カテゴリ:教育・子育て
修学旅行シーズン。
このところじめじめとした雨がちな日が多い。まさに梅雨のはしりのような日々がこの地方は続いている。 写真:私の散歩小径 アカメガシの花 新緑の緑の中で、アカメガシの生垣の燃えるような赤い若葉がまぶしい。こんな可愛らしい白い花を咲かせます。 当地方の中学校は今、中学3年生の修学旅行の季節である。市内の中学校が次々に東京方面へと修学旅行に出かける。 この東京方面というのがいつも私の引っかかっているところである。 なぜ東京なのか? しかもその観光旅行のなかに、どの中学校も必ずディズニーランドを観光スポットに入れている。 今の子供たちにとって、ディズニーランドは何か事ある毎に行く場所である。 家族や兄弟や親戚や友だちどうしで頻繁にいく娯楽施設の第一位がディズニーランドなのである。 その極めて人工的な巨大娯楽施設に修学旅行の日程として、必ず取り込まれる理由は一体何なのだろうか。 さらに子供たちが必ず行くスポットは、今時の若者たちがひしめく渋谷や横浜などのショッピング街である。 修学旅行であえて中学生をこのような場所に連れて行く理由は何か。 今の子供たちにとっては、観光旅行そのものが頻繁に行くことの出来る行為であり、娯楽的、刹那的な享楽的娯楽施設に日常的にさらされておる。その事が、現代のこどもたちの人格形成に重大な影響を与えている。 そのような現代の子どものご機嫌をとり、時間をつぶしているとしか思えない修学旅行。 それが東京ディズニーランドに象徴的に現れているのではないか。 新学期が始まったこの4月から、子供たちは、様々な行事で、現在にいたっても落ち着いてまともに勉強をほとんどしていない。 ただでさえ多い行事のなか、修学旅行が輪をかけて、子供たちの心を、消費することだけに目を向けさせ、享楽的、せつな的に楽しむことに心が浮き足立っている。 学校はまともに勉強をする場所でないというのなら、もっと今時の子供たちが、家庭や地域社会では、やれないような実体験を豊かにする場に学校を切り替えるべきだ。この点での深いところからの実践を行って欲しい。今の子供たちが成長する時、つまずいているものを補い、解決の展望を示すような体験学習を組織する場に学校を作りかえるべきでないか。 基礎的な学びを余りにも軽視?している学校の今の姿がここにはある。 塾に学力は任せているのが現状だ。 だからといってそれに変る現代的な子どもの深刻な問題に真正面から取り組んではいない。 この修学旅行で浮かれている間に、わが市のある中学校で中3生が校舎から飛び降り自殺する事件がおきた。 その学校の校長は「おとなしい生徒で、勉強には一生懸命だった。最近も特にかわった様子はなく、自殺の理由はわからない。いじめもなかったと聞いている。」 この校長の言葉は若者の痛ましい事件が起きる時、最近よく聞く言葉である。 本当に「何も問題がなかった」と学校の最高責任者が思っているとするのなら、その事、それ自体が一番問題なのではないか。(上ばかり見ている管理者) 一人の若いいのちが学校という場で、自らの命を絶っているというのに。 せめて、子供たちの心に起きている問題を深く把握できなかった自らの非力を謝罪するのが、教育者としてのあるべき姿ではないか。 ここに現代の学校の深刻な問題があると私は思っている。 わたしの塾にも、おとなしく真面目に(見えている)生徒が、時々やって来るけれど、この子供たちの持っている心の葛藤や闇はとても厄介な困難な問題をかかえている。問題を解決するのに長い時間がかかっている。 しかも、ただ単なる個人的家庭の問題としてだけでは解決できない広がりや深さがある。 修学旅行から帰ってきた子供たちの感想「ありえないくらい、めちゃ楽しかった」 それやぁそうでしょう。あなた達の最も得意とする分野、せつな的娯楽に集団で騒げたのですから。あなた達の得意分野、東京の虚飾の街で、ショピングにたむろすることが出来たのですから。 瞬間的に祭り気分で騒ぐことが今の子供たちの「楽しい」という気分なのである。気楽に過ごしたいのである。それを日々やっている。 自らの人格を作る途上にいる若者がそれだけでいいか。その土台作りは大丈夫か。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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