|
カテゴリ:カテゴリ未分類
人は「人とのつながり」の中で生きる生き物です。
文化も、経済も、精神性も、人間らしさも、科学も、知性も、全て「人と人のつながり」の中で生まれたものです。 そのため、「人と人のつながり」が失われれば「人間らしさ」もその必要性を失い消えて行きます。 現代社会では、食料さえあれば一人でも生きていくことが可能ですが、孤独に苦しむことになります。 子孫を残すことも困難になるので、そのような人が増えれば、人類は活力を失い、退廃し、滅亡の危険が訪れます。 「文化」と呼ばれるものは全て、人と人のつながりの中にしか存在できないものなので、一人で生きていく人が増えれば、必然的に「文化」も退廃します。 経済も、生産する人が消え、消費する人ばかりになってしまうので、衰退します。 生産のための労働自体はロボットでも可能ですが、新しい商品の開発や販売はロボットには出来ません。 「言葉」も消えます。 知識は記録されているので消えませんが、「言葉」が消えたら、その知識は使い物になりません。知識に生命を与えているのが「言葉」だからです。 また、学校などで多くの言葉を学んでも、それが生活や、自分の感覚や体験とつながっていないのなら、それは「死んだ言葉」です。 試験の時にしか役に立たない言葉です。 「文化」が消えれば、「心の育ち」や「からだの育ち」を支えるものがなくなるので、精神的に退化します。 そして、これらのことは確実に現在進行形で起きている出来事です。 政治の世界にもその影響は出ています。 与党も野党も、最近の政治家の幼稚化は異常です。 みんなIQは非常に高いのでしょうが、精神的には幼稚な感じがします。 みんな、どこからかコピペしたような素晴らしいことを言うのですが、そこにあるのは言葉だけです。 子育てや教育の世界でも同じような幼稚化が起きています。 でも、人と人のつながりが希薄になってしまっているので、その現実が見えにくくなってしまっているのです。 子どもの言語能力が低下していても、言葉を使う必要がない生活をしているのなら、その事には気づかないのです。 思考能力や身体能力に関しても同じです。 私はこのような状態に強い危機感と不安を感じているのですが、多くの人はそのことに関心がありません。 関心があるのは、「我が子が言うことを聞かない」「宿題をやらない」「勉強をしない」「おっぱいをやめない」「おむつが取れない」「ゲームを止めない」というようなことばかりです。 そして「なぜ、言うことを聞かないのか」、「なぜ、宿題をやらないのか」、「なぜ、勉強をしないのか」「なぜおっぱいをやめないのか」「なぜおむつが取れないのか」「なぜゲームを止めようとしないのか」などというような事は考えようともしません。 なぜなら、多くのお母さんが子どもの視点に立って、子どものことを考えていないからです。 そこにあるのはみんな「大人の視点」と「大人の都合」だけです。 そして、大人達が「子どもの都合」を一方的に否定して「大人の都合」を押しつけるから、子どもたちは自分たちの心と、からだと、生命の成長を守るために、大人から逃げようとしているのです。 そのため、そのようなことをしていたら、子どもは大人とつながることが出来なくなってしまうのです。 そして、大人とつながることが出来ないまま大人になってしまった人は、「他者とつながる能力」が育っていないので、仲間とも、異性とも、社会とも、「お互いが幸せになるような形」でつながることが出来ません。 そのような人は、「依存」と「支配」だけで、人とつながろうとしてしまうのです。 「上手な子育て」を、「子どもを上手に支配すること」と勘違いしているのはないかと思われるような人がいっぱいいます。 だから「子どもが言うことを聞かない」ということで苦しむのです。 でも、そのようなつながり方は人を不幸にするばかりです。 「子育て」でうまくいかないことがあったら、ただ悩むのでも、強く押しつけるのでも、相手を非難するのでもなく、子どもの立場に立って「何でなんだろう」と考えて欲しいのです。 そのような意識で子どもと関わり、パートナーと関わり、他者や、他国と関わることで、「つながり」が再生していくのです。 「幸せ」や「平和」は、その結果です。 早期教育は「大人の視点」や「大人の都合」の押しつけに他なりません。 「つながりの中でしか学ぶことが出来ない事」は、早期教育では「価値がないもの」として扱われてしまっているのです。 でも人は、「つながり」に支えられていないと幸せになることが出来ないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
必死で抵抗しているのが、発達障害の子たちなのではないかと感じます。
定型の子たちはよくわからないけど流されてやっちゃうので、そういうもんだとなんとなく思っちゃいますが、発達障害の人は頑ななのですね。 家族に発達障害の人間が複数いるもので、そんな風に感じます。 (2016.06.26 11:27:06)
>たわらさん
僕も同感です。困った子どもたちは困った社会に「なんか違うよ!」と全力で表現していると思います。 痴呆症の多さも人口が増えて長生きになったからだけとも思えないですし、自殺の多さも、患者で混みあう心療内科も、そして子どもたちの問題も 身近にそういう問題が起きて初めて生き方について向き合う事になるけど、そうでもなけりゃトレンディードラマ気取りでクールに暮らしてる気になってますからね。実際は阿鼻叫喚なのに。 このブログでいつも言われているように、平和は平和を体現できる子供を増やすことでしか実現されないと僕も思います。 究極かつ根本的な平和活動だと信じたい。 今の政治家達も何かの事情で錯乱してるんでしょうけど、彼らも幸せな子供時代と平和を体現する心が育っていたら違ったでしょうね。 (2016.06.26 12:23:44)
たわらさん
>必死で抵抗しているのが、発達障害の子たちなのではないかと感じます。 発達障害の子は「自分らしく」しか生きることが出来ませんからね。 シュタイナーもモンテッソーリも、障害児の教育から教育活動を始めました。 公教育もそこに合わせれば、障害を持っていない子も生き生きと生きることが出来るのですけどね。 (2016.06.26 12:41:39)
ささくれさん
>痴呆症の多さも人口が増えて長生きになったからだけとも思えないですし、自殺の多さも、患者で混みあう心療内科も、そして子どもたちの問題も 私もそれ以外の原因も大きいと思っています。 今、アトピーや喘息やアレルギーに苦しむ子も増えてきています。そういうことも痴呆の人の増加と根っこではつながっているような気がします。 (2016.06.26 12:44:59)
結婚して初めて家が心や体を休めていい場所だと知りました。30才を過ぎて初めて嫌な事は嫌、出来ない事は出来ないと母に言ってみたら、実家に帰って来なくていい、と言われ疎遠に。
そんな自分でも子供を育てる将来を描けるものかしら、と思った時、ここに出会いました。 ここを読んでいると、自分の育ちに決定的に欠けていたものが何だったのか、しみじみと実感され、少しずつ謎の結び目がほどけていくようで、悲しいけれど少し気が楽になります。 0才から預けられていた保育所との連絡ノートに母の字で書かれていた言葉は否定の言葉ばかり。途中から父の字に変わっていました。母の育ちに足りなかったものは何だったのでしょう。 私を生かし助けてくれたものはいつも、自然と芸術でした。一人で自然や芸術と向き合う時間が私の命をつないできてくれました。 (2016.06.27 08:43:48)
うさぎ苔さん
>私を生かし助けてくれたものはいつも、自然と芸術でした。一人で自然や芸術と向き合う時間が私の命をつないできてくれました。 今日のブログとつながってきますね。 (2016.06.29 12:19:13) |