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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2013.11.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
最初に参加者募集です。

横浜で「0~2才児までの遊びと子育て」という連続講座が始まります。

まだ余裕がありますので、ご興味がおありの方はこちらまで(小野さん)お問い合わせ下さい。

第一回目は15日(金)で会場は桜木町の「桜木町の市民活動支援センター」です。
10:00~12:00で、お子さんと一緒です。

****************

<昨日からの続きです>

生命は自然の一部として発生し、進化してきました。ですから、いかなる生物においても、その「生命」や「肉体」は自然に属しています。

人間も例外ではありません。どんなに自然から隔離された人工的な社会の中で生活していても、受精や、妊娠や、出産といったものは自然の働きのままに進行します。たとえその受精が試験管の中で起きたとしても、それは試験管の中で自然現象を再現しただけのことです。

そして、死ねば大地に還ります。(お墓もやがて壊れます)

そして、生命や肉体が「自然」に属しているのですから、当然のことながら、生命や肉体の進化や成長や行動も「自然」の一部であり、同時に一つの「自然現象」であるということになります。

鳥が空を飛び、ライオンがシマウマを襲い、アリが砂糖を運ぶのも自然現象です。
私たちが「豊かな自然」という言葉を使う時には、そこに生きている「生き物」たちも、また、その「生き物たちの生活」も全て含めています。

というか、それらを取り除いたら自然は失われてしまうのです。

その自然現象としての生き物たちは、内側からの衝動に逆らうことなく、空腹になれば(目の前に食べ物があれば)躊躇なく食べます。排泄したくなれば排泄し、交尾したくなれば交尾し、眠くなれば寝ます。

自然現象としての生命体は、あるがままにあるばかりです。

なぜなら、「自分」というものを外側から観る眼を持っていないからです。
そして、その「自分というものを外側から見る眼」を持っているのは人間だけです。

人間だけが、進化の過程で「意識」という「自己を外側から見る眼」を得、内側からの衝動に逆らうことが出来るようになったのです。

だから、お昼時になればお腹が空いていなくても食事を食べ、お腹が空いていても仕事中には食べないような行動をとることが出来るのです。

でもそのことで人間は「自意識」というものを持つようになり、自分で自分を否定し、苦しむようにもなりました。

でも、そのような能力を持った人間でも、赤ちゃんにはそのような能力はありません。赤ちゃんのやることは全て自然現象そのものです。

泣きたい時に泣き、排泄したい時に排泄し、食べたい時には我慢できません。食事時間だからといってジーッとしていることも、電車の中だからといって静かにしていることもできません。

でも、大人になるとその我慢が出来るようになります。

では、その境目、人類が進化の過程で「意識」というものを獲得した時期は、子どもの成長の過程の中ではどの辺りになるのかということです。

それが7才頃なんです。


「成長」という名の進化は産まれた後も続いているのです。でも、成長と共に次第にその進化は「肉体」に属する部分から、「心」や「精神」に属する部分へと移行していきます。

それが昨日書いた「進化から成熟へ」という変化です。

でもそのため、分かりにくくもなります。

7才前と後でも、肉体的にはそれほど変化はありませんが、心や精神の状態においては大きな違いがあるのです。

7才頃までの子ども達の意識や感覚は、「人工の世界」ではなく「自然の世界」に属しています。でも、7才頃から次第に「人工の世界」に入り始めます。

子どもによっては、この頃から「自然との分離」が始まります。


7才までの子ども達においては、意識や感覚が「からだ」と一体化しています。だから、「からだの欲求」に逆らうことが出来ません。

そのため、7才前の子どもの子育てや教育では「頭」に働きかけても無駄です。


お母さんが「小さい子には優しくしなさい」と言い、子どもが「分かった」と答えても、子どもはそんな言葉などには束縛されない行動を取ります。子どもの行動を規定しているのは「頭」ではなく、「からだ」だからです。

そんな7才前の子どもに「優しさ」を教えたいのなら、「優しいってこういうことなんだよ」ということを子どものからだに直接体験させてあげるしかないのです。

「優しくしなさいって言ってるでしょ」と怒鳴るのは逆効果です。実際、「優しくしなさい!!」と怒鳴られているような子ほど優しくないものです。

「優しさの体験」がないからです。

そして、まだ自然に属している意識や感覚の世界に生きている7才前の子ども達は、自然の中にいると生き生きとしています。

それが本来の居場所だからです。


私は「室内遊び」も「屋外遊び」もしますが、室内にいる時と、屋外にいる時とでは子ども達の状態が全然違うのです。

室内にいる時にはすぐ「戦いゴッコ」や「奪い合い」が始まるのに、自然の中にいると逆に助け合い始めるのです。

大人が何にも言わないのに助け合って遊び始めるのです。

崖登りをさせると、最初は競争のように登ります。でも、しばらく繰り返していると、上手な子が下手な子の手助けを始めるのです。

昨日は大勢の親子と森の中で「うどん」を作りました。
そこでも自然発生的に子ども達は助け合って遊んでいました。


以下の写真はその場に落ちていた竹をみんなで運んでいる様子です。「何のため」ではありません。ただ、一緒に竹を運ぶのが楽しかったようです。

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粉からうどんを練って、子供用の包丁で切っているところです。

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美味しかったですよ。

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Last updated  2013.11.13 10:34:36
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