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モーゼルだより [全898件]
スチュワート・ピゴットのドイツワイン紀行、今週のテーマは東ドイツのワイン。ザクセンとザーレ・ウンストルートである。 1989年の東西ドイツ統一で新たに加わった生産地域だが、ドイツの葡萄畑全体に占める割合はわずかに1%あまり。昔は農産物生産協同組合の薄くて酸っぱいワインしかないという印象があったが、この20年余りで状況は大きく様変わりしている。 最初にピゴットが訪れたのはクラウス・ツィンマーリング醸造所。東独で機械工だったクラウスは、趣味で葡萄を栽培していたのだが、統一後東西の行き来が自由になったあと、オーストリアはヴァッハウの有名醸造所ニコライホーフで修行し、醸造所を立ち上げ、荒れ果てた葡萄畑を少しずつ整備していった。1984年からはEU指令で新たに葡萄畑を開墾することは禁止されているのだが、旧東ドイツでは1999年までは特例として認められていたのだという。彫刻家の奥さんの作品が立ち並ぶ醸造所は、まるで美術館のようだ。時間を忘れて仕事に打ち込むことが大切、やらなければならないことがあったら、労働時間を数えるよりもそれをまずやりとげて達成感を味わうべき、とツィンマーリングはいう。その成果が近年VDPドイツ高品質ワイン醸造所連盟への加盟となった。 旧東独にある醸造所の一つの共通点は、東西統一の後に一から築き上げてきたことである。 第二次世界大戦後、不動産は国に没収されたからだ。 マイセン近郊にあるシュロス・プロシュヴィッツも同様である。プリンツ・フォン・リッペ家は、もともとニーダーザクセンの大貴族であった。その家長であったゲオルグの父は、ロシア占領下の1945年、大勢の使用人を見捨てるわけにはいかないと城に残った結果、家屋も領地もすべて没収され再教育施設に、母は5人の子供とともにドレスデンの収容所に送り込まれた。 幸運にもフランケンに避難させられたゲオルグは、やがて東西統一後に父祖の地に帰ってきた。1991年に葡萄を収穫したのだが、マイセンでは醸造させてくれる施設が見つからなかった。昔の領主の末裔がすることを、住民は猜疑心を持って遠巻きに見ていたのだ。どうにかLPG農業生産協同組合のトラック-軍用ライフルの銃座がしつらえてあったという-を借りて、フランケンにある親戚の貴族カステル侯爵家が経営する醸造所に早朝乗り付けたが、対応に出た従業員は、ここはフランケンだ、東からわざわざ葡萄を持ってこなくても足りている、と追い返されそうになったそうだ。シュロス・プロシュヴィツは現在79haの葡萄畑を所有する、VDP加盟醸造所である。 ザーレ・ウンストルートのパヴィス醸造所では、現オーナーの父は以前から生産協同組合に葡萄を納めていたのだが、東西統一の翌1990年にラインガウとモーゼルを旅行したのをきっかけに、自分でワインを醸造することを決めた。わずか0.5haから3000本あまりを生産し、小さな居酒屋を開いてそこで売った。当時からうまいワインを飲ませる店だと評判だったらしいが、やがて2000年に醸造施設を新築拡張し、葡萄畑も借りて、生産量は50000本と1999年から一気に10倍に増えた。翌2001年、初めて参加したリースリング生産者大賞で見事に優勝。ケルンで開かれた授賞式にはミュラー・カトワールやケラー、バッサーマン・ヨルダンなど錚々たる顔ぶれと肩を並べ、信じられない思いがしたという。そこで新規の顧客とコンタクトが出来て、さらにVDPに加盟することになった。1986年に知り合ったベルナルドとケルスティン・パヴィスのオーナー夫妻は、子供が生まれ、ベルリンの壁が壊れ、小さな居酒屋兼醸造所がやがて12.5haまで広がり、ドイツ全国で知られるようになるとは、想像もつかなかったという。 最後はリュツケンドルフ醸造所。1893年から醸造所を営む家系で、シュロス・プロシュヴィッツと異なり1949年以降に接収されたので、1992年に畑が戻ってきた。13年ほど前に石灰石の採石場跡に土地をもらい、石灰石の土台の上にギプスコイパーを載せ、その上に赤緑粘土と盛り土をして畑の土壌を整え、ピノ・ノワールやポルトギーザーを栽培している。バリックで熟成したボルトギーザーは、北方の産地とは思えない、まるで地中海沿岸のワインを思わせるという。 東西ドイツ統一から23年、その間ザクセンとザーレ・ウンストルートのワインは常に変化し続けてきた。若々しくダイナミックな発展を遂げてきたのは、旧東ドイツだけでなく、ドイツ全体の産地にもあてはまることである。 というのが、大筋の内容です。今回の放送は来週月曜までオンデマンドで視聴可能です。
スチュワート・ピゴットのドイツワイン探訪、今週はピノ・ノワール。 あまり知られていないかもしれないが、ドイツは世界で3番目にピノ・ノワールの栽培面積が広い。およそ12000haで、ドイツの葡萄畑全体の11.5%を占める。 しかし実際のところ、色も香味も薄っぺらで美味しくないものがとても多かった。 なぜか。収穫量を欲張りすぎたのと、醸造のノウハウに欠けていたためである。しかし、近年は温暖化も手伝って、徐々に変わりつつある。 今回最初に訪れたのは、フランケンのルドフル・フュルスト醸造所。 オーナーのパウル・フュルストが醸造所を継いだ時1.5haだった畑も、今は20haに増えた。1982年にリースリングで注目されたパウルだが、ピノ・ノワールの名手として知られている。 醸造所のある西フランケンは雨が少なく、葡萄は雑色砂岩の土壌で必死で養分を獲得しようと努力しなければならない。それがワインに香と力強さ、深みとタンニンをもたらすのだという。 最も手頃な価格のワイン『トラディション』は12Euro。畑名入りが31Euroで、フラッグシップのグローセス・ゲヴェクスが85Euro。この差がどこから来るかと言えば、まずヘクタールあたりの平均収穫量がトラディションは50hl/haで、グローセス・ゲヴェクスは30hl/ha以下と少ない。また、後者は古木、急斜面、最上の区画といった条件の他に、徹頭徹尾手間暇惜しまず栽培・醸造するというが、それだけの値段でも買う人がいる、つまり需要があるのだろう。 二番目の醸造所はファルツのクニプサー醸造所。 ドイツで最初にシラー、メルロやカベルネ・フランを栽培した好奇心旺盛な醸造所である。ベーシックなピノ・ノワールは9.80Euro。気難しいといわれるこの品種、夏の終わりの雨はてきめんに悪影響を与える。房が詰まっているので、高温多湿はすぐに黴や腐れを起こすのだが、最高のピノ・ノワールは世界最高のワインになる。だから栽培するのだという。 林立するステンレスタンクの傍にバリック樽が積み上げられ、その一角でヴェルナーとフォルカー・クニプサー兄弟が休憩中にタバコをつけて、白ワインで飲んでいるシーンがあった。やらせだろうとは思うが、セラーでタバコはいただけない。もっとも、彼らのワインはどれも飲みごたえがあって、私は好きだけれど。 三軒目はバーデンのベルンハルト・フーバー醸造所。 1987年に醸造協同組合から独立、ガレージワイナリーのようにして始めた醸造所は、現在28haから180000本を生産するまでになった。およそ700年前にシトー派の修道士が200kmほど離れたブルゴーニュからピノ・ノワールを持ってきて栽培を始めたのは、醸造所のあるマルターディンゲンの一帯が、ブルゴーニュと同じ貝殻石灰質土壌だったからだという。 ピノ・ノワールを愛しているというベルンハルト・フーバーは、醸造に際して大事なのは、まず第一にセラーが清潔であること。第二に、葡萄を痛めないように扱うことだという。ポンプを使ったりマシンで除梗すると痛むので、コンテナに入ったままフォークリフトで持ち上げて、発酵槽に傾けて流し込むようにして投入する。その際葡萄と一緒にドライアイスが投げ込まれ、もうもうと白い煙をあげていた。葡萄を痛めないように慎重に押し下げながら攪拌して色素とアロマを抽出。発酵は90%は野生酵母だが、発酵がすすまず酢酸エチルが発生しかけている場合だけ、培養酵母を用いて「正しい道に導く」のだそうだ。 両親は醸造協同組合に葡萄を納めて生計をたてていたが、暮らしは楽ではなく、母は子供たちにひもじい思いをさせないように、お金をかけずに十分な食事を作ることに苦労していたという。ベルンハルトが醸造所を継いで、品質を上げるためにグリューンレーゼを行ったとき、父と大喧嘩をしたそうだ。グリューンレーゼとは、7月下旬、葡萄の果粒がやわらかくなりはじめ、糖分を蓄積しはじめる直前、房を切り捨てて数を減らし、残った房に葡萄のエネルギーを凝縮させる作業だ。 「大地が与えてくれたものを、わざわざ捨てるバカがどこにおる」 と怒られたのだが、若き日のベルンハルトは折れなかった。それが、今日の成功となって実を結んでいる。いかにも誠実な語り口から、彼の芯の強さが伺われた。 フーバーのワインは美味しいだけでなく、ワインへの愛情を感じる。 グラン・クリュだけでなく、ベーシックなワインから、飲んで幸せになれる。そんなワインは、世界中どこを探してもそう多くはないと、私は思う。 ピゴットの番組は来週月曜まで、オンデマンドで見ることが出来る。 次回は東ドイツのワインだ。
スチュワート・ピゴットのドイツワイン番組、今週は宝探しの巻。 宝と言っても宝石ではなく、葡萄畑である。昔はグラン・クリュとして名をはせていたが、つい最近まで、その存在すら忘れられていた葡萄畑。そういう畑がドイツには幾つもある。 一つはモーゼル中流のヴォルファー・ゴルドグルーベ。 2000年にスイス人のダニエル・フォレンヴァイダーが打ち捨てられていた畑を買い取り、翌年リリースしてすぐに話題になった。ゴルドグルーベは最大斜度70%の急斜面で、耕地整理されていないので樹齢100歳前後の古木が残っている一方で、トラクターが走れる農道が無い。そしていくつもの狭い区画に分かれているので、農作業はすべて手作業で行わなければならない。 普通の醸造所は、食べていくために一定の量を確保することを、まず優先する。すると、ヘクタールあたりの収穫量が多くなる。収穫量が多くなると質が落ちて、葡萄畑のポテンシャルが十分にワインに反映されない。すると、妥当な値段で売れないし、評判にもならない。平地のワインと同じ値段で売れていたら、きつい農作業の割に合わない。それで打ち捨てられる。忘れられたグラン・クリュは、大抵こういう過程をたどっている。 ヴォルファー・ゴルドグルーベもそうだったのだが、彼はそこから素晴らしいワインを造ってみせた。手間がかかって、古木ゆえに生産量もわずかで、割に合わない厄介な葡萄畑は、実はグラン・クリュに他ならなかったのだ。 なぜ、よそ者のフォレンヴァイダーに、地元の生産者に出来なかったことが出来たか。ひとつに、彼は醸造所の出身ではないかったから、醸造所の経営にはああしなければ、こうしなければという固定観念がなかった。素晴らしい葡萄畑であることに彼が気づいて、経営することよりも、まず素晴らしいワインを造ろうとした。そこが違う。初めにワインありき、だった。食べていくためではない、いや、もちろんそれもあったのだろうけれど、理想とするワインを造ってやろうという、強い意思があった。 2000年の秋は冷涼で雨勝ちで、スタートのヴィンテージとしては恵まれていなかった。しかし、スイスから友人や親戚一同が収穫を大勢手伝いに来てくれたおかげで---葡萄の木よりヘルパーの方が多かったくらいだ、とダニエルは笑う---高品質なワインを造るのに必要な選別作業を十分に行うことができたそうだ。そのファーストヴィンテージが、ゴー・ミヨの目に留まっていきなり脚光を浴びた。「よいワインを造れば、すぐに有名になれる。それが今のドイツワイン業界」と、ピゴットは言う。 次に紹介されたのがザールのファン・フォルクセン醸造所。 ダニエル・フォレンヴァイダーと同じ2000年に、当時売りに出ていた醸造所を買い取ったローマン・ニエヴォドニツァンスキーが、忘れられた葡萄畑ヴィルティンガー・ゴッテスフースとヴァヴェナー・ゴルトベルクのポテンシャルを見事に引き出した。遅摘み、低収穫量、野生酵母による発酵を、醸造補助物質を使わず必要なだけ時間をかけてゆっくりと行う。彼のワインはベーシックなザールリースリングから、引き締まったアスリートのような、ほっそりとしていながら力強い、見事な個性を持っている。 忘れられない思い出として、ローマンはエゴン・ミュラー醸造所で1971シャルツホーフベルガー・アウスレーゼ・ゴルトカプセルを飲んだ時のことを語った。 「まるで雷に打たれたようだった。先代のエゴン・ミュラーが当時まだ健在だったのだけど、彼に素晴らしいワインを造ってくださって感謝します、と思わすお礼を言ったんだ。そうしたら、この若造、何を言っているんだという顔で僕を睨み、憮然として言ったんだ。 『それを造ったのはわしじゃない。葡萄畑だ』とね」。 初めに葡萄畑ありき。その潜在能力を引き出すのは、醸造家の意思による。 三軒目はラインガウのエヴァ・フリッケ。 昨年までライツ醸造所の醸造責任者をしていた、気鋭の女性醸造家だ。ブレーメンの医者を両親に持つ彼女は、もともとワインは好きじゃなかった、という。しかし、いつしかその多様な個性に惹かれてワイン造りを学び、10年間ライツ醸造所で働いていた。 ある日、ロルヒ村のクローネの畑の一画を買わないか、という老人が彼女のもとを訪ねてきた。一緒に畑を見に行くと、雑草が生い茂っていたが古木の急斜面で、一目で気に入ってしまい、買うことにした。しかし醸造設備もなければ農機具も持っていない。どうやって畑を耕し、農薬を散布するのかなどということは、ちっとも考えていなかったそうだ。それでも色々な友人の助けを借りて、農機具も少しずつ買い揃え、今はちゃんと自前で見事なワインを造っているというあたり、最初に出てきたダニエルに似ている。 ワイン造りは毎年違う。同じ農作業でも天候などの条件が違うと、まるで違う意味をもってくる、とエヴァはいう。「オーストラリアでは『何回収穫を経験したの』が初対面の醸造家のあいさつみたいになっているけど、変よね。それぞれのヴィンテージから何を学んだかが重要で、回数は問題じゃないのに」と笑う。 最後に紹介されたのは、南ファルツの若手5人の醸造家団体ズュードファルツ・コネクションが再発見した、グレーフェンハウザーのピノ・ノワール。山の中にある急斜面で、熟した葡萄はスズメバチ、イノシシ、鳥や鹿など、様々な虫や動物に狙われている。2006年と2010年はスズメバチに収穫を全部食べられてしまい、造ることが出来なかったそうだ。そこで、葡萄のある高さにしっかりとネットを張って防御している。無名の、苦労の多い葡萄畑でワインを造り続けるのは、そこが昔から素晴らしいワインの出来る畑として、戦前まで数百年間守られてきた畑だからだ。それが戦後、農作業の機械化と甘口ブームに押されて放置され、もともと16haだったのが2.5haまで減ってしまった。雑木林のようになっていた昔の葡萄畑を開墾して復活させたのが、1999年に知り合った彼らなのだ。 よい葡萄畑からよいワインをつくれば、醸造所の伝統とか醸造経験の長さに関係なく、それなりに認めてもらえる。ドイツワインは今、ある意味で幸運な状況にあるのかもしれない。
17日早朝、ルーヴァーのカルトホイザーホフ醸造所をはじめ、モーゼルのいくつかの醸造所でアイスヴァインが収穫された。氷点下7~8℃になんとか達したが、前日の好天で葡萄畑と葡萄が温まっていたため、葡萄畑によっては十分に凍らなかったという。バーデンのカイザーシュトゥールでも収穫されたが、収穫量はごくわずかだ。一般に、アイスヴァインは早めに寒気が訪れた方が、果実の状態がよく高品質なものになる。逆に待てば待つほど、既に熟した葡萄は痛む一方で、鳥についばまれたり干からびたり、雨で糖分が洗い流されたりで、生産が難しくなる。1月中旬にやっと収穫されたのは、いずれにしても待ち続けた醸造所には朗報であった。 ****************************** さて、シュトゥワート・ピゴットのドイツワイン番組"Weinwunder Deutschland"第二回のテーマはフランケンのジルヴァーナーとミュラートゥルガウ。脚光を浴びるリースリングとは相対的に、どちらも日陰者的な扱いを受けてきた葡萄品種だ。1990年代までは確かに青臭く薄く美味しくないジルヴァーナーが多かった。それは収穫量を上げて完熟を待たずに収穫し、いい加減な醸造がなされていたことが少なからずあったからだ。そしてミュラートゥルガウは、今でも量産品種として生産されていることが多いのだが、志のある生産者の手にかかると素晴らしいワインになるという。 最初に紹介されたのはエッシェンドルフにあるホルスト・ザウアー醸造所。職人気質な主人はジルヴァーナーはフランケン気質そのものだという。引っ込み思案で本来の持ち味を示すまで、じっくりつきあう必要がある。すべて計画通りにすすめなければ気がすまず、成り行き任せに出来ないところもフランケンらしい、と。そうした葡萄に向き合って、進むべき方向に向かうのをさりげなく手助けしてやるのが造り手の仕事だ。葡萄に夜も昼もないし、土曜も日曜も関係ない。醸造家の日常は仕事に始まり、仕事に終わる。だから仕事が楽しくなければやっていけない。もしも仕事が楽しくないのなら、何か別の仕事を探すべきだ。そして品質は苦しみの中から生まれる。それは完成に至る最後の10%で、生産者によってはそこまでしなくてもいい、というかもしれないが、そこまでやり遂げるかどうかでワインは別物になる、という。今は娘のサンドラが醸造所を手伝っている。この父に仕込まれた彼女の腕も確かなのだろう。 次は同じ村の通りを挟んだ向かいにあるライナー・ザウアー醸造所。ここも親子で醸造している。父のワインはボックスボイテルに瓶詰され、息子ダニエルのワインはブルゴーニュ型のボトルに詰めている。父は破砕して果肉、果皮を果汁に漬け込む低温マセレーションを4時間前後で切り上げるが、息子は5,6時間から5日間も低温マセレーションを行い、葡萄のポテンシャルを徹底的に引き出そうとする。チャレンジ精神旺盛な息子だ。「ただ、そうやって失敗した時は精神的に痛い。一年の成果がまるごとダメになってしまうし、経営的にも痛みを伴う。家族で醸造所をやって、それを子供に引き継いでいくのがどういうことなのかを考えたり、色んな意味で落ち込む。それが心配だ」と父は言っていた。一方息子はマセレーションだけでなく、コンクリート製の卵型発酵漕でのワイン造りにも挑戦している。角が無いのでマストは発酵中理想的に循環し、より繊細で調和のとれた味わいになるんだ、と興奮気味に語る。近年2台目を購入して益々意気盛んだ。彼のフライラウムは中身の詰まったアロマティックな、印象に残る味だった。 三軒目はミュラートゥルガウで高品質なワイン造りをするヴィンツァーホフ・シュタール。タウバー渓谷にある斜度60%の急斜面の葡萄畑で、標高が高く冷涼で、土壌は水はけのよさがミュラートゥルガウとは思えないほどエレガントなワインを生むそうだ。ピゴットお気に入りの醸造家だが、私はまだ飲んだことがない。 最後に登場した三軒の醸造所の若手醸造家3人が集まり、自分たちのワインと、ドイツ国内の価格が2倍以上するフランスのシャルドネ、イタリアのピノグリと目隠し試飲。総じてフランケンのジルヴァーナー、ミュラートゥルガウは香味が澄んで生き生きとして、対抗馬は樽香が強かったり、疲れた印象を受ける、とのコメント。冷涼ワインの長所だろう。日陰者扱いされてきたジルヴァーナーとミュラートゥルガウは、丁寧に作れば豊かなフルーツのアロマの良いワインになる。という結論であった。
スチュワート・ピゴットのワイン番組『Weinwunder Deutschland』。 2010年12月からドイツの放送局バイエリッシェ・ルンドフンクで6回シリーズで放映されたのは記憶に新しい。そして先週土曜から、新シリーズが始まった。昔ならドイツに居なければ見られなかったかもしれないが、今はインターネットで視聴が出来る。しかも放映されてから7日間は、何度でも繰り返し見ることもできる。ありがたいことである。 http://www.br.de/fernsehen/bayerisches-fernsehen/sendungen/weinwunder-deutschland/index.html 1月7日の第一回目のテーマはシャトーのワインと新参者。 一般には高級なワインはラベルに「シャトー」とかかれ、高いお金を払うものと思われているかもしれないが、シャトーでは維持管理費などで経費がかさむので、ワイン代を高くせざるをえない面がある。一方、小規模な醸造所を立ち上げてワインを造りはじめたばかりの新参者には、背負っているものが少ないぶんだけワインを安くできる。それでいて、素晴らしいワインもある、という。 今回取り上げられているのは『シャトー』の代表としてシュロス・ヨハニスベルクとマキシミン・グリュンハウス。新参者の代表としてラインヘッセンのエヴァ・フォルマーとバーデンのシェルター・ワイナリー。 シュロス・ヨハニスベルクはドイツで最も有名な醸造所の一つだが、2005年に当時35歳のクリスチャン・ヴィッテを経営責任者に迎え、様々な改革を行った。木樽の並ぶロマンティックなセラーだけでなく、最新鋭の醸造設備も多額の投資を行って取り入れた。醸造所で最も安いワインが13ユーロ以上というのも、そうした事情あってのことだ。 一方、2007年にマインツ近郊に11haの葡萄畑で醸造所を立ち上げた女性醸造家、エヴァ・フォルマーのワインは、一番安いものは5.80Euro、一番高いのでも13Euro。シュロス・ヨハニスベルクの一番安いワインが一番高い彼女のワインと同じなのだ。だが、グリーンハーヴェストを行って収穫量を切り詰め、ゆっくりと丁寧に発酵したドルンフェルダーは「究極のドルンフェルダー嫌い」を自称するピゴットも手放しで賞賛する。ショイレーベも昔は甘口が多かったが、最近はソーヴィニヨン・ブランを彷彿とさせる辛口が増えている。エヴァが言うには辛口にするには発酵を止めるタイミングが重要で、それは3~4時間しかない。そのタイミングを逃さないために、タンクの横に寝袋を敷いて寝るという。パワフルな女性である。 場面は一転してルーヴァーのマキシミン・グリュンハウス。1000年を超える伝統を誇るグリュンハウスの一番安いワインは9,90Euro。シューベルト氏は醸造所経営は毎日が革新なのだと、父から教わったという。確かにシューベルト家が所有する森の樹齢180歳の樫で造った新樽でヴァイスブルグンダーを発酵したり、一本21,90Euroもするリースリングのファインヘルブ「スペリオール」をリリースしたり、そろそろリリースされるはずのシュペートブルグンダーを始めたりと、色々と取り組んでいる。酸味がこの醸造所のリースリングでは持ち味なのだが、1989年にワイン商の一団が訪れ1988年産を試飲したことがあった。6月上旬の蒸し暑い日で、酸の鋭い1988年産は受けが悪く、「あなたのワインにはがっかりさせられた」とコメントを聞いてシューベルト氏と奥さんは頭に来たという。試飲が終わりの頃に雷鳴とともに一雨降って、気温が急に下がったので、シューベルト氏はふと思いついて、セラーから酷評された1988のカビネットをもう一度持って上がり、「まだお出ししていませんでした」と言って注いで回ったところ、「なんと生き生きとしてチャーミングな酸味だ!こんな素晴らしいワインをどうして最初から出さなかったのか」と文句を言われた、と笑う。してやったりと溜飲をさげたその翌日に、娘が誕生したのだそうである。ワインの印象は飲む環境によって左右され、主観的なものでしかありえない、ということだ。 さて、最後に紹介されたのはバーデンのシェルター・ワイナリー。2003年に北ドイツ出身の夫婦が4haの葡萄畑を購入、最初は防空壕跡を利用して醸造したので「シェルター・ワイナリー」と名付けたそうだが、昨年創業8年目にして大きな醸造棟を新築。一番不安だったのはワインの販売だったそうで、二人ともワイン造りは好きだったが、人前に出てしゃべるのは苦手で、まして売って歩くなんてどうしようか、と思っていたそうだ。しかし創業して間もなく評判を聞いたワイン商が二人訪れ、その場で樽ごと買い占めたそうである。「あれは本当に幸運だった」というが、その前に良いワインを造っていたからこその成功だ。ドイツでは、こうした情報は比較的早く伝わる。 しかし概して言えるのは、伝統と格式を誇る醸造所よりも、夢と情熱をワインにかけた新参者の醸造所の方が、若干安く高品質なワインが買えるという点だ。もっとも、数年後には現在の新参者も中堅醸造所となって、価格も格相応に値上がりする可能性が高い。 といったことを、ピゴットは今回の放送で伝えていた。 彼は母語が英語なので、せめて英語の字幕をつければ世界的に伝わるのだが。番組を見ているうちに美味しいドイツワインが飲みたくなった。ドイツワインがあれば、他の国のワインは要らないかもしれないと、改めて思った。 次回は14日の土曜、日本時間の夜11時半の放送だ。テーマはフランケンのジルヴァーナーとミュラートゥルガウ。ピゴットはフランケンで1年間畑を借りて、自分でワインを醸造したことがあるので、その話も出てくるかもしれない。見逃しても、一週間はネットで見ることが出来る。ありがたい世の中になったものだ。
新年あけましておめでとうございます。 ![]() 今年が皆様にとってどうぞよい年になりますように。 ![]()
![]() 海はいいなぁ…と、ほっとした。 ボスポラス海峡、イスタンブール。トプカプ宮殿の見晴台からの眺め。 雪のちらつくグルジアから日本に帰る途中、イスタンブールに立ち寄った。朝6時ころにイスタンブールに到着してから、成田行きまで12時間近くあったからだ。幸いトルコ航空では、長時間の乗り継ぎ待ちを余儀なくされる乗客のための無料の市内観光ツアーを行ってることを、今回初めて知った。そしてこれがまた良かった。朝食、昼食、各施設への入場料など、一切お金がかからない。ブルーモスク、地下宮殿、トプカプ宮殿など一通りめぐって空港に帰ってくるころには、間もなく出発である。なんと素晴らしい。 ![]() ブルーモスク。靴を脱いで入場するのは、日本のお寺と似ている。 ![]() バザールのトルコのお菓子。客引きの賑やかなこと。見ているとハーブティーを出してくれたり、試食させてくれたりと楽しい。 ![]() 「日本人?じゃあ相撲取りがいるから」と引きあわされたのがサリーさん。大阪で鳥屋で働いていたことがあるとか。日本語は上手いが、相撲取りではない。でも相撲の技には詳しい。 ![]() サリーさんの店から10m行くか行かないかで、また日本語が。「どこから来たんですか。え、じゃああの駅の近く?」といきなりローカルな話題になって驚いた。日本語が非常に達者なサヴァスさん。店の入り口には日本人からもらった名刺がずらりと貼ってある。「どうです、トルコのからすみ。値段は安いけど品質は一級。これをパスタにこうね、けずって乗せて食べると旨いんですよぉ」と、売り口上もうまい。試食させてくれたからすみもけっこう美味しかった。買わなかったけど。 バザールというと、なんだかスリか引ったくりに会いそうで正直なところおっかなびっくりだったが、日本語の達者な彼らと出会ってすっかり和んでしまった。 それに、目に入るものみんな面白い。生活感と活気にあふれていて、売っている人もあまりがっついていない。お客さんと会話を楽しんで、気に入ったら買ってもらうという肩の力の抜けたスタンスが心地よい。 ![]() いろんなものがある。秋葉原のパーツ屋みたいな店もあれば、かっぱ橋の道具屋みたいな店もあって、物売りの声があちこちで飛び交っていて、活気がある。 ![]() シシカバブの店。ドイツでは時々お世話になりましたが、あっちとはなんだか串刺しになっているひとつひとつの肉の厚みが違う。食べておけば良かった。 ![]() 買い物一つ一つに会話が多いように見受けられる。買い物に来ているんだか、おしゃべりに来ているんだか。両方ですね、きっと。狭い空間に色鮮やかな野菜がぎっしり。 下町の風情とでもいいますか。 ![]() とにかく、好い所でした。また今度、トランジットじゃなくて何日か腰を落ち着けて遊びに行きたい町です。 ![]() |一覧| |
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