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幼い子どもが「物質的世界」を探索する時、それは主に「破壊行動」として現れます。今の形、今の状態を壊すことで、そのものの特性を知ろうとするのです。 ただし、その場合も「破壊」そのものが目的ではありません。自分が何かをすることで元の状態が変化することを楽しんでいるのです。 お母さんが積み木を積むと、幼い子どもは必ず壊します。積んでも積んでも壊します。それでお母さんはイライラします。 なぜなら多くの場合、積み木を積んでみせるお母さんは「遊び方」を教えたいと思っているからです。でも、子どもの方は、「壊れる」という現象そのものや、壊しても壊しても元通りになっていくことの方を面白がります。 箒でお掃除をしてゴミを集めると、ゴミの真ん中に座り込んでまたゴミを拡散させて遊びます。お母さんがまた箒でゴミを集めると、同じことを繰り返します。そしてお母さんは爆発します。 ちなみに子どもには「お掃除」の意味が分かりません。子どもの感覚は古代人と同じなのですが、自然と共に暮らしていた古代の人はお掃除などしなかったでしょう。 絵の具を与えると、全部絞り出します。そしてグチャグチャやるだけで絵は描きません。 でも、そのような活動を通して子どもは自分が生まれてきた物質世界の特性や関わり方を学んでいきます。そしてそのことが子どもの感覚世界を目覚めさせます。 感覚世界に目覚め始めた子どもは、崩してばかりいた積み木を積み始めます。デタラメに描いていたイタズラ描きの中に「意味のある形」が現れ始めます。 靴を並べたり、お人形を並べたり、木の実を並べたりして「並べ遊び」も始めます。 全ての創造的活動は「感覚世界との対話」によって成り立っているからです。これは大人でも同じです。 だからその「感覚」を持たない機械は、製造や製作は出来ても、創造が出来ないのです。 ですから、創造的な活動が始まったということが、「子どもの感覚世界が出来てきた」ということの証なのです。そしてその頃から「お話し」を聞いて楽しむことが出来るようになります。「お話しの世界」は「感覚世界」によって支えられているので、「感覚世界」が目覚めていない状態の子どもは楽しむことが出来ないのです。そして、まだまだ物質世界だけで遊ぼうとします。 逆に言うと、毎日の生活の中に「お話し」を楽しむ習慣を取り入れることで、子どもの「感覚世界」の育ちを支えることも出来るということです。 ただし、この「感覚世界の目覚め」には個人差も大きく、4才、5才になっても破壊活動の方が多い子もいます。もっと大きくなっても破壊行動の方を好む子もいます。 そのような子の場合は、まだ「感覚世界」が目覚めていないので、「創造的な活動」も「お話し」を楽しむことも出来ません。 その原因としては、生活や家族関係を原因とする精神的不安定が大きく関係していると思います。 また、ゲームばかりやっている子も、「感覚世界」がなかなか育ちません。当然の事ながら「感覚世界」が育つためには生身の体験が必要だからです。 さらには、発達障害が関係している場合もあります。 発達障害の子どもの場合、その感覚世界が混乱しやすいのです。そして、独自の「感覚世界」を作りだしてしまうこともあります。その場合、周囲の大人がその子固有の感覚世界の状態を知ることで、コミュニケーションが可能になります。その感覚世界に沿った形でなら創造活動も出来ます。 ちなみに、うちに来ている発達障害の子どもたちを見ていると、(みんなではありませんが)非常にユニークな作品を作る子もいます。そういう子を見ていると、「発達障害も才能の一種なのかな」とも思います。 「感覚世界」が出来てくると創造的な活動だけでなく、「コマを回す」ことや「竹馬に乗る」といったような技術的なことにも興味を持つようになります。 感覚が働き始めたので、他の子がやっているのを見ているだけでも、何となくどうしたらいいのかが分かるようになるからです。 充分に感覚世界が育っている子は、教えなくても、見て学ぶことが出来ます。 でも、「感覚世界」が目覚めていない状態の子は、見ていても分かりません。教わっても分かりません。 大人は「何でもっと真面目に見ないんだ、しっかり話を聞かないんだ」と怒りますが、技術は感覚世界に属することなので、感覚世界が目覚めていない状態の子どもにとっては何をどう見たらいいのかも分からないし、どんなに丁寧に説明されても「意味不明な世界」なのです。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |