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一般的にお母さん達が意識している「しつけ」には、生活習慣的なものが多いですが、時々、「ガマンをしつける」ということも大きな問題になります。
特に、男性の方がこの「ガマンのしつけ」には熱心なようです。 それは、男性の多くが「お金を稼ぐためにはガマンが必要なのだ」と考えているからなのでしょう。 実際、多くの男性が、ガマンしながら会社に行っています。 でも、そのような「お金を稼ぐためにガマンして会社に行っている人」ほど、お金を稼ぐための場ではない家庭の中では、自分の欲望に従ってワガママに行動してしまう人が多いような気がします。 「おれはおまえ達のために会社でガマンして働いているのだから、家にいるときぐらい自由にさせてくれよ」ということなのでしょう。 それで、会社でいっぱいガマンしている人ほど、休日には一日中ゴロゴロしていたり、ゲームなどの自分の趣味に没頭して、子育てや家庭のことには関わろうとしないのです。 そういうお父さんの姿を見て、子育てを通して一日中ガマンしているお母さんは、イライラしてきます。 特に、「子育て」真っ盛りの時には、土日だろうと、夜だろうと、「ガマンしなくてもいい時間」などないからです。 でもその一方で、いっぱいガマンしているお母さんは、自分が楽になるために、子どもに「ガマン」を押しつけます。 お母さんが子どもに合わせようとすると「ガマン」が必要になるので、子どもにお母さんに合わせるように求めるのです。 そして、子どもの本能や、欲求や、自分らしさを「ガマンしなさい」の一言でコントロールしようとしています。 他にも子どもたちは、「成績を上げるためのガマン」や、「学校を卒業するためのガマン」や、「先生に叱られないためのガマン」などが求められています。 また運動部などでは「勝つためのガマン」や、「チームワークのためのガマン」や、「監督に叱られないためのガマン」なども必要になります。 そして、多くの大人がこのような「ガマン」は、子どもが社会人になった時に必要になるとも考えています。 だから、熱心に「ガマン」を仕付けようとしています。 でも、このような「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は心とからだの健康にはよくありません。 このようなガマンをズーッと続けていたら、心とからだが壊れてしまいます。 そして子どもは、自分の心とからだの成長を阻害するようなことは本能的に出来ませんから、このようなガマンはできません。 生理的に出来ないのです。 「泣くんじゃない!!」と怒鳴っても無駄なんです。 「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は思春期が近くなって、自我が育ってこないと出来ないのです。 そのため、大人は子どもを脅かし、恐怖でガマンさせようとします。 また、「お母さんの言うことをちゃんとやってくれない子は嫌いだな」などと、愛情を餌にして子どもの行動を支配しようとします。 これは結構効きます。 でもその代償に、子どもの自己肯定感は失われ、子どもは孤独になり、苦しくなります。そして、その苦しみは一生続きます。 いつも「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」をしている人に限って、自分が楽になるために子どもにもガマンを求めるのです。 「あなたのためよ」などと言いますが、本音では自分が楽になるためです。 でも、「ガマンの押しつけ」をしていると、「ガマンできない子」に育ってしまうのです。 「見返りや罰則があるからガマンする」というのは、本当の意味でのガマンではないのです。 子どもは「自分を押さえ込むガマン」や、「自分の心を否定するようなガマン」は出来ません。 でも、5才頃から、誰からも叱られなくても、見返りがなくても、罰則がなくてもガマンすることが出来る子はいます。 それはどういうことなのか、ということです。 実は、そのような子もまたガマンしているわけではないのです。 例えば、子どもが一枚のビスケットをもらったとします。 普通はたった一枚ですから子どもはそのまま食べてしまうでしょう。 でもそこに小さな弟がいたとします。そして、弟も食べたがっていたとします。 すると優しいお兄ちゃんなら二つに割って半分をあげるでしょう。 一見それは「ガマン」に見えますが、そうではないのです。 二人で食べた方が嬉しいから、二つに割ったのです。 自分の欲望を抑えて半分あげたのではないのです。 結果としては、ガマンしたことになるのですが、子どもはガマンしたわけではないのです。 この違いが分かるでしょうか。 優しい子はガマン上手な子でもあるのです。 そして、こういう子は「ガマン」を押しつけられていない子です。 それに対して、ガマンを押しつけられている子は「ガマンが出来ない子」になってしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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