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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2016.07.27
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ここのところ「自然」の大切さ、「自然との関わり」の大切さを書いていますが、だからといって、子どもたちをただ「自然」の中で遊ばせるだけでは「自然」と出会えません。

逆に、「自然」がないと言われている都会の中で育っていても、「自然」と出会えることもあります。

なぜなら、私が言っているところの「自然」とは、「物」としての葉っぱや、木の実や、木々や、虫や、川や、土などのことではなく、「それらの存在を支えている働き」のことだからです。

私たちのからだの中にもその働きはあります。というか、その働きがなければ全ての生き物は存在することが出来ません。

それなのに、多くの人が、自然の本体としての「働き」の方ではなく、その働きの「結果」としての木の実や、木々や、虫や、川や、土など「目に見えるもの」の方を「自然」だと思い込んでいます。

そして、そういうものがいっぱいあるようなところで子どもたちを遊ばせれば、子どもたちは素敵な人間に育つと思い込んでいます。

でも、木の実や、木々や、虫や、川や、土など「目に見える物」で遊ぶだけでは「自然」とは出会えないのです。

自然の美しさも、自然に対する畏れも、不思議も感じません。
自然の意味も価値も感じません。

分かるのは、目に見え、手で触れることが出来る「物」との関わり方だけです。

魚の釣り方やさばき方は分かりますが、命の大切さは分からないということです。

なぜなら、「自然」の本体の方は目で見ることも出来ないし、手で触れることも出来ないからです。

そのため、自然物と関わって遊ぶだけでは、子どもたちが素敵な人間に育つということもないのです。


実際、古代から100年前ぐらいまでの子どもたちは、ほとんど100%、「自然」の中で遊んで育っていましたが、だからといって素敵な大人に育った人ばかりではなかったことは歴史を見れば明らかです。

昔の生活に戻すだけで素敵な人間に育つと考えるのは幻想に過ぎないのです。

今でも、田舎の方に行けば「自然」がいっぱいあります。でも、だからといって、みんながみんな「自然」を大切にする感覚を持っているわけでも、素敵な人間に育っているわけでもないですよね。

実際には、田舎の方に行くほど、便利で豊かな都会にあこがれ、山を崩し、田んぼを埋め立て、道路を作り、ビルを立てることを望んでいる人の方が多いのではないでしょうか。


じゃあ、何が必要なのかということですが、そこで「言葉」が必要になるのです。

人が、「自然」に対して、価値や、つながりや、美や、不思議や、畏れを感じるようになるためには、「言葉」が必要なのです。

真・善・美の感覚は「言葉」の世界の中にしか存在できないからです。

そしてだから、大人との関わり合いも必要になるのです。

「自然」がいっぱいあっても、「言葉」を伝えてくれる大人がいがない状況で育った子は、「素朴な自然児」以上には育つことが出来ないのです。

そこで、子どもだけを自然の中に放り出すのではなく、大人も一緒に入っていって、木の実や、木々や、虫や、川や、土など「目に見える物」の背景で働いている「自然の働き」(自然の物語)に意識を向けるような語りかけが必要になるのです。

例えば、子どもはドングリを拾うのが好きです。

でも、そのドングリが動物たちや森を支えていることは知りません。
また、その森が川や海を豊かにしていることも知りません。
そういうことは大人が言葉で伝えないことには子どもは分からないのです。

そして、その「つながり」こそが「生命」や「自然」の本体なんです。






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Last updated  2016.07.27 09:43:59
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