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くまのおさかなやさんがトラックバックして下さっていることに気付きませんでした。ごめんなさい。
http://blog.livedoor.jp/moonsquare/archives/50049397.html まだブログに不慣れで、トラックバックなるものの意味がよく分かりません。 試行錯誤でトラックバックを書いてみます。 但し、うまくトラックバックになるかどうかは分かりません。 最初に、くまのおさかなやさんのお話の中にはあまりにも色々ことが書いてあるので、全部にはコメントし切れませんが一部説明させて下さい。 ****************(くまのおさかなやさん) でも、あのときも思ったんです。 「自己肯定力が低い、といわれたら(自分でそう思ったら)、それでまた自肯定力が低くなってしまうんだよねー・・・」 「指摘されたらそれでなおせるようなもんじゃないんだよねー」 **************** これはその通りです。 私も、そのような人を目の前にして“あなたは自己肯定観が低い”などとはいいません。 でも、“なおせるようなもんじゃないんだよねー”というところは違います。 なおせます。 但し、本人が直したいとしっかりとした決意を持つことが必要です。 大人には自分で自分を変える能力があるのです。(子どもにはありません) でも、そのためには事実から目を背けていては無理です。 言い訳ばかりしていても無理です。 人のせいにしていても無理です。 自己肯定観の低い人の特徴として感謝の気持ちがうまく表せないことが多いように感じます。 ですから、“ありがとう”と言うべき時に“すみません”などと言ったりします。 気持ちが相手に向かわずに、自分に返ってきてしまうのです。 ですから、“すみません”ではなく、“ありがとう”と言うようにすれば、それだけで随分と気持ちが変わってきます。 それは大人に対してだけではありません。 子どもにも素直に“ありがとう”と言ってみる。 また、人に対してだけでなく、食べ物でも、野の花に対してでも、風や光に対してでも同じです。 “ありがとう”が素直に出てくるようになれば、それだけで閉じていた気持ちが開いていきます。 それと、自己肯定観の低い人は感覚が他者に向かわずに、すぐに自分自身の内側に向かってしまう傾向が強いように感じます。 そして、後悔はいっぱいするのですが、冷静な反省はしません。 でも、後悔は不安を強め先に進むことを妨げますが、反省は先に進む不安を軽くしてくれます。 後悔ではなく、反省をするようにすると、自分のことを冷静に見ることが出来るようになります。 そのためには、心の中だけで考えずに、文章に書いてみることを勧めます。 文章に書いてみることで客観的になり、反省がしやすくなります。 心の中だけで考えていると、不安を感じる部分を中心にして、思考が迷路のようにこんがらがってしまうばかりです。 さらにはそのような人は、からだが閉じています。 胸や股関節、腰の筋肉が固いのではないかと思います。 からだをゆるめる、たとえば「野口体操」とか「ゆる体操」などというものをするだけで、気持ちは開いていきます。 自宅でやるなら普通のストレッチでも構いません。 胸や胴体部分は枕を下にして、その上に仰向けに寝っ転がって脱力してみて下さい。 最初は苦しいと思いますが、次第に慣れてきます。 また、呼吸も浅いと思いますので、呼吸法なども有効だと思います。 さらには、自分を表現する手段を持つことで自分を肯定していく手助けになります。 絵を描く、詩を書く、踊りを踊る、楽器を演奏する、文章を書く、何でもいいですから、自分を表現する手段を一つ持つだけで人は大きく変わります。 ***************(くまのおさかなやさん) 「自分に自信がもてない」にも、その人それぞれに個別の、そうなってしまった理由があるようにも思います・・・ (でもそれが体に現れていて、そこを調整することができるのかもしれません) *************** ずっとある精神状態が続くと、からだはその精神状態を維持しやすい状態に変化していきます。そうでないと、エネルギーの消費が大きすぎるのと、筋肉、神経系に“クセ”が生まれるからです。 そして、それが普段のからだの状態になります。 そうすると、そこが平常位置になってしまい、なかなかその状態から抜けられなくなります。 つまり、問題の最初は確かに心の問題ですが、それが長く続くことで、からだの問題にもなってくるわけです。 ですから、長く続いている心の問題を解決するためには、まずからだの状態を元に戻して、問題を最初の“心の問題”に戻してあげるのです。 それを、からだの問題を解決しないまま、心の問題だけを相手にしていると、一時は問題が解決しても、またすぐに逆戻りします。 からだが、心を引き戻してしまうのです。 カウンセラーや癒しをうたった多くの活動がそのような状態だろうと思います。 でも、一時は問題が解決するわけですからその方法に依存するようになります。さらにはすぐに元に戻るわけですから、さらに自己肯定観が低くなります。 症状を抑えるだけの薬と同じ効果しかないのです。 それと、わたしの周りには「自然育児」をやっているお母さんがいっぱいいますが、ではその「自然育児」とはどのような意味なのだろうかと、考えてみるとなかなか難しいです。 自然の物だけを与える育児なのか (自分の周りがほとんど全て人工的な環境なのに、自分の子どもの周りだけが自然のものだけ、という不自然をどう解釈するのか) 子どもの自然(子どもらしさ)を大切にする育児なのか 自然の働き(生命の働き)を大切にする育児なのか 自然な状態(無理をしない状態)を大切にする育児なのか どうなんでしょうか。 さて、これでうまくトラックバックになるのでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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