そして、題名であるダイアモンドヘッドにかかる虹は勿論、ダブル・レインボウです。 <目次> 第一章 プルメリアの夢 第二章 TIME FOR ACTION 第三章 ブルーハワイ 第四章 ダミー 第五章 断崖 第六章 約束 解説 古川薫
著者:湯山玲子 挿絵:しりあがり寿 出版:新潮社 / 2008年 / 新書 ジャンル:評論 まずはWikipediaより、著者湯山玲子氏の紹介です。 「東京都出身。学習院大学法学部卒。雑誌や単行本の編集、執筆に加え、広告のディレクション、プロデュースなど、出版分野で活躍。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッションなど、文化全般に通じる。自らが寿司を握るユニット「美人寿司」も主宰。有限会社ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。」 <目次> はじめに 1章 女装する女 2章 スピリチュアルな女 3章 和風の女 4章 ノスタルジー・ニッポンに遊ぶ女 5章 ロハス、エコ女 6章 デイリーエクササイズな女 7章 大人の女になりたい女 8章 表現する女 9章 子供化する女 10章 バーター親子な女 おわりに 気になった個所の紹介です。 「要約すれば、女性である彼女たちが、彼女たちの通常着であり、ほぼユニセックスである会社スーツや、カジュアルウェアを脱ぎ捨て、女らしいフェミニンな服装、メイクそして立ち振る舞いまで身につけることの気分を、総じて”女装”といっているのだ。」(12頁) 「特に当の女性ははっきり自覚した方がいいと思うのだが、多くの女性は頭の中が”女性”ではない。一日の心の動きをすべて記録する装置があったとして、女性という根拠でモノを考えている時間がいったいどれほど存在するかといえば、ほとんどゼロに近いというのが現状だろう。」(13頁) 「女の仕事人たちが、女らしい服装をし、ネイルサロンでツメを光らせるのは、だから、抑圧された女性性の発露や取戻しなんかではない。男と別段変わらぬ内面が、あえて女性の記号をふんだんに身にまとい着飾ること。それこそが女が女装することの意味なのだ。」(16頁) →原文そのままで引用しています、ご了承のほど。 「ネイルのよろこびとは、仕事において全く必要のない装飾が、真剣勝負の指先にキラキラ踊っているという”遊び”が精神的に心地よく、一種のガス抜きになっているからに他ならない。」(24頁) 「かくて、女の”女装”は、そのワザを同性同士が評価し、楽しむという方向に進んだ。方法が目的となり、先鋭化していき、ついには男不在の女子高感覚に突入している。」(32頁) 「女性はマッチョ的に男性化しているというわけではない。むしろ、両者の差が男性側から積極的に縮められていると見た方が正確であろう。」(38頁) 「アメリカ人は精神分析医に、日本人は占い師に悩みを相談するという。」(70頁) 「「自分のことだけが100パーセント話題になり、他人が自分のことだけを考えてくれる占い時間」というものは、考えてみれば贅沢で甘い蜜の味である。」(72頁) ここまでで第2章が終わるのですが、インパクトのある文章は第1章のみ、後は惰性と凡例集の羅列といった印象です。凡例の中には、有名人や芸能人が登場していて、そういう部分はなるほどなぁと感じるところもあります。 文章そのものは、体言止めを含めて口話に近い文体になっていて、読みやすく且つ読者へ伝わりやすいという長所がある一方、軽く感じるという短所は否めません。正直1冊丸々この文章とは付き合いづらく、この著作のメインである第1章のみを閲覧することをお勧めします。
副題:怒れ!! 日本の若者たちよ 著者:落合信彦 出版:集英社 / 1995年 / 文庫本 ジャンル 評論 落合信彦氏の印象はハードボイルド・タイプの作家・小説家でしたが、このように若者指南のような著作も多いようです。 この作品は、1991年に雑誌などに掲載された内容を編集したものです。 <目次> 序章 私にとっての祖国 第1章 わが宰相論 第2章 天皇制 第3章 醜い日本人 第4章 日の丸・君が代 第5章 千坪の知事室 第6章 名画漁り 第7章 経済成長至上主義 第8章 天才の出ない国 第9章 砂漠の論理 第10章 愛国心 第11章 去勢された国家 第12章 コメ自由化 第13章 新々宗教 第14章 サッチャー、シュワルナゼ 第15章 荒廃する教育 第16章 石原慎太郎氏への疑問 第17章 証券スキャンダル 第18章 CIA文書 第19章 大人になれない国家 第20章 ”核の時代”の終焉 共感した、または気になった個所の紹介です。 「つまり私がどう思おうが、一般のアメリカ人は、私を日本という国家に属する人間の一人だと考え、そして日本人とは、こういう物事の考え方をし、こういう行為をとるらしいと判断する、という事実を、彼は私に教えようとしてくれていたのだ。」(12頁) →中国に私がいて感じたのは、今、この考え方をできない、しないという日本人も多いということ。 「祖国という言葉は、この国では死語となりつつある。だが、祖国があるということは、何にも代えがたいことなのだ。」(14頁) 「大事なのは、国が何をしてくれるかのではないのだ。国に対して、国民のひとりである自分が何をなし得るか、なのだ。」(17頁) 「ゴルバチョフほどケンカが上手く、国家の代表として行動力に富み、リーダーシップを発揮している人物は、他にイギリスのサッチャーぐらいしかいない。」(27頁) 「政治家というのは、その10年先、20年先を見るだけのキャパシティーを持たなければならない。それが、理念であり、ビジョンである。」(29頁) 「確固とした世界観と歴史観、そしてビジョン。リーダーのリーダーたり得る資格は、それだ。(中略) 国家の10年先、20年先を見据えて国際政治のなかで、日本がどうやって生き残り、主導権を握っていくか。それを具体的に政策としてあげられる政治家が必要だ。」(31頁) 「一流を理解するには教養がいる。教養を得るためには努力が必要だ。札ビラだけでどうにかなる問題ではない。札ビラだけで一流を手に入れようとする行為が、逆に、以前にも増してどんどんと自らの精神を貶めているということに、そろそろ気づいてもいいころだ。」(88頁) 「いまさらいうまでもないが、この日本という国はいつだってそうだ。常に外に背を向け、内側を軸にしてしか物事の展開を考えようとしない。世界に対する責任を忘れ、無意味な枝葉末節に逃げ込む。そこには、世界における日本をいかに存続させ、戦後45年を経て手にした豊かさをどうやって持続させるかという理念もビジョンもない。」(134頁) →90年12月初出の文章です。 「そして、愛というのは、口はばった言い方をすれば、奉仕と犠牲の心だ。相手が女性であれ、国家であれ、愛は莫大な精神のエネルギーを必要とする。」(136頁) 「だが、ブランド品はもともと、何十年、何百年をかけて確立された個性の集まりだった。(中略) 従って、価格はリーズナブルでも、合理的でもなく、ただその商品のコンセプトを理解できる人間が、ある意味では、法外な価格を支払う、そういうものであったはずだ。」(149頁) 「そのシュワルナゼ氏は、私にこう言った。「政治家は血の通った人間であり続けなければならない。清い人間、物事が見通せる人間、そういう人間であって初めて政治家になれる。そして信念をどうしても曲げなければならない場合には、潔く辞めるのが政治家です。」」(194頁) 「戦後46年、日本は経済成長を遂げる中で、確実に何かを失ってしまった。「何か」とは「恥を知る心」であり、「倫理」であり、また「良心」や「正義」をあてはめてもいい。」(249頁) →91年8月初出の文章です。 さて、序章にこのように書かれているので紹介します。 「日本にいる限り、やはりこの国を批判し続けることが、私にできる最大の貢献なのだ。それが私にとっての「祖国への愛」に他ならない。」(18頁) 正直、誰が望んでいるのでしょうか。この本は、その通り、全章批判ばかりで成立しています。 副題では、若者たちに怒れ!!と呼びかけていますが、著者の怒りを正当化したいためとも考えられます。 著作のタイトルですが、『そしてわが祖国』のそしてという接続詞は、何を受けているのかも、説明がありません。 また、落合氏を調べてみると、氏個人のサイトが見つかりました。 タイトルが、『勝ち組クラブ』。 繋ぐことばが見つかりません。 約20年前に書かれた本と縁あって読むことになったわけですが、こうして文章が、どんな形であれ、時を超えて残されていくことは、ある意味残酷だと思います。 落合氏は、小説家で充分だったのではないでしょうか。
著者:片岡義男 出版:角川書店 / 昭和62(1987)年 / 文庫本 ジャンル:短編小説 書名のとおり、バラッドと称された短編が30篇、収録されています。 主人公はほとんどが、美しい女性で、愛と男性がたまに登場します。 <目次> ベッドが三つある部屋 これはメロドラマ ブルーの選び方 理想的な窓 窓にカーテン 昼寝 思い出の夏 彼女と彼1 彼女と彼2 電話をかけるだけ コパトーン 彼と別れた彼女 ケチャップはあまりかけない セーターを脱ぐ 飽きたら言って 海の香りと電話ブース ふたりでいても淋しい 切り花 いつも小道具 交差点の横断歩道 桜前線 雪が降る 小さな花 林檎が燃える、あるいは飛ぶ 来てくれた彼女 日曜日の白い月 縛られてみないか ベッドに戻れ 微笑の研究 雨の夜 1987年の出版ですから、そういう時代だと言えばそれまでですが、 電話ブース、ないし電話ボックスが舞台として何度か登場します。 公衆電話のある場所や電話ブースは、恋愛の舞台になりますが、 携帯電話は、ひとつの器械なわけですから、舞台にはなりえないのですね。 一節だけ引用しましょう。 「私は、ふられたわ」 「ふられるのは、台本どおりだ。おまえが主役で、こういう店が大道具で、男はいつも小道具だ。」(いつも小道具 / 170頁) |一覧| |
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