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最近の子は、「何かを作った経験」も、「何かを作っているところを見る経験」もあまりありません。
いつも買ったもので済ませてしまうからです。 学校などの工作でも、キットになっているものを組み立てるだけです。 ナイフやノコギリなどの刃物を使って素材から作らせることはあまりありません。 そのため、手順通りに作ればみんな成功します。そして、結果は売り物のように完成されています。 「正解」決まっているので当然結果はみんな同じになります。個性が現れようがないのです。 そのため、名前を書いておかないと自分のものが分からなくなります。 また、ちゃんと作れて当たり前で、ちゃんと作れていないとすれば、どこかで間違ったのです。 そこにあるのは、「作る(創る)喜び」ではなく、単なる作業と評価だけです。 そのような工作でも、「構造」は分かります。 というか、学校での工作は、「作る体験」を目的としたものではなく「構造の理解」だけを目的としたものなのではないかと思います。 だから、失敗をしてはいけないのです。 失敗した子は、先生の話をちゃんと聞いていなかったか、手順の理解が間違っていたのです。 それに対して、昔の子どもたちは、素材の段階から、ナイフやノコギリを使って作っていました。 与えられた部品を組み立てて作るのではなく、森や林や野原に行って素材を集めるところから作り始めたのです。 凧を作るときは、「竹ひご」から自分で作ったのです。 ですから、男の子はほとんど全員いつもナイフを携行していました。 それで、ヘビやカエルの解剖も行いました。 そういう状況で作るので、当然最初からうまく出来ることは滅多にありません。 成功した友達と同じように作っても、自然界の素材は一つ一つ違うし、道具の使い方の能力も違うので、同じ結果にはならないのです。 そのため、間違いなく最初に作った「凧」は飛びません。 でもそれは「失敗」ではなく、それが普通だったのです。 そこから「飛ばない原因」を考え、工夫し、何回も作り直して、少しずつ上達していったのです。 また「正解」もないので、形や出来上がりを他の子と同じにする必要もありません。 自分らしく作ってもOKだったのです。 そのような考え方なら全てが「過程」になります。「結果」がないのですから「失敗」もありません。 だからこそ、その過程が楽しかったのです。 その過程で、多くの「発見の喜び」と、「スキルの上達」と、「自分自身の成長」を実感できたからです。 でも、買ってきた凧や、組み立てるだけの凧なら、最初から飛ばなければ不良品です。 それは「ちゃんと出来て当たり前」の世界です。 そこには「発見の喜び」も、「スキルの上達」も、「自分自身の成長」も、「個性の表現」もありません。 でも、最近の子のほとんどが、失敗を楽しむことができません。 失敗を非常に嫌がります。 私なんかは、「何かを作ったり、何かをするときには失敗から始めるのが当たり前」と思っているのですが、最近の子は最初から成功を求めるのです。 そして、成功しないと一気にやる気を失うのです。 うちの教室でも、作り方を教えても、自分でうまく作れないと、「先生の教え方が悪いからだ」と言われます。 教え方もなにも、トンカチも、ノコギリも、ナイフもちゃんと使えない状態で、ちゃんとしたものが作れるわけがないのですが、最近の子は作り方さえ教えてもらえればちゃんと作れると思い込んでいるのです。 失敗しても「自分の技術が未熟だから失敗した」とは考えずに、「教え方が悪かったら失敗したんだ」と人のせいするのです。 道具や素材のせいにする場合もあります。 ノコギリで木を切っても、当然のことながらあまり体験がないからうまく切れません。すると、「このノコギリは不良品だ」とか、「木が堅くて切れない」と文句を言うのです。 ハサミで布を切るのはなかなか難しいです。 ちょっとしたコツが必要です。 でも、子どもたちはそれを「自分の技術がないからだ」とは考えずに、「ハサミが悪いんだ」と考えます。同じハサミを使って、私が普通に切って見せても、再チャレンジはしません。 そして、「先生、もっとちゃんとしたハサミを買っておいてよ」と言われます。 中には、先生や、道具や、素材のせいにするのではなく、「自分には能力がないからだ」と一気に自己否定を始めてしまう子もいます。 すると、私がいくら勧めても、「ぼくには出来ないから」と言って手を出そうとしなくなります。 やってみようとせず、最初から「ぼくはハサミが苦手だから先生切って」と持ってくる子もいます。 「そこから少しずつ成長していけばいいんだ」という発想がないのです。 この「ちゃんと出来て当たり前」「失敗は間違いだ」「うまく出来ないのは相手のせいだ」という感覚が、子育ての場でも働いているとしたら、これは恐ろしいことです。 失敗は成長のチャンスです。 失敗を繰り返さないことには人は成長しないのです。 失敗から逃げていると、成長も逃げてしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
〉この「ちゃんと出来て当たり前」「失敗は間違いだ」「うまく出来ないのは相手のせいだ」という感覚が、子育ての場でも働いているとしたら、これは恐ろしいことです。
色んなやり方や正解がそこら中に溢れている世の中で、自分の感覚に頼って何かをすることが本当に少なくなりましたね。何かをする時はとりあえずネットを検索する(笑) 情報が溢れ、便利なものが溢れているけど、それに使われるのではなく、自分のために上手に使えたらいいな。 自分で工夫して作り上げる楽しさや、物や知識と上手に付き合う方法を自分もそうだけど、子どもたちに伝えてあげたいです。 (2016.06.17 21:37:14)
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