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心が急激に成長する時期に、会話や対話によってちゃんとした言葉を学ぶことが出来ないと、心や、からだや、意識や、知性など、様々な面での遅れが生じます。
意外かもしれませんが「からだの成長」にも影響が出るのです。 ただし、筋肉骨格系ではなく、それを動かす神経系や感覚にです。 つまり、「見た目」は同じですが、「中味」が違ってくる、ということです。 そのため、その遅れが「障害」のような状態として現れることもあります。 幼児期にテレビばかり見たり、ゲームばかりやって「人と人との関わり合い」や、「言葉との出会い」や、様々な体験を通しての学びが極端に少ないと、必然的に「人と人との関わり合い」や「他の人とのコミュニケーション」が困難になります。 そういうものは「体験を通して学ぶもの」ですから、それは当然の結果です。 自転車に一回も乗らないままで、自転車に乗れるようにはなりませんよね。 水に入ることなしに、水泳が上達することもありませんよね。 そして、そのような状態で生活している幼児も増えてきているような気もします。 「今だけ」などと軽い考えで、幼い子どもにゲーム機を与えたり、テレビを見放題にさせていると、それが麻薬のように働きかけ、子どもは大人しく時間を過ごすようになります。 すると、お母さんは効率的に仕事をこなすことができます。 でも、一度中毒になってしまうと、それでしか遊ばなくなります。 それで、「これはまずい」と気づいて取り上げようとするのですが、すでに中毒になってしまっている子は、それらを取り上げようとすると異常な勢いで怒り出します。 それで、やむおえずまた与えます。 その結果、「他の人とのかかわり方」や、「コミュニケーションの方法」などが分からなくなり、集団の中でも自分勝手に行動するようになります。 そのような状態の子でも本能的に他の子と関わりたいのですが、「関わり方」が分かりません。他の子も嫌がります。そのため一緒に遊ぶことが出来ません。友達も出来ません。 そして、いつも叱られることになります。 でも、どうしていいのか分からないのでパニックになります。 そのような状態が「障害児」に見えることがあるのです。 でも、これは本質的な意味での「障害」ではないので、お母さんが早くにその問題点に気づいて生活を変えれば、子どもの年齢が低ければ低いほど人間らしい落ち着きが育っていきます。 このように、生育環境が子どもを「障害」のような状態にしてしまうこともあるのです。 子どもは周囲にあるものは自分の力で吸収して学んでいきます。言葉など教えなくても、言葉を使って生活している人たちの中で育っていれば、自然と「言葉」が話せるようになるのです。 でも、そんなすごい能力を持っている子どもたちでも、生育環境の中に存在していないものはどうやっても学びようがないのです。 それとは逆に、何らかの原因があって生まれつき「障害」を持っているような子でも、会話や、対話や、人と人との関りや、様々な体験を通した学びが多い環境で育てば、それなりに落ち着いた状態になります。 軽度の障害なら、幼児期には発達が遅かったり、障害が目立っていても、成長とともに言われなければわからない状態にまで成長します。 そして、障害が「障害」ではなく「個性」へと変化することもあります。 人間の成長にとっては、それだけ「幼い時の環境が大切だ」ということです。 ですから、「障害の有無」など気にしてもしょうがないのです。 「育てにくい」というだけの理由で子どもを「障害児」にしていたら、ますます「障害児」は増えるばかりです。 それよりも、子どもたちが生き生きとすることが出来る環境を与えてあげることです。 大人がいっぱい話しかけ、子どもと色々なことを話し合うことです。 仲間といっぱい遊び、自然の中で様々な体験をすることです。 他の子と違うところはその子の「個性」であり「長所」です。 「違い」は「短所」ではなく「長所」なんです。 私は物理学科の出身ですから、保育関係の勉強はしてきませんでした。 それで、「ポランの広場」という親子で遊ぶ幼児教室を始めてから、様々なことを学び始めました。 療育についても本を読みました。 そうしたら、何のことはない、療育の現場でやっているのは「ポランの広場」でやっているような遊びが中心だったのです。 ということは、昔の子どもたちは、多少は「障害の素質」があっても、遊びの中で自然と療育が出来てしまっていた可能性があるのです。 でも、そのような環境は失われてしまいました。 そういうようなことが、発達障害の子が増えてきているように見える現状につながっているのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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