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昨日の夜、友人達が企画した自主上映会で「祝の島」という映画を見ました。この映画は
有名な『ミツバチの羽音と地球の回転』という映画の番外編のような映画で、原発のことよりも「祝島」(いわいしま)の人々の日々の生活や素顔の方に重点を置いています。 原発に対する祝島の人々の活動は、歴史的、地理的な多くの偶然が重なって生まれています。ですから、祝島の人々の活動は、「原発を廃止に追い込みたい」と願う人達に、「なぜ原発に反対しなければいけないのか」という原点を教えてはくれますが、だからといって彼らとは異なる歴史を負い、異なる生活をしている私たちが、彼らと同じように感じ、彼らと同じように行動出来るわけではありません。 それは、もし茅ヶ崎に「原発を作る」という計画が起きたとしても、私たちは祝島の人達のように26年間も戦い続けることは出来ないということです。 それはどんなにあの映画に感激した人でも同じです。なぜなら、私たちは茅ヶ崎がなくても生きていくことが出来るからです。 それに対して、祝島の人達は、祝島やその周辺の海がなければ生きていくことが出来ないのです。 それは単に、祝島の人達が漁業で生きているからだけではありません。そうではなく、祝島の人達にとって「海」は生活の一部であると同時に、生命の一部だからです。 長い歴史の中で、祝島の人達は海とそのようなつながりを作ってきたのです。そして、私たちの祖先もまた、大地や海とのそのようなつながりの中で生きていたのだろうと思います。 その関係は「搾取するもの」と「搾取されるもの」という関係ではありません。「感謝」と「思いやり」でつながった関係です。だからこそ「かけがえのないもの」であり、生命をかけて守る価値があるのです。 それに対して、そのような「つながり」を失ってしまった私たちは「根無し草」です。自然に対しても、人間関係においても「根無し草」です。 私たちは、同じ地域に住んでいるから、利害関係が一致しているから、同じような子どもがいるからつながることが出来るわけではありません。それらは「つながりのきっかけ」ではありますが、お互いの間に感謝と思いやりがなければつながることは出来ないのです。 人間との人間のつながりも、人間と自然のつながりも基本は同じなのです。 そして、今ではほとんどの日本人が、「根無し草」になってしまっています。漁業や農業で生きている人たちも同じです。 大地や海のことを心配しないで、収穫量や漁獲高の方を心配する人は、大地や海とつながっていないのです。 その「根無し草」にとって一番大切なのは「自分」と「お金」だけです。 「根無し草は」自分や自分に関係するものは守ろうとします。でも、「根」がないので強い風が吹けば簡単に転がっていってしまいます。 そういう人はいつも不安です。だから、根を張って生きている人にあこがれます。そのような生き方をしている人達に会うために遠くまで行く人もいます。 そうやってコロコロ転がって生きている人がいっぱいいます。そのような人は「素晴らしい人」の話をいっぱい知っています。でも、自分はその人達のようには生きていません。転がってばかりいるので根を張ることが出来ないからです。 私たちは遠くに求める必要はないのです。理想を遠くに求めてしまったら「根無し草」になってしまうのです。それは現代人の悪い癖です。 今自分が生きている場所、生活している場所に全てがあるのです。ただ「それ」に気付き、「それ」とつながればいいのです。そうすれば全てが手にはいるのです。つながりがないから、何もないように感じてしまうだけなのです。 そのためにはまず「遠くに求めない」ことです。「人をうらやまない」ことです。そして、自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意志と責任で行動することです。 確かに、私たちは祝島の人達のように、豊かな自然やそこで生きるための生活や智恵を受け継いでいるわけではありません。(そういう人もいるかも知れませんが・・・) でも私たちは例外なく、35億年間途絶えることなく受け継がれてきた生命を生きています。そして、45億年の歴史を持つ地球に支えられて生きています。 私たちのからだの中には生命の智恵がぎっしり詰まっています。 子どもたちは「人間はいかに生きるべきか」を教えてくれます。 風は悲しみを吹き流し、喜びを運んでくれます。 太陽は生きるエネルギーと幸せを運んでくれます。 木々や、草木や、花々は、空気だけでなく喜びを与えてくれます。 子どもの笑顔は生きる元気を与えてくれます。 毎日の食べ物は生きている実感と、活力を与えてくれます。 本を開けば昔の人や世界中の人と出会うことが出来ます。 仲間がいれば、一人では出来ないことが出来ます。 お金がなくても、頭やからだを使えばもっと楽しく色々なことが出来ます。 他に何が必要なのですか。 このような「持っていないもの」ではなく、すでに「持っているもの」に気付いていくことで根っこが生えてきて、転がらなくなるのです。 すると「本当に大切なこと」「本当に守らなくてはならないこと」が見えてくるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
今回のは大変よかったです。
私も根無し草な考え方を今もしているように思います。 ただ、焦らされている社会が今の日本に思います。 じっと足元を見ることが大事なのですが、「もっと即戦力」「すぐに働けるもの」と焦らされているような・・・ 私のような「半ニート」から、お子さんまで、それです。 まあ早いに越したことはないのでしょうが、それでも自然の道理に逆らってまでは早くは成れない。 一見遅く見えても、自然の速さに合わせるのが一番早いのですが・・。 それは「市場経済的価値観」「科学的思考」のみで行く社会には、それが見えないし、わからない。それでずいぶんと、個人も社会も時代の自然の変化に遅れてしまったように思いますが・・。 再見! (2011.06.08 10:47:36)
「素晴らしい人」の話をいっぱい知っています。でも、自分はその人達のようには生きていません。転がってばかりいるので根を張ることが出来ないからです。
上記の文面ですが、自分自身最近凄く感じることです。 いい事言ってる人が自身腑に落ちてる言葉なのだろうかと 感じてしまいます。 自分の身の回りに居る人からの学びが一番大切な気がしてます。ありがとうございます。 (2011.06.08 11:29:38)
今日もとても考えさせられる日記でした。
先日、チェルノブイリの被災者支援を行ってきたお医者さんのお話をきいてきました。 チェルノブイリや福島、直接被爆にさらされて今も汚染地に住んで健康被害に悩ませれている、そんな状況にある人と同じように感じることはできません。 が、違う場所、違う立場にいるからこそ原発の問題にまた違ったアプローチができるのではと思います。 「根無し草」の理想論よりつながりあい行動を共にする「草の根」の運動が何倍も何十倍も力を持ちます。 〇〇がなくても生きていけるが 日本でとれた野菜がなくても、日本でとれた魚がなくても、日本で作られた製品がなくても・・・・では悲しすぎる。 日本という国で生きているだけ そんな根無し草になりたくはないです。 ただ為政者はつながりがない「根無し草」の方が都合がいいのでしょうね。 たくさんあったSNSが3月以降閉鎖が相次いでいて おそらく規制がかかっているのだろうと思います。 つながりの持つ力、自覚して行動していきたいです。 (2011.06.08 11:54:13)
今日のお話しを読んで、アメリカン・インディアンのシアトル酋長の話しを思い出しました。
アメリカ先住民(インディアン)を迫害し土地を奪う交渉をしてきたアメリカ大統領に対して宛てた手紙…と言われていますね。 確か『ブラザーイーグル、シスタースカイ』というタイトルだったでしょうか。 鷹は我々の兄弟 天空は我々の姉妹 川をたゆまなく流れる水は祖先の血、 風は、生まれてきた赤子に息を吹きかけ、命がつきる最期の時には息を吸い取る… 深く、しかし淡々とつづくあまりに美しい文章に、何度も何度も読み返しました。 まるで情景が目の前にばあーと広がるような、物語のような手紙です。 (2011.06.08 14:05:56)
なにから伝えたらよいか、溢れる思いを鎮めます、深呼吸……。
自分の感覚で感じ、自分の頭で考え、自分の意思と責任で行動する。 ほんとにほんとにそうだと思います。 私も昨日祝の島を見たので、森の声さんの感想にドキドキしました。 おそらく私はあまのじゃくだからそう思ってしまうのか?と考えてたのですが、今日のブログに自分の感想と共通する大事なものがありました。 私も思ったのです。 素晴らしく美しい暮らしと人々、こんな日々の営みをしてる人々がいるのだなぁ。 自然に生かされ感謝してる営み、暮らしにも感動しました。 でも私の中に、ここは祝の島。 というものが冷静にあったのです。 ここをうらやましいと思ってしまったら、自分の人生を否定してしまうのではなかろうか? うちは裕福でなかったから、弟や妹が貧乏は不幸と思うことがいやだった。 貧乏は不幸じゃない。 あれもこれもないけどちゃんと在る有る。 それでも成長という欲求もあるし、便利は悪いことじゃない。 工夫しながら人並みに追い付いてた。 私は横浜だったし祝島ではない。 そうやってきた自分を否定したくなかった。 あれは祝島。 そして今、茅ヶ崎で暮らしている有り難み、東北の方には申し訳ないけど本当にありがたいです。 私はなぜ茅ヶ崎なんだ?と深く問い掛けました。 茅ヶ崎の暮らしを見つめ直したい。 祝島のように生きるでもなく、あのメッセージを受け止めて、茅ヶ崎の生活をしたいと思いました。 ネット社会はスピーディーだなぁ。 人間大好き人間は大事なところには時間をかけたい。 大切なもの、かけがえのない大切なものは失って気付くのではなく、一緒に居るときから大切にしなきゃいけない。 人に限らず。 自然に生かされ感謝し共存していれば、行き過ぎな違和感には気付くはず。 それは感覚だから、自信を持って生きていきたい。 大切なものを大切にする。 (2011.06.08 20:38:27)
息子と寝て、今再び起きてきました。
今日のブログが今の自分に染みて、再び読み直してました。 二回目の投稿です。 大切なものはすべてここにある。 「今自分が生きている場所、生活している場所にすべてがあるのです」 このメッセージに心を打たれました。 本当に本当にその通りだと思います。 大切なものは外には無い。 必要な答えも外には無い。 すべては自分の中にある。 そのあるものに気付くのは逃げずに向き合ってみることだったり、失う前に気付くことだったり、失う前に気付くということは、自分にとって何がなくともこれがあると、心がけていられるか? 大切にすること。 答えが自分の中にあるというのも、自分を大切にしなければ気付かない。 外ばかり見て、失敗も外に見てたら気付かない。 すべては自分の中にある。生かされてる命、この命に感謝したら、多くは望まない。 私が生かされてる大切な自然、大切な、家族、親、仲間、が在る。 私はどうやって大切にする? 見えないものを見て聞こえないものに耳をすます。 自分の声に耳を傾ける、こういうことって簡単じゃない。 シンプルだけど難しい、こういうものを大切にしてたら日常はさほど色々できない。 あるものを大切にするのは簡単じゃない。 私が一人でやってる 「アッタプロジェクト」 答えは自分の中にある。ないないないではなくてアルモノを見ようよ。 それが今日の二回に渡るコメントの投稿でした。 この場を借りて書かせて頂きました。 ありがとうございます。 わたしにつながるすべてのものへ、感謝を込めて。 (2011.06.09 03:41:43)
忠武飛龍さん
>一見遅く見えても、自然の速さに合わせるのが一番早いのですが・・。 「急がば回れ」ですよね。 >それは「市場経済的価値観」「科学的思考」のみで行く社会には、それが見えないし、わからない。 それで行き詰まってしまっているのですよね。 (2011.06.09 10:10:16)
トムさん
>自分の身の回りに居る人からの学びが一番大切な気がしてます。 100%理想の人はいなくても、「ここは真似をしたい」という人はいっぱいいますよね。 そういう人から学べばいいのですよね。 (2011.06.09 10:11:48)
カノンさん
>「根無し草」の理想論よりつながりあい行動を共にする「草の根」の運動が何倍も何十倍も力を持ちます。 すそ野を広げないことには、打ち上げ花火で終わってしまいますからね。 >ただ為政者はつながりがない「根無し草」の方が都合がいいのでしょうね。 そうだと思います。 (2011.06.09 10:14:02)
もりのしずくさん
>今日のお話しを読んで、アメリカン・インディアンのシアトル酋長の話しを思い出しました。 知ってますよ。 私の別のHPでも引用しています。 http://www.geocities.jp/nenemu2001/sonota/taisetu.html 「本当に大切なことはなんなのか」、そういうことを考えさせられます。 (2011.06.09 10:17:46)
ばばぐーりさん
>大切なもの、かけがえのない大切なものは失って気付くの>ではなく、一緒に居るときから大切にしなきゃいけない。 全くその通りです。 (2011.06.09 10:20:31)
>今自分が生きている場所、生活している場所に全てがあるのです。ただ「それ」に気付き、「それ」とつながればいいのです。そうすれば全てが手にはいるのです。
遠くから運ばれてくる、石油を使った生活をするなよ。 人に言うなら、自分がまずやれ。自分ができんことは言うな。 (2017.01.16 14:00:05)
自分は、故郷では居れなくなって、生活しているし、理屈のようにはいかない。自分になりに生きていく。
(2017.01.18 06:39:45)
ただ、揚げ足を取るように言っただけ。
もうタッチはしない。ここへも来ない。 (2017.01.18 07:29:23)
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