1965年18歳の時のNYでの録音です。
YuTubeにこんなコメントが載っていました。
この曲は1965年にミコちゃん(当時18歳)が日本人で最初にニューポートジャズフェスティバルに出演参加したその時、彼女が1ヶ月くらい滞在したNewYorkで録音されて1966年に発売されたLPアルバム「ミューヨークのミコ」に収録されている曲です。
私はこのLPを聴いてこの曲や「I wish I know」等を聴いて、あ!天才がここに居る! と、瞬間的にファンに成ってしまった一人です。当時高校生だった私は、主にクラシックを聴くだけでしたが、JAZZがこんなに素晴らしいことを初めて教えてくれました。
それから50年近く、ずーとミコファンです。 確か、SUNNYはミコさんが世界で初めて録音発表することになった曲ですよね。
ミコさんの述懐では新幹線で偶然米国の音楽関係の方とお会いしてそれからニューポートジャズフェスティバルに出演参加に進展されたとか、彼女の実力分かる人は分かるんですね。 更にこの時エラフィッツ・ジェラルドさんが本気でミコちゃんを養女に欲しいって云ったそうです。ミコちゃんの才能をご自分で更に磨き上げたかったのでしょうね。
この参加がきっかけで、日本の優れたJAZZ Men達が評価されて、日野皓正さんや渡辺貞夫さんが出演されるようになったのです。ミコさん、本当は国民栄誉賞その時に貰っても良いくらいですよね。
本題に戻ると、NYのパック旅行も利用しました。
私でなく愛方姉妹です。
当時NYに長期出張中でしたので、クリスマス休暇の時に来てもらいました。
安いパックツアーを探したら、国際ロータリーのパックが目にとまりました。
当時就航したばかりのANA便でワシントン経由です。
ホテルは、ヒルトンミッドタウン。
全米の駐在員などを集めたパーティーで利用していましたね。
私は、GE本社近くのホテルビバリー。
キッチン付きのジュニアスィートでした。
国際ロータリーで申し込んだのですが、ツアーはなんと全日空ハローツアーでした。
たぶん自社では売り切れなくて、他社を通じて集客したのでしょうね。
おかげさまで、ハローツアーよりは5万円ほど安かったです。
NY観光がついていて一通り観光名所を回ったそうです。
愛方によれば、不倫と思われるカップルも参加していて20人くらいの集合写真に
おさまっています。
新婚カップルよりも目立っていました。
しかも証拠写真におさまるなんて。
平日は仕事だったので、ナイトライフをセッティングして楽しみました。
オペラはやめて、メトロポリタン劇場で「くるみ割り人形」、
ミュージカルは「42th Street」。
今はない貿易センタービル最上階のレストラン「ウィンドー・オブ・ザ・ワールド」にも
行きました。
休日はメトロポリタン美術館でブランチしたり、セントラルパークを散策したりと
楽しかったですが、自由の女神へはフェリーがでなくて行けませんでした。
クリスマス明けはバーゲンセールなのでお買い物にもお付き合いです。
子どもたちへのお土産に、国連ビルの売店でスェーデン製の木工玩具を買いました。
ここの売店は穴場で、女子社員にはお土産にガラスの鳩(ペーパーウェイト?)を買いました。
1都市滞在型のパックツアーは、割安ですね。
ホテルを選べるものもありますが、航空会社は出発近くにならないと決まらないようです。
安いツアーは意外なところを経由しますね。
イスタンブールに行った時は、成田→関空→タシュケント→イスタンブールでした。
ウズベキスタン航空便で、ホカホカ弁当のような容器ひとつの機内食と
不思議な味の赤ワインが印象的でした。
イスタンブール空港で疲れた様子の老人にお会いしましたが、彼は近ツリのツアーで
ロシアのアエロフロートで帰国すると言っていました。
モスクワ経由ですね。
アエロフロートといえば、ソ連時代は搭乗すると直後に毛布の争奪戦が始まる
と言われていましたが、今はサービスが向上したのでしょうか。
あっと驚く航空会社というのも、パックツアーの醍醐味なのかもしれません。
Fさんのヨーロッパの旅はルフトハンザ航空でしたね。
パックではないですが、シドニーに行った時、関空から大韓航空を利用しました。
移転時期で、行きは金浦空港、帰りは仁川空港経由です。
機内食でキムチやコリアンバーベキューを出すので、ここはいつもにおいます。
なぜか韓国にも旅したような気分になりました。
いろいろな航空会社を利用しましたが、それはまた別の機会にブログアップしたいと思います。