『ロシアン・ルーレット』
フランス映画『13ザメッティ』のセルフ・リメイクをハリウッドで作った、というややこしい背景のある映画です。ちなみに『13ザメッティ』は未見です。観たかったけど、瞬殺で劇場公開が終わった記憶があります。家族のためにお金に困ってる青年が、なんやかやで暗黒街のロシアンルーレットによる違法な賭けごとに参加するはめになり、命はってロシアンルーレットをやる・・・という話です。主人公が参加者なんです。だから、まあ死にはしないだろうということはわかるし、案の定生き残ってからの展開も、ジェイソン・ステイサムの顔を観てたらわかっちゃうんですが、この映画のよさってそういうところにはないんですね。びっくり、とか、驚きの展開!とかじゃあない。で、何がいいのかというと、間、とか、差、なんです。引き金を引く合図をするまでの間。緊張。打ったあとの、敗者たちが倒れていくときの、緩んだ映像との落差。観ているこっちが吐きそうになるほどの落差です。それから人間関係。命を懸ける緊張感で疲弊していく挑戦者たちと、彼らを操る暗黒街の連中の間にある、緊張感の落差。単なる強欲と、家族愛との落差。演出の緩急がえらく極端。同じような立ち位置の人間は組ませない。あらゆるシーンに、対立や緊張感が漂っているわけです。で、時にそれが爆発し、その後にはけだるいまでの緩さがただよう。この緩さ、というのは、監督がフランス人(グルジア系)だからかもしれませんね。あんまりアメリカではない感じ。あまりにそこここに、緊迫した人間関係があるせいか、映画の途中でしばらく主人公の存在感が消えるという、あとから思えばマズイ事態にもなってます(ミッキー・ロークのせいかも)。が、終盤にはまた主人公の存在感は盛り返します。ロシアン・ルーレットの最中よりも、一層、恐怖を感じている顔。得たものを奪われるのではないか・・・という、欲と恐怖の混じった顔。映画のはじめと、終盤での彼の顔つきの違いも面白かったところです。演じるサム・ライリーはなかなか目がいいです。若いころのディカプリオみたい。映画館でこれを観ていたら、もともと観ていた観客も少なかったんですが、途中で中年カップルが席を立って出て行きました。まあ、さもありなん。でもありえないほどの緊迫感を味わいたかったら、今のご時世、VFX満載の映画より、この手の小品の方が確実です。近々、ブログのお引っ越しを考えております。まだ何本かはこちらのブログに更新する予定ですので、今後ともよろしくお願いします。