テーマ:今時の若者について(27)
カテゴリ:学力について
(写真:京都・清水寺の紅葉)
今日も中学校の教科書の話。 中2の国語教科書(光村図書)には、向田邦子さんの 『死んだ父は筆まめな人であった。』で始まるエッセイ「字のないはがき」を載せている。 中学生にはこのエッセイは、とても評判が悪い。 「何を言っているのかさっぱりわからん。こんなのテストに出たら、また悪い点しか取れない。」とか「筆まめって何のこと?こんな言葉、聞いたことない。何で筆と豆が関係あるの。バァ~カみたい。」など等、さんざんなのである。 しかし、私たちの年代の者にはこのエッセイはとても共感出来、感動する文である。 家庭では、ふんどし一つで家じゅうを歩き回り、大酒飲みで、かんしゃくを起して母や子供にたちに手をあげる父が、女学校に進学し、親元を離れた作者に、一点一画もおろそかにしない大振りの筆で、「向田邦子殿」と宛名書きした手紙を3日にあげず出すのである。 文面も、折り目正しい時候の挨拶に始まり、新しい東京の社宅の間取りから、庭の植木の種類まで書いてあるという。 日常の罵声やげんこつとは、全く異質の威厳と愛情にあふれた父の姿に出会い、女学生の作者は感動し、父の像を修正するのである。そして、大人への階段を一歩登り始める。 今時の若い家族は、一見、仲良しそうである。お出かけや家族行事が好きである。 しかし、それはただそれだけのこと。 この家族の繋がりは、ディズニーランドの人工的な華やかさに似ている。 ディズニーランドの冒険は冒険でなく、すべてが初めからプラン済みのきらびやかさであり、ショーなのである。見せる為の冒険なのだ。 なんの危険も伴わない冒険だ。 現代の若い夫婦の家族関係は、予測済みの計算された範囲内では、かっこうよく夫婦や親子を演じている。泥まみれを恐れている。一度ほころびると修復が困難になる関係なのである。 子供は生きた生身のものだ。しかも今、発達しようとしてる、正にその途上にいる。 予測不可能な部分をいっぱい持っている。その子供に、予測可能な表面だけきらびやかに装ったディズニーランド的冒険を与え続けても、子供は育たない。 実際、今、子供たちは育ちそびれ、大人に成りそこなっている。 この現代の対極にある家庭像が、向田邦子さんの家族像である。 思春期の子供のこころに深く突き刺さるような衝撃や、驚きを父の手紙は与えている。 そしてそこに、父親の深い愛情を読み取っている。 父は、娘を一人の人間として、きっちり人格を認め、対等に対峙して手紙を書いている。 こんな父親は今の時代あまりいない。 このエッセイのテーマは、まだ字の書けない末の妹が学童疎開するとき、父が、おびただしいはがきに几帳面な筆で自分の宛名を書き、「元気な日は○を書いて、ポストに入れなさい」と末の妹に持たせる話である。 ここにも父の並々ならぬ愛情があふれ出ている。 今時の中学生は、この父親の愛情を理解できないらしい。 自分のために、1年分もの、あるいはそれ以上のおびただしいはがきに、丁寧に宛名を書いてもらった体験もないし、それに匹敵する親の自己犠牲的な愛情を注がれたことがないからではないだろうか。 今の親は実に子供に冷淡である。情が薄いのである。 子供が失敗や困難に陥った時、子供を冷たく突き放す。子供の「自己責任」を強要する親が多い。 子供を大人のように扱っている。 そして、一方では、成人した子供を何時までも親の従属物として子ども扱いしている。 これらの現象は、真の意味で子供の人格を認めない親の表と裏である。 子供が困難に陥っている時、地獄の果てまで付き添って子供を見守り、励まし、解決の方向を示唆する親は、とても少ない。 「字のないはがきの」の父親象は、確かに現代の中学生には理解不能な父親像かもしれない。 しかし、その時代に制約された横暴で素直でない男性像を除けば、そこには現代が見失っている父親としての深い子への情愛や人間としての尊厳を具えている。 この国語の授業を、子供たちは、分けのわからぬ面白くない授業だと言っている。 これは本当につまらぬ教材だろうか? それを教える教師の方にむしろ問題ありではないか。 親たちも子供の国語教科書を一緒に読み、子供と議論するのもいいですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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●筆まめ
中3の娘に、「筆まめ」を尋ねてみましたが、私の予想に反して、「知らない」との回答でした。今の社会では死語になってしまったのでしょうか。私自身も最近「筆まめ」という言葉を発していません。 若い頃は、将来の妻に毎日手紙を書いて、送っていました、お互いにですが。現代のメールという便利な通信手段が、感動を奪っているとも言えますね。 ●中学生の国語教科書 娘の教科書は東京書籍監修でした。中3の教科書を1時間で読み上げましたが、心を打つ文章には出会いませんでした。残念。 (2005.11.21 21:51:31)
現代ほど言葉の浮沈の多い時代はないのでは。それだけ猛スピードで生活が変化しているのと、子供たちが異年齢集団、とりわけ大人との関わりが希薄になつていて、文化の継承がなされていない証拠ではないでしょうか。これで本当にいいのかしら、と心配になります。
親子や教師がもっと言葉で深い伝達を子供にすべきでは、と思いますがどうでしょう。 (2005.11.22 07:21:08)
字のないはがきをふと思いだして検索をかけ、このブログに辿り着きました。
はじめまして、神奈川に住む22歳の女子大学生です。 私も塾でアルバイトをしているので、とても興味深く冨士子さんの記事を拝見しました。 もう五年も前に書かれた日記ですので、今更かもしれませんがコメントさせてください。 2005年当時は高校生だった私ですが、周囲にはこのお話をよく覚えている子が少なくなかったのを覚えています。 「何を言っているのかさっぱりわからん。こんなのテストに出たら、また悪い点しか取れない。」 この言葉は悲しいですね。 授業で聞いたらショックかもしれません。 でも、だからといって今の中学生や高校生に読解力がない、とか、親に突き放されているからこういう考えになった、という言葉も、ひどく寂しく感じられます。 (2010.06.12 22:53:25)
佐々木さん
>5年前に書いていたこの記事を読んで下さって有難う。もちろんひとくくりにしているわけではありませんが、現代という時代が子供たちにどのような日本語力を育てているかは、その人格形成と深く関っており、「ことば」が親子や友人のコミュニケーション力の手段として、圧倒的な力を失っているのも事実です。貧しさが言葉を豊かにしていた時代も確かにあった。モノが豊かでも、深い精神性に裏打ちされた言葉を子どもたちが獲得するというテーマはとても困難なしかし、やらねばならぬ課題ではと思っています。私は、今、稲泉連著「仕事漂流」を読んでいます。この著者は私の息子と同年1979年生まれの若者です。扱われているテーマも、それから彼の文章術も、まさに今時の若者です。これらの若者を育てた親世代としては、「ことば」の問題も含めて色々考えさせられています。親としての反省も含めて、若者たちの今を考えています。 (2010.06.13 10:35:57)
今、私は「字のないはがき」を授業で学習しています。
中学2年生です。 私も他の中学生のように、あまり何を言っているのかわかりません。筆まめ?何それ?と、なりました。 しかし、冨士子さんの記事を読んで字のないはがきへのイメージが少し変わりました。 まだ、すべて分かった訳ではないのですけどね。 私は、今の言葉も、昔の言葉も、大切にしていきたいです。 (2010.10.17 18:33:07)
ジュライさん
中学2年生のお嬢さんが読んでくれて嬉しいです。ありがとう。前途洋々としている若い方がこのような学びの姿勢を示してくれること頼もしく思います。頑張って下さいね。 最近の幼い子の虐待の報道などを見ていると、そこまで親が追い詰められているとき、踏みとどまって、子どもと対峙できない原因は何か?その根源に何があるか?考えざるを得ません。その時、この「字のないはがき」の父親像のことが思い浮かびます。この父親も、日常的にには、家族を虐待していたことに現代ならなるのでは。でも深いところに無償の愛情がある。これは、私の祖母にも感じたことです。現代の私たちは、情が薄いといえる。何としてでも子どもを守ろうという愛情が薄い。何故なのでしょう。家族の情愛が薄い。これはどこから来ているのか?考えてみる必要アリと思い居ます。 中学生の若い人々が、これから未来に向かって生きていく時、ぜひ「真の深い愛情」とは。どういう人生を歩む時生まれ出てくるものか、ぜひ意識して生きて欲しいです。 (2010.10.18 10:01:56)
私は神奈川県在住の主婦です。10年以上前になりますが
光村図書の国語の教科書で「字のないはがき」を学習しました。とても心に残ったことを覚えています。 私は国語が得意で、読書も授業も大好きでした。また、国語の先生もとても好きでした。「字のないはがき」と、ねじめ正一さんの「六月の蝿取り紙(高円寺純情商店街より)」は 今思い出しても好きな作品です。 好きな者には、それを嫌いだという人の気持ちはわからないのが常ですが 読書が嫌い・音読が嫌い・漢字が読めない書けないという級友の気持ちはやはりわかりませんでした。 私がこの作品をとりわけ気に入ったのは、当時父親が 単身赴任で遠く離れた地に住んでおり やはり筆まめであったこと・離れて初めて 一緒にいるだけではわからなかった 父の深い愛情に気付いたこと などが理由だと思います。 国語が苦手な生徒さんは、教科書の話だからあまり好きになれないのかな?だとしたらとても残念です。 私はこの作品と出会えなければ、向田邦子さんという人の事を全く知らなかったし(亡くなった時は生まれてないか、幼かったかどちらか)。 ぜひ じっくり読んで欲しいですね。 (2011.05.13 17:01:33)
くろさん
>若いお母さんがこのように「字のないはがき」を読んで、子育てしておられること知ってとてもほっとします。この昭和の半ばころまでの家族像は、今では益々理解不能ありえない世界になっており、親世代そのものが、生き物を育てる(人間)事をしていない層がかなりの量でいる。手のほどこしようないほどに「人育ちがなされていない」子どもに出会い私自身も衝撃を受けている。この子たちは切り捨てられ使い捨てにされた状態で社会は進んでいいのだろうか?と疑問に思っています。きっと後の社会にこのしっぺい返しがあるのでは。 古典ともいうべき読書からいろいろ学びとって現代の問題に生かしていくような能力を子どものときから育てることの必要が今ほど大切な時代はありませんね。 (2011.05.14 09:30:14)
初めまして。母親と向田邦子さんの話になり、調べているうちにここにたどり着いた19歳の大学生です。
私は元々国語が好きで、物語やエッセイを読むときは謎を解いていくような気分になったのですが、そんな風に思っていた人がいたとは知らず、残念で仕方ありません。 中学の時に授業で教わったこの作品は、私の中で「おとなになれなかった弟たちに……/米倉 斉加」と同等に印象深かったお話です。 どちらも、読後は読破した喜びよりもその重すぎる内容に胸が沈んだことを覚えています。 この記事を読んで、私がこの作品の意味を汲み取れるように導いてくれた教師に感謝したい気持ちになりました。ありがとうございます。 (2011.08.09 21:10:23)
初めてコメントさせていただきます、セットンと申します。
私は、今年の4月に中3に進級し、 ちょうど今、この「字のないはがき」を 勉強しているところです。 作品について調べていたところ、 このブログに辿り着きました。 この感想(?)を これからの授業に参考にさせていただきたかったので、 コメントさせていただきます。 私は自分でも恥ずかしいのですが、 随筆を滅多に読まないため、随筆の形式には あまりなじみがないのですが、 この作品には圧倒されるものがありました。 同年代でこの作品を批判している人がいるのは、 とても悲しいことだと思います。 こんなにひきこまれる文章なんてそうそう出会えないのに… 私は自分で読解力がないことを自覚していますが、 この「字のないはがき」には心打たれました。 また、このブログを読ませていただき、 自分とはまったく別の視点で 「字のないはがき」を見ることができました。 拙い文章を長々とすみません。 参考になりました。 ありがとうございました。 (2012.04.23 18:37:14)
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