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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2007.12.10
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カテゴリ:カテゴリ未分類
最初にワークショップのお知らせです。

子育てワークショップ in 茅ヶ崎
「2才から7才までのしつけ」
(気質と、子どもとのコミニケーションからしつけを考える)

日時: 2008年1月20日(日) 10:00~11:50
詳細はチラシをご覧になって下さい。
講師は私です。
2才以上のお子さんの保育あります。

<以下は、チラシに書いた説明文です。>
 7才までのしつけで一番大切なことは子どもとの間にしっかりとした信頼関係を築くことです。“あれをしてはいけない”、“これをしなさい”と子どもを追い立てることではありません。ましてやお母さんの言うことを素直に聞く子どもに育てることでもありません。
 それだけでは心配ですか?
 でも、お母さんとしっかりとした信頼関係でつながっている子は、優しくて、賢くて、精神的に安定しているものなのです。(但し、大人しいということではありません。気質の問題もありますから。)そして、そういう子は大人の言葉にも素直に耳を傾けることが出来ます。ですから必要以上にしつけで悩むこともないのです。
 それに対して、お母さんとの信頼関係が築けていない子は落ちつきがなく、大人の言葉を聞こうとはしません。それで、指示や命令が必要になり、しつけに悩むようになってしまうのです。

*******************************
「教育の形」(ものがたりを紡ぐ授業)

昨日、
この、創造的あることと関係してきますが、“ジャンルにとらわれない”ということも大切です。
この問題は指導要領とも関係しているので、日本の教育でこれを実現するのはなかなか困難だと思います。
子どもたちにしてみれば、別々のことだと思っていたことがみんなつながっていたという事を知るのはワクワクするものなのです。新しい“ものがたり”が産まれるからです。


と書きましたが、昨日三重に行く電車の中で読んでいた本の中に、これに関係する授業を見つけましたので一つご紹介します。
「イーハトーボ小学校の春」(井出良一著/一ツ橋書房)から

「km授業」

 まず、50メートルのまき尺をもち、わが桜台小学校の東門から中学校のほうへむかって子どもたちとはかりながら歩いた。子どもがはかった距離をノートに書きこんでいく。1000メートルは中学校の正門よりちょっといったところ。帰るとき、中学校の三階の教室の窓で昨年卒業させた子どもたちが鈴なりになって私に手をふる。私も手をふりながら、窓から落ちないか心配だ。
 教室で、西門から1キロメートルはどのへんかを考えた。子どもたちはいろいろ答える。「もう一回はかりにいこう」と言うから、私が「教室にいてわかる方法があるよ」と言うと、子どもたちは、しばらく考えて、ついに、高槻市と大阪府が両面に刷ってある大きな地図を出す。そこで縮尺を教えて、買ったばっかりのコンパスを出させてーキロメートルの円をかかせる。「わあ、西大冠小学校のつぎの信号の、ちょっと手前やった」 
上高槻市の採石場や天満宮、明治製菓(社会見学でいった)などまでの距離をはかる。
 つぎの時間は大阪府の地図へ。堺市まで35キロメートル。「堺という町はね、むかし……」と
いろいろ話してやりながらつぎの市へ。大阪府でたったひとつの村である千早赤坂村まで四五キロ
メートル。南のはしの岬町、北の能勢町……とはかって、隣の京都市まで23キロメートル。
 つぎの時間は日本地図へ。北海道の稚内市までは1300キロメートル。「稚内の駅をおりると
映画館があって、なんとなくうらさびしくって、サロベツ原野には底なし沼があってね……」などと話しながら札幌市までは1050キロメートル。青森市までは820キロメートル。札幌がアイヌ民族のことばであることとか、青森のりんごやねぶたのこととか、そのほか坂本龍馬、広島のカキ、原爆など、いろんな話をしてやりながら沖縄の与那国島1680キロメートルまでいく。
 そのあとの給食にりんごがでる。子どもたちは「青森のりんご、青森のりんご」とよびかけながらりんごを配っている。ちょうど昼休みに同僚の先生の田舎からカキがおくられてきた。さっそくいただいて子どもとスケッチをする。生きたカキを見るのははじめてらしい。
つぎの時間は世界地図へ。サンフランシスコとモスクワは日本から同じ距離なのを発見する。
 そして、太陽系へ。月までの距離、太陽の直径、太陽系の直径を調べる。太陽と冥王星、太陽と地球の距離から地球と冥王星の距離を計算する。      ’
 銀河系宇宙。ここで一光年の計算をする。光は一秒間に37万キロメートル進む。一年間の秒を計算してかければよい。シリウス、ケンタウルス座のアルファ星、デネブなどの距離を調べる。
 それから、大宇宙ヘー。                          (一九八七年)


こういう授業をやっていた先生がいたのですね。
こういう授業なら子どもたちがワクワクしますよね。

子どもたちに知識を伝える時にはまず自分の生活につながったところから具体的に始めて、それをたぐりながら広げていくと、自然に引き込まれるのですね。宇宙のことと、自分の学校がつなってしまうのですからすごいですよね。
この文章を読んでいて心の中に色々な“ものがたり”が生まれませんか。
そして、“次はどうなるんだろうか・・・・”と紡ぎたくなりませんか。

でも、教科書には宇宙のことは書いてあっても、自分たちの生活とはつなげて書いていないので、自分たちとは関係のない話しとしてしか聞くことが出来ません。でも、それでは興味が出ないでしょうね。
それをつなげるのが先生達の役目なのではないかと思います。
でも、それは先生達が自分で発見するしかないのですよね。
そして、忙しい先生にはそれは出来ません。

この授業の舞台は大阪のようですが、これも北海道の学校でやったら違う授業になるのが自然ですからね。
そして、そういうことは指導要領には書いてないでしょうね。

昨日講演が終わった後、小学校の先生と別の講演会の打ち合わせをしたのですがその時お話ししたのが“小学校の先生の役割は学問という世界へのガイドなのではないですか”ということです。

小学校の先生はその分野の専門家ではありません。国語を教えていても国語の専門家ではありません。算数を教えていても算数の専門家ではありません。小学校の先生というものは教える専門家であって、学問の専門家ではないのです。

だから、いつでも学問というものに対する謙虚さを持っていて欲しいと思います。勝手に“正解”を決めないで欲しいと思います。
もっと、学ぶことの楽しさを伝えるということを大切にして欲しいと思います。
それが小学校の先生の役目なのではないかと思うからです。

“教えたのに覚えていないのは子どもの責任だ”と子どもの責任にしてしまうのは教えるプロとしては無責任です。“教える”のではなく、きちんと“伝えて欲しい”のです。
また、つまらない知識を子どもに押しつけないで欲しいと思います。
学ぶことを嫌いにさせないで欲しいと思います。

先生は学問の世界へのガイド役として、“学ぶってこんなに楽しいんだよ”、“国語を学ぶとこんなに広い世界が見えてくるんだよ”、“算数を学ぶとこんなすごいことが分かるんだよ”ということを伝え、“あとは自分の力で進んでみなさい、困ったら助けてあげるから”と後押ししてあげればいいのです。

こういう授業をしていたら学級崩壊など起きないのではないでしょうか。

これは子育ての場でも同じではないでしょうか。
実は、親は人生のガイド役で、“生きるってこんなに楽しいんだよ”ということを子どもたちに伝えるのが親の役割なのではないでしょうか。

皆さんは、どう思いますか。





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Last updated  2007.12.10 12:17:07
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