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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2016.12.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
からだの能力でも、知的な能力でも、心の能力でも、人間の人間らしさを支える高度な能力のすべては生まれたときには未熟なままです。

そして、その能力が育つためには「体験を伴う学び」が必要になります。その体験を得ることなく育ってしまえば、その能力も育たなくなってしまうのです。

ただし、その「体験」とは、あくまでも、「自主的で能動的で自由な活動による体験」に限られます。

その時、自分の周囲に「手本」があれば、子どもは「自分の育ちに必要なもの」を自分の意思で模倣し、取り入れていきます。でも、大人がその子どもの能動性を否定し、大人の価値観だけで一方的に「ああやれ、こうやれ、そうじゃないだろ」と指導してしまうと、子どもは「自分の意思で学ぶ意欲」が萎えてしまいます。

でも実際には、多くの大人が自分はやってみせることをせず、子どもにだけやらせようとしています。その結果子どもは、自分自身が生きるために必要な能力を育てることが困難になってしまっています。

そして実は、その「自主的で能動的で自由な活動」を実践する場が子どもたちの「遊びの場」でもあるのですす。
古来から子どもたちは「遊び」を通して「からだ」や、「知性」や、「心」を育ててきたのです。

それが「遊び」というものの本質的な意味なんです。

ちなみに「知性」には「社会性」も含まれます。お勉強だけが知性ではありません。

ただ、「からだの育ち」に関しては、「遊び」との関連が分かりやすいのですが、「心の育ち」や「知性の育ち」に関しては、「見えない世界」に属することなので「遊び」との関連が分かりにくいのです。

そのため、そのつながりが分からない大人たちは「からだ育てはスポーツクラブで、知力育てはお勉強で、心育てはケセラセラ」というやり方で子どもを育てようとしてしまっています。

ちなみに「ケセラセラ」は分かりますか? 「なるようにしかならない」ということです。
「優しくしなさい」と叱ることはあっても、そんなものは全く役に立ちません。

でも、お勉強では知性は育たないのです。
なぜなら、「知性」とは「問題を解く能力」のことではないからです。

問題を与えて解かせるだけならコンピュータにだってできます。というかその点に関しては人間よりもはるかに優秀です。でも、コンピュータには知性はありません。そうですよね。

コンピュータを森の中に放置しても何も始まらないのです。

それはつまり、「学校の成績がいい子が必ずしも高い知性を持っているということではない」ということです。

実は、知性の育ちには、「なぜ?」「どうして?」「どのようにして?」という「問いかけ」が必要なのです。

この「問いかけ」があったからこそ人類は文化や文明を生み出し、発展させることが出来たのです。

友達のツルツルピカピカの泥団子を見て、自分も作りたいと思います。それでとりあえず泥団子を作ります。でも、それだけではツルツルピカピカにはなりません。何らかの工夫が必要だからです。

そこで一生懸命に考えたり、工夫したり、他の子のやり方を真似したりします。
その過程で「人間としての知性」が育っているのです。

お母さんは泥団子づくりで汚れた洋服を見て「また汚して」と腹が立つかもしれませんが、その汚れは子どもが自分の知性を育てる活動をしていた証でもあるのです。

そして、この「人間としての知性」が子どもの自立を支えてくれるのです。

成績は優秀でも、あまり「遊び」を体験していない子よりも、泥団子づくりが上手な子のほうが将来ちゃんと自立できる可能性が高いのです。

そして、この「なぜ?」「どうして?」「どのようにして?」という問いかけは、「心の育ち」とも密接につながっているのです。





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Last updated  2016.12.06 15:26:57
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Re:「からだの育ち 知性の育ち 心の育ち」(12/06)   3姉妹ママ さん
「自主的で能動的で自由な活動による体験」
ここ最近自分の子育てに迷いを感じ、自信をなくしていましたが、この言葉で突破口が見つかった気がします。
またモチベーションが上がりました。ありがとうございます。


ただ、この日本の社会は「自主的で能動的で自由な活動」に対しての免疫があまりない様に思います。
まだ自主的で能動的まではいいとしても、そこに自由が加わると、たちまち不安や恐怖を煽ってしまう。気がします。

特にそれは、そんなつもりなど全く感じてない小さな子どもに対しても同じ反応をする事が多いです。
時と場合にもよりますが。
「そんなつもりないですよ〜」とアピールをするのに必死になり子どもなんてそっちのけーな場面を、私も含め色々なところで見てきました。

アピールならまだしも、本気で自分の子どもの方がいけないと感じてしまうと、たちまち自由に振舞う事を禁じるほかない。

でも、だからと言って何も言われない様に、失敗しないようにする方法を子どもに言い続けるなんて、あまりにくだらない。
そもそもそんなのちっとも楽しくないので、そこからは私の知恵が試されるとこですが…

まずは、家族という社会から「自主的で能動的で自由な活動による体験」を多くできる様に。
子どもだけでなく私達大人がそんな姿を見せていけれる様に努力していこうと思いました。
(2016.12.09 10:31:29)

Re[1]:「からだの育ち 知性の育ち 心の育ち」(12/06)   森の声 さん
3姉妹ママさん


>まずは、家族という社会から「自主的で能動的で自由な活動による体験」を多くできる様に。
>子どもだけでなく私達大人がそんな姿を見せていけれる様に努力していこうと思いました。

-----
子どもの自由を大切にすると言うことは、子どもを自由にさせることではなく、子どもが自分の意思で選んだことを大切にしてあげることです。

だから子どもがあこがれを感じ、目標を見つけやすいような体験や、出会いや、環境を与えることで、子どもの成長を肯定的に導くことが出来ます。 (2016.12.12 10:55:50)


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