|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
夏の週末。
20120602 JST 22:23 ↓ ↓ ↓ブログを読んで何か共感したことがございましたら、クリックをお願いいたします。↓ ↓ ↓ にほんブログ村 にほんブログ村 もうひとつのブログです。↓↓ まさか私が多言語学習を! ブックマーク↓↓ 日本語教師をしています。。 3S ポンコツ日本語教師のメモ in 上海 日本語教師の日本語大好きブログ 日本語教師になる。 日本語教師ネットワーク 雨好き(AMEZUKI)の日記 [全1187件]
今は2、3か月顔を出さないこともある自分が住む村のある食堂。 約5年前ひょんなことで省内のある市からこの市に移り住むようになった。 それから一度離れて街中に住んだこともあるのだが、再びこの村に舞い戻り、もう合計4年住んでいる。 私が以前同僚たちとよく利用した2店舗は再びこの村に帰ってきた時に経営者が変わっていたということはもう何度も記してある。そしてその中の1つは先にこの村で仕事を始めた前妻の同郷であり、自炊派の彼女ではあっても何かあると私の同僚や共通の友人と利用していた。時々彼女がそこでお持ち帰りして来たこともあれば、ヤツが仕事で単身赴任した後も私が先にここでのんびり飲み始め、後でヤツが現れるというパターンもあった。 2年前の7月。私が以前の学校を離れる前、離れた後もたまには贅沢して過ごすのもいいかなぁと毎晩のようにこの二店舗のうちどちらかに通っていた。 夏の7時頃、オープンテラス(??)に陣取っていたのは当時スモーカーであったからだけではなく、明るい世界がだんだん薄暗くなって行き、夜を迎えるその光景にやすらぎを覚えたからもある。 学校が経営内容を変えることになり、それでも私は学生のために移転先についていく覚悟を決めた。もちろん他からも誘いがあったのだが、いくら私の待遇があまりよくなくても、可愛い学生を捨てることはできない。そしてあと1年教えて日本に帰るつもりであった。 だが、契約満期をタテにまさかのクビ。 (2回も同じ学校にクビを切られた馬鹿がここにいる。) それで以前誘いのあった現在の上司とコンタクトを取り、結果そこに迎えられた。 だが、学生のことも考えずに最後に残ったたった一人の外教をクビにした学校の経営者も頭が混乱していたようで、私が再再度戻って来るように働きかけてきた。 まあ、結果は私が脅し返して決着したのだが、そういうお互いに後腐れのある別れをしており、後に私が専家証取得のために準備してあった書類の不足があった時、意地でもそこには頼まなかった。まだ以前の学校名での整理中であり、頼めばそれを発行してくれたであろう。だが、私はそれをしなかった。 (「退職証明」は手に入れてあったものの「推薦状」まで気が回らなかった。) まあそれは私をよく知っている別機関が発行してくださったからよかったのだが、そうでなければ今私はここにはいないであろう。 1年ぐらい前であったか、以前の学校での私の教え子が以前の私の同僚のためにわざわざ仕事を休んで、以前の学校とつながりがあった学校に「退職証明」だったか「在籍証明」の発行をお願いに来た。 だが、出せるはずがない。 学校と学校の協力体制というのは「関係が途絶えればそれまで」なのである。 かと言って、今はもうない学校にその書類を頼むのも名義が残っている残っていないはともかく、印章や経営者のサインの問題もある。 まあ、私は頼まれた教え子も頼んだ元同僚もよく知っているかつて資本関係があったある学校に相談することを勧めておいた。それも図々しくも「『○○(私)が言っていた』と言えば、何とかしてくれるかもね。(それも合法的に)」と。 私が最初に赴任した学校。 私は2年前にしがらみから抜ける時に完全に縁が切れるような馬鹿なことはしていない。 最後にその学校のお願いからある協力をしておいた。 また現在私もその学校も交流はしていないのだが、それでも縁というのは不思議なもので微妙なつながりが残っている。一度は恨みもしたことがあるのだが、そことは完全に縁が切れることはないであろう。少しはお互いに持ちつ持たれつの時期もあったのだし。 (08年問題でも私を助けるためにすぐ行動を起こしたのはそこのボスであった。) (私はけっこうはっきりしていて、人間としていいかげんな方や、経済利益の面など利点がない機関ははあっさり縁を切る。だが、一番は道徳心というか人の心が基準である。) ただやはり一番信頼しているのは今現在私の上司である2人である。 そんなことを思い出しながら、2店舗が統合されて1年半以上になる店の中で26元の料理を食べ、ビールも1本飲み、夜のエサの“打包”をお願いして39元を払って店を出た。 (俺も当地でブルジョアになったものであると感じる。村で1人で39元っていったい・・・。) 曇り空であるのに夕焼けのオレンジを感じた。 家でシャワーを浴び、洗濯機を回しているうちに暗くなった。 シャワー中はセミの声も聞こえた。 今はまだ6月。だが、すっかり日本の学生の夏休みのようなゆったりした気分の夜である。 私がよく利用していたその店。 以前は前妻の故郷の味、それも私にとって懐かしい味がした。だが、今ではすっかり湖南料理や四川料理の味となっている。それなら私にとってはいつも使っている他の店で充分なのである。この村には湖南人も四川人も多い。必然的に店もだんだんと変わっていく。 私が頻繁に通うことはもうないであろう。そう思いながらも時々使っている。 それは以前からのつきあいという人の心である。 前妻との思い出が段々薄れていく。 彼女と過ごした※年。とっても幸せであった。 だが、今では感謝こそあれ、愛も憎しみもない。 時間は人を変える。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ) どうでもいい話だが、これも村でずっとつきあいのあるある店が風評被害により、客が激減した。確かに事実なのだが、経営者や他の従業員に非はない。今週からまた店を開けたのだが、私は朝学校に行く前に必ずその長いつきあいの店でも0.5食から1食分買って、さらに最近使っている露店でも1食買う。私はその店を応援する。 今週そこの店員何人かの嬉しそうな笑顔を見た。その方たちは私が外国人であることを知っている。そして私もそこの店の田舎の村には似つかわしくないサービスや心配りが大好きである。 その店が再び軌道に乗るまで私は余分に朝メシを買うであろう。 だんだんまた客が増えて来た。1か月以内に軌道にのってくれないと、私や他の長いつきあいの客のお腹が大きくなる・・・。(朝メシ2食など、ブルジョアそのものである。) (確かに被害を受けた方にしてみれば、そこがのうのうと営業しているのは許せないであろう。私が被害者であったり、身内が被害にあったのであれば、店を潰すような行為をするはず。) 初版更新日時 2012年6月2日 22時18分3秒 今では前妻の故郷の味、それも・・・ →以前は前妻の故郷の味、それも・・・
腰は昨日よりはいい。だが、それで夜の当番もきつい。 そういうわけでこの2日間は本当に管理だけであまり学生を構っていない。 今学期はほとんど夜を担当していない状態であるから、本来はもっと学生と戯れるべきなのだが、調子が悪いのを見せるのも問題がある。 おまけに石も膀胱から尿道の間まで到達していると思われる・・・。 そんな晩に初級に捕まった・・・。 私があまり顔を出すと、自習そっちのけで私と話す学生が出てくるので、会話中に時々顔を出すようにしていた。後は時々覗くだけで。 今学期の初級もまた突然であった。 明日クラスでお出かけするから、私も誘って来た。(明日は午後休みである。) もっと早く言えないものであろうか・・・。 まあ、恐らく担当している教師たちから自分たちで私も誘うように言われてのことなのであろうが、いつも前日か当日・・・。ちょうど1年前の今の上級が初級の頃などその当日の朝一の授業の前であった・・・。 今回は「腰が大丈夫だったら行きます」とは言ったものの、学生も日本人教師と話したいことがわかるので、明日の調子もわからんのにOKした私。 しかし頼むよ・・・。 教師といえども、週末の休みは当然休むことの実力行使ができるわけである。 幸い明日は午後寝ているつもりであったからいいようなものであり、こういうことは追い追い指導してゆかねばならない。平日の急な話であれば、まだ教師としてある程度は対応するのだが、休みの直前に休みの予定を壊すのはよくないこと。 ただ、やはり学生たちの笑顔には弱いので・・・・・・。 私は前職から人の笑顔を見たくて仕事をしている。 自分のすることが周りの方々の笑顔につながることをずっと夢見ていた私。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ)
夏の日本一時帰国のEチケットは取ってある。 その時の荷物とお土産以外はすべて準備が出来ている。 あとは7月初旬のビザ更新を無事に過ごすだけ。 ただし、更新ではあるのだが、今回は諸事情により、ある意味外国人専家証の記載事項が変わるわけであり、昨年7月よりは面倒であろう。ただし、昨年3月の当地発給のビザ所得と一昨年夏の専家証取得に比べたら、まだ心配がない。 ただ、絶対にビザを手にしないとならない。 昨年3月や7月のように、「(学生をほかることになるし、東日本大震災で日本での計画が崩れたくせに)駄目だったら帰国するまでさ」という気持ちは全然ない。 まだ中国にいなければならないのである。 (取れると感じているけれど。) しかし、本日少しはその計画着手の前段階に近づいたのだが、いつかは日本に帰らなければならない。ただそれはけっこう面倒なことがつきまとう。しかし、それでも今までの自分の人生に比べてあまり心配を感じていない。 本当はもっと深刻に考えるべきなのであろうが、もともと細かい性格の私なので逆に深く考えない方がいいと判断している。 ここまで読んで、中国事情に詳しい読者様であれば、何かに気づかれたことであろう。 まあ、明日のことはわからないので、詳しくは記さないけれど。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ)
学生に「出て行け」など言うべき言葉ではない。 だが、私は冗談でなら毎日、本気の場合は一、二学期に一度ぐらい言うことがあるか。 それも日本語教師を忘れている「○○、オマエ出て行け!」と。 本日それで私がけっこう可愛がっている女性をクラスから追い出した。 会話の時間であった。 このクラスは私の会話の司令をサボりがちであったために、考える会話に弱い。 であるから、他のクラスなら司令出しておき、始まりを見届けて上級に行くことが出来ても、このクラスは不可能に近い・・・。 本日も中上級2クラスの会話であり、私は先に自分の担任する上級には読解資料を与えておき、ほとんどを中級で過ごした。 このクラスは決して話せないわけではない。 実際私の精読・読解の時間など理解力だけでなく、「べしゃり」も凄い。 ただ、しないだけなのである。 現に先週は就職面接模擬会話をしたのだが、ほとんどの方は素晴らしかった。 ある女性今年成年であろう。 初級の時まではよかった。だが、やはり若い学生は中級途中から躓く場合もある。 やはり母語や生活言語の単語量や論理的思考との関係がある。 一度躓くとやはり人間は脆いもので自信がなくなる。 今まで話せていたのに話せなくなる場合もある。 我々教師もそういう学生に自信を持ってもらおうと努力するのだが、やはり自覚の問題は大きい。 その会話は2つのパターンを提示した。 教師に対する要請である。 どうせ学生同士で会話しろと言っても、すぐ終わるので、私はひとりひとり指名していった。つまり私との一対一の会話。 2つとも無理だと言ったその女性。 気持ちはわかる。だが、甘やかすわけにはいかない。 「それなら、前で歌でもダンスでもしてごらん。歌は何語でもいいから」と言うのだが、それも駄目。 それでも「じゃあ、反省文2ページ書く??」と聞いたのだが、それも断った。 仕方がない。甘やかせば他の学生との差もつく。 もちろん父親のような歳の私への甘えもある。それはわかる。 だが、私は自分でとっても心が痛いことを言うしかなかった。 「○○○、オマエ、出て行け」 その学生は動かなかった。だが、私が再度言いながら、腕を掴もうとした時、彼女は自分がやり過ぎたことに気づいたようだが、立ち上がって(冷静に携帯電話を持って)出て行った。「カバンも持って行け! 夜は私の当番だから許す!」と追い打ちをかける私。 だが、かばんは持って行かなかった。私もそれを無理にその女性に渡すことはしなかった。 そこまですれば、彼女は完全に私に謝るタイミングを逃す。 授業後事務所にやって来た。 眼に涙を溜めているように見えた。 ここは一度泣かせてしまった方がいいと判断した。 意地が悪いようだが、経験上での判断である。 「泣いているの?」と尋ねた。 もちろん上司もいきさつには気づいている。 だから、その学生に「言うに言えないのなら、通訳しようか」とも言った。 私も「別に中国語でもいいよ」とは言った。 でも今は何も言えないであろう。 であるから、私は「後で落ち着いてから話せばいいよ。でも私の話を聞いてね」 と私の意見を伝えた。 「気持ちはわかるが、クラスメートの立場を考えれば、○○○さんだけに特別扱いはできない」ということを。ボロボロ泣き出した。そして「ごめんなさい」と。 (もちろんその女性を先に返そうとしたが、やはりクラスメートが心配でそばで見守っていた。) 「もういいから、早くごはんを食べに行っていらっしゃい」と送り出した。 夜、改めて、その2人に会話を課した。 そして問題の女性にも。 彼女は「明日にしてください」と言ったが、私は許さなかった。 「今、苦しくても逃げちゃいけないよ。言えなくてもいいから、やってごらん」 もちろんここでまた追い詰めてはいけない。 少し簡単にした指令を出した。 笑顔でその会話を行なってくれた。 話は前後するが、私は女性の上司とその件を話している時、「『オマエ出て行け』と(本気で)言わなければならない先生もつらい」と言ったのだが、共感してくれた。 17、8、いやもっと下を含めてまるで自分の娘や息子のような感覚さえある。 18歳で成人のこの国。 だが、日本同様に充分(容姿も考えも)大人の18歳もいれば、(容姿も考えも)まだまだ子供の18歳もいるわけである。 実は私が日本語教育に興味を持ったのは80年後半である。 日系ブラジル人の 私はそれは本当に大きな問題であると思った。 それは当時から子供たちへの教育に興味を持っていたからなのかもしれない。 (どうして私がある意味10代の扱いが上手い(?)かと言えば、それは過去ログに何度も記してあるので、今回は記すことを止めておく。) にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ) 初版更新日時 2012年5月30日 23時3分18秒 改訂2版更新日時 2012年5月31日 0時39分20秒 「」や『』の調整 と 取り消し線、太字 改訂3版理由 言うことが と 「」の調整 と
昨晩ある意味公務(クラスの食事会)でサボったのだが、今週の私は夜の当番である。 だが、夕方学校施設の都合上1時間余分に自由時間ができたので、やはりのんびり自炊を選んだ。 まだ、村の市場が開くには少しだけ早く、村の小さなスーパーに寄った。 そこで豚の腸を見て、それが食べたくなった。 だが、昨晩肉も魚も堪能したので、炒めることはやめておきたかった。 そこでモツ鍋を思いついた。 村のスーパーであり、しっかり洗ってあり、ボイルされて、カットされてあるわけではない。ただ、市場で買うよりはきれいに洗ってある。それをパックの上から確認した。 6.8元。日本の普通の焼肉屋で焼肉にすれば一人前というところか。 腸を洗うのは久しぶりである。 だが、私は面倒なのが嫌いなので、長いまま裏返して洗うなどしない。 おもむろに適当な長さに切り、すぐにそれを切り開く。 それを洗うわけである。ちなみに私は一度ざっと洗った後で、再度塩を使ってきれいにする。それでもそれだけで20分は格闘していたであろう。 問題はモツは煮れば、縮まるということ。 であるから、私はハムのかたまりのぶつ切りも買って来てあった。 おまけに揚げも。 一体モツ鍋なのか、ブデチゲなのか、味噌鍋なのか、味噌汁なのかようわからんのだが、美味しかった。もちろんやさいたっぷりである。 その後夜の出勤を行い、帰ってきたのだが、先ほど一作業終わって、夜食でその鍋を少し食べた。 材料費16.9元。それを3食にするつもりであったわけであり、ちょうどいい。 明日の昼の分は当然残してある。 ものぐさな私であるが、たまにはあえて手間をかけて料理するのも、いいものだと感じた。 それぐらいの心の余裕も必要なのかもしれない。 まあ、明日から3日は夜自炊は無理であるのだが。 昼だって2食分作る暇はない。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ)
私はケチである。 飲水器の水でカップ麺を食べるなどブルジョア階級のすることだと思っている。 (みんなやってるんですけどぉ・・・。) 朝一の授業後、家で仕事をしている。 だが、断水だとわかっていたら、何か買ってきたのよね・・・・・・。 飲水器の水で野菜を洗おうかと思ったが、止めた。 面倒というより、ケチだから・・・。 カップ麺とそのスープに浸して食べるパン。 う~ん・・・贅沢極まりない。 カップ麺など水道水を沸かしたもので充分である。 18.9L 10元の水であり、カップ麺に使うぐらいたいしたことではない。 だが、私が最初に中国に赴任した頃の給料は2,000元である。 (今となってはよくそれで生活出来たものだと思うが、私以外はそれでもお金が残ったのである。) 今なんてかなり贅沢ができる身分となっている。 給料など(大都市と比べれば低いが)一介の日本人日本語教師としては破格である。 ただ、私にも当地で本当にボロ靴履いて生活していた時期があった。 日本のモノが食べたい、洋食が食べたいと涙が止まらないことさえあった。 だからこそ、今でも(変なところで)倹約している。 日本でも、中国でも食べられなかった頃のひもじさを忘れないために、ケチは直さないであろう。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ)
昨晩は友人宅で飲んだため、昨日買った空芯菜は昼ごはんとなっただけでなく、晩ごはんにもなる可能性がある。 今朝は8時半には起きたのだが、あえて朝ごはんを作ることも、買うこともしなかった。 休みの日にわざと朝を抜くことがある私。 昔母親が言っていた。 時々一食抜いて、世界の食べたくても食べられない方々の苦しみを少しでも知ることも大切だと。 だが、当時の私はわざわざ一食抜くことはないと考えていた。 それは「我々が働くことで、世界中のひもじい方々に何かしらの支援となればいい、だから、俺は食べなければならない」のだと感じたからである。 それなのに最近は休みの日に時々あえて一食抜くという行為をしている。 最初はものぐさでブランチを食べていたことから始まった。 だが、自然に自分が日本や中国で食べられなかったつらい時期もあったという過去を振り返ってみることで、食べられるという幸せを噛み締めるために、また、やはり世界中の飢えている方々の気持ちを少しでも知るために、一食抜くことも大切かな・・・と。 年齢を重ねたことで傲慢な気持ちが薄れたのであろうか。 昨晩ある方が私の夢を見たらしい。 怖い夢だったというので、内容を聞き出した。 私が感じたのは「それは俺の過去生と関係があるのかな・・・」と。 そしてそれはその方も感じたようである。 これも母の教えなのだが、「自分の行なったいいことも悪いこともすべては自分に返ってくる」と思っている。最近見た韓国ドラマでも、その教えを強く感じた。 そして縁というのは決して今生だけのものではないと思っている。 良縁、悪縁すべては自分に跳ね返り、プラスマイナスゼロになる。この世でそれが解決できなければ、当然それは来世にも表れるのではなかろうか。 このブログの趣旨とは離れるのだが、私は幼少から見えないものが見え、読めないことが読める。それなのに私は自分のことは読めないに等しい。 もちろんそれをしてもいいのか、止めたほうがいいのかということが直感や何かの知らせでわかる時もある。だが、人間生きていくためには、背に腹はかえられないことも多い。 簡単に言えば、わかっていながら失敗することも何度かあった。ただ、それはそれで自分の経験という大きな財産になっている。 人はどんな方から言われようが、聖書や経典、自己啓発書に書いてあろうが、マニュアルに記してあろうが、それを素直に受け入れることができないことも多い。誰かが必死に自分を救おうとしているにもかかわらず、「ほっといてくれ。俺の人生俺のやりたいようになるさ!」と手を振り払うことなどざらであろう。 だが、自分でそれらを経験してやっと自分がただひたすら前しか見ていなかったことに気づく。 まとまってないが眠くなったので、ここまで・・・。 にほんブログ村 日本語教育 にほんブログ村 中国情報(チャイナ) |一覧|おすすめアイテム
|