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「子育て」は、子どもが小さいときは、精神的にも、肉体的にもなかなかしんどいものです。そして人は、苦しみの中にいると、「苦しみ」のことばかりを考えるようになるので、「楽しい」ことも、「未来」も見えなくなります。その結果、永遠にその苦しみが続くかのような錯覚に陥ります。
でも、子どもはお母さんの鏡ですから、お母さんが苦しんでいると、子どもも苦しくなります。そして、子どもは苦しくなると様々な問題行動を起こします。お母さんに変わって欲しいからです。 でも、多くのお母さんは、それを子どもの「反抗」と受け取り、アメやムチを使ったり、力ずくで子どもを従わせようとします。 すると子どもはますます苦しくなり、更に問題行動が増えるか、逆に、「自分」を殺してお母さんに従うようになります。 子どもが「自分」を殺してお母さんに従うようになると、お母さんは「仕付けに成功した」と思い込みます。 でも、思春期を迎える頃から、子どもは自立への不安を感じ始め、お母さんには押さえることが出来ない強さで、それまで押さえ込んでいたものを吐き出し始めます。 子どもが幼いときには圧倒的にお母さんの方が力もあるし、知識や知恵もあるし、立場的にも、権力的にも有利なので、子どもを言いくるめたり、押さえ込んだりすることが出来ますが、思春期の子どもはもうほとんど大人と同じ能力を持っているので、お母さんには抑えることも、言いくるめることも出来ません。 それで、母親や、兄弟に暴力を振るったり、社会的な問題行動を起こすようになったりする子は少なくないです。 先日、高校一年生の男の子が、母親と祖母を包丁で刺し殺す事件がありましたが、その男の子もそのように育てられたのでしょう。 近所の評判では「大人しい子」だったようです。これは、大きな事件を起こした子の特徴として最近よく聞かれる言葉です。 そのような「自分を抑えている子」が、唯一逃避出来る場がゲームの世界です。ですから、そのゲームを取り上げようとすると、必死になって抵抗します。「逃避出来る場所」が消えたら生きて行くことが出来ないからです。 ただし、実際には、そこまで大きな事件を起こすような子は滅多にいないので、みなさんは安心して下さい。 でも、兄弟や家族に暴言を吐き、暴力を振るっている子は結構います。 教室に来ていた子でも、「お兄ちゃんに殴られている」と言っていた子は数人います。 そのようなことが起きると、親としては「子どものために」と頑張ってきたのにそれを裏切られた気持ちになるでしょう。 でも、子どもとしては、小さいときから自分の気持ちが否定され続けてきたので、それと同じことを親に対してしているだけです。 たとえ、「子どものため」という想いからの強制でも、親に否定され続けた子は、親を否定する子に育つのです。 そういう親子関係が出来てしまうのです。 子どもは「良い子になりたい」などと望んではいません。「勉強が出来る子」にも、「仕付けが行き届いた子」にもなりたいなどとは望んではいません。 そういうものは全て、「親が子に望むもの」であって、「子が親に望むもの」ではないからです。 子どもはただお母さんやお父さんの温もりと、見守りと、励ましが欲しいだけです。 側に居て、ニコニコしていて欲しいだけです。 そうすれば、子どもは自分の成長に必要なものは自分の力で何とかするのです。 でも、そのことに気付き、そういう「子どもが求めているもの」を充分に与えることが出来ている人は多くないような気がします。 それでも、子どもはやがて自立して家を出て行くでしょうから、その時点で「子育て終了」となります。 というか、そのつもりですよね。 でも、最近は家を出て行くことが出来ない子も増えてきています。 そうなるといつまでも子どもの世話をしなければならなくなります。 また、「自立して出て行ったらそれで終わり」と思うかも知れませんが、話はそう簡単には終わらないのです。 皆さんが老いて、子どもの世話を受けなければならなくなった時に「話の続き」が始まるのです。 お母さん達はよく「お漏らしをした」と言って子どもを叱りますが、皆さんも年を取ったらお漏らしをするようになるのです。 オムツもするようになります。 年を取ると、お漏らしをしてはいけないと分かっていても出てしまうようになるのです。 また、物忘れも進んで、「なんべん言ったら分かるんだ」という状態にもなります。 動作もゆっくりになるので、「なんで早く出来ないんだ」と追い立てられる状態にもなります。 そういう状態になると、子どもが小さかったときと立場が逆転するのです。 そして、皆さんが子どもに対してやったことを、そのまま皆さんは子どもからやられることになります。 今、皆さんがお子さんに対してやっていることを自分自身がやられたら、どんな気持ちになるのでしょうか。 喜ぶようなこと、幸せな気持ちになるようなことをしてもらえそうですか。 ちょっと想像してみて下さい。 そこに「子育てのヒント」があります。 「子育て書」など読まなくても、実はみんな「どうしたらいいのか」知っているのです。自分がして欲しいようにしてあげるだけですから。 それを「子どもの犠牲になりたくない」と言って嫌がる人がいますが、やがてそれは自分自身に返ってくるので、自分のためでもあるのです。 「目の前の子ども」は「年老いたときの自分自身」なんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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