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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2015.03.29
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カテゴリ:カテゴリ未分類
明日は朝早くから京都に行ってしまうので、ブログの更新が出来ません。
明後日また覗いて下さい。

*****************

春本番ですね。

ここ、湘南辺りでもここ一週間ぐらいが桜の見頃でしょう。

でも私は、「満開の桜」よりも「花びらがヒラヒラ舞う桜」の方が好きです。桜吹雪の中に立っていると、「この世」とは思えない感覚になります。

でも人はなぜ春になると嬉しくなるのでしょうか。

なぜ、花を見ると嬉しくなるのでしょうか。

子どもの笑顔を見ても、綺麗な夕日を見ても、誰かが誰かを助けているのを見ても嬉しくなりますよね。

でも、よく考えるとこれは不思議ですよね。

何の損得も発生していないのですから。

なんの利益にもなっていないのに嬉しくなるのです。

人は、お小遣いをもらった時や、宝くじに当たった時や、お給料が昇級した時などは喜びます。

その原理はよく分かります。「得」をしたからです。

でも、いつも通りのお小遣い、いつも通りのお給料では「当たり前」ですから、ホッとはしますが、そんなに大きくは喜びませんよね。

実は、「損得」による喜びは、比較によってその価値が決まるので、「今回だけ得した」とか「自分だけ得した」という状況でないと、喜びが薄くなってしまうのです。

たとえば、自分がもらったリンゴが他の人がもらったリンゴよりも大きいと、得した気分になって嬉しいですよね。(人にもよりますが・・・)

でも、みんなと同じだと、嬉しさも「そこそこ」ですよね。

さらに、人よりも小さい時には、リンゴをもらった喜びは消えてしまい、むしろ他の人がねたましくなったり、リンゴをくれた人を恨んだりすることすらあるかも知れません。

子どもだったら「ズル-イ」と騒ぐでしょう。

だから、損得による喜びを追求していると競争になってしまうのです。


でも、我が子が生まれたときの喜びには損得勘定はありませんよね。

とにかく無事に生まれてきてくれただけで嬉しいですよね。

リンゴを苗から育てて、初めて収穫出来たときは、その大きさにかかわらず非常に嬉しいでしょう。

そこにも損得はありません。

でも現代人は、この「損得を超えた喜び」を忘れつつあります。

それが、現代人の心の病の大きな原因だと思うのです。

私たちは、「春が来る喜び」、「花が咲く喜び」、「子どもの笑顔を見る喜び」、「“美味しいね”と顔を見合わせることが出来る人がいる喜び」、「手をつないでくれる人がいる喜び」、「話し相手になってくれる人がいる喜び」、「育てる喜び」、「つながる喜び」をもう一度想い出すべきなんだろうと思います。

ただ問題は、生命の現場にいるお母さん達は「損得を超えた喜び」を体験する機会も多いですが、損得で出来上がっている現代社会の中で仕事をしている男性達には、そのような喜びと出会う機会があまりないということです。


不思議なことに、「生命の世界」では、「他の人の喜び」を聞くだけで自分も嬉しくなります。

でも、「損得の世界」では「他の人の喜び」を聞くと羨ましくなるだけです。

皆さんは、どんな時に喜びを感じますか。どんなことが喜びですか。

是非、教えて下さい。

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Last updated  2015.03.29 09:32:52
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