カテゴリ:環境
ここ数年、私が意識してきたのは、「日本の文化とは何か」でした。
特に、ワタリウム美術館さんの企画で参加した旅行や街歩きは、 円空や西行法師、世阿弥、岡倉天心、雪舟、小野小町 等々の人物を切り口に据え、彼ら彼女ら所縁の地を訪ねることで、 「日本文化の多様性」に思いを馳せるきっかけにもなってきました。 「多様性」 この言葉こそが、私自身のアプローチのキーワードなのだと思います。 このblogでも何度か言及してきた「ゲニウス・ロキ(土地の地霊)」にせよ、 環境問題に対するアプローチにせよ、芸術へのスタンスにせよ、 その文化の「独自性」を「強み」として捉える、ということが根底にあります。 旅が面白いのは、土地ごとに「文化の違い」を肌で感じられるから。 どこに行っても画一の景色で、画一のサービスしか受けられないのなら、 少なくとも私に「旅に出る理由」はありません。 「ミニ東京」化した地方都市に足を伸ばすくらいなら、 東京にいる方が、あるいは海外を訪れた方がよっぽど良い。 それでも、私は日本の中にある「多様性」に、 その懐の深さに、面白さに、心魅かれるのです。 ===== 今井町に立ち寄ったのは、偶然でした。 レンタサイクルで、橿原の博物館まで走った後、 江戸時代の街並みが見られると聞いていたので、 冷やかしのつもりで、足を伸ばしたのですが…。 すげー。 いや、本当、来て良かった。 「ならまち」も愛してやまない私なのですが、 この今井町は、それとはまた違う魅力に溢れています。 ===== 今井町の歴史は、戦国時代に溯ります。 一向宗徒が開いた称念寺を中心に発展したこの街は、 織田信長の一向宗弾圧に対し、街に環濠を築いて抵抗を示します。 しかし、明智光秀がとりなし、この街は守られることになります。 千利休らと共に、織田信長の茶頭も務めた今井宗久は、この街の出身。 江戸時代には、「海の堺 陸の今井」というほどに栄えていたそうです。 で、今は、江戸時代の街並みの風情が残る町として、 重要伝統的建造物郡保存地区となっています。 ===== まず向かった先は「華甍」。 ここは明治時代に作られ、昭和年間は町役場として使われた建物で、 現在は、観光情報センターになっています。 あの、どこかで、美味しいお昼ごはんを食べたいのですが…。 街のなかに、お蕎麦屋さんがありますよ。 いや、だって、お昼時でしたから。 というわけで、美味しくお昼を頂いて、街散策に出発。 ----- 時代劇の通りに迷い込んだような、それでいて、どこかモダンで、 住んでいる人達の息遣いが感じられる、素敵な街並み。 この街の中は、碁盤構造になっているにもかかわらず、 まっすぐ端まで見通せる道はなく、どこかで、少しずつずらしてあります。 これは、矢や鉄砲での遠距離襲撃を防ぐための街のつくりなのだそう。 ----- 公開されるおうちは、時期によって違う(常設のものもあり)そうなのですが、 町方役人をやっていた今西家が公開中でした。 中に入って見上げる、とてつもなく立派な梁。 ほれぼれします。 今西家は町役人も兼ねていたため、ここの三和土(タタキ)が、 お白洲としても使われていたとのこと。 二階部分は、普通の商家では、使用人・丁稚の住居として使われますが このお屋敷では、牢にもなっていたそうです。 今西家には、ツバメが2組も巣を作っていました(写真で分かるかしら?) 「ツバメが巣をつくる家は、幸せになる」と小学校の国語の教科書にありましたが、 嘘か真かは知らず、しかし、ツバメのいる風景は、なんとも心が和むものです。 ----- それにしても、立派な「お屋敷」。 しかし、この家も、改修前は、瓦の重みで家自体が歪んでしまっていました。 改修前の写真があったのですが、なんとも…。 立派に改修され、こうやって目にできることに感謝、です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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