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2010.02.24
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カテゴリ:マカオ今昔物語
マカオ昔(1960年代)

1960年代の日本は、戦後の混乱から、朝鮮特需によって、
本格的な復興をとげ、高度経済成長を遂げようとした時代である。
戦前の価値観とは全く異なる、大量消費文化に突入。
農村の労働力が集団就職して都会へと大量に流れこみ、
農村の崩壊が急加速した時代である。
所得倍増のかけ声に、アメリカ流の豊かな消費生活に憧れ
懸命に仕事した時代である。

1960年代の中国は、
共産主義建設の路線をめぐって文化革命の嵐が吹き荒れていた。
マカオはポルトガルの統治下にあり、
政治的にはその革命の嵐の外にあったといえ、
経済的には、沈滞していたといえるのではないか。

マカオを象徴する世界文化遺産
1960年代の
サンパウロ天守堂
1960年代のマカオ(ii)
1602年~1640年にかけて建造された聖母教会。「ローマ以東で最も傑出した教会」と
言われた壮麗な教会。施工には、中国人のほかに長崎から幕府の弾圧を逃れて渡った
日本人のキリスト教徒たちも多く加わった。
東洋におけるキリスト教布教の拠点として、大きな役割を果たしてきた。
日本のキリスト教史にも重要な教会である。
現在は1835年火事で焼失して聖堂の正面ファサードのみである。
 
聖パウロ教会堂階段(ii)
 
2010年の
聖パウロ天守堂は
天守堂へと続く
階段や
その脇の道は、
植栽され、
美しい公園と
なっている。
春節の飾りも、
更に華やかさを
添えている
 

サンパウロ天守堂から見下ろした坂道
1960年代の坂
 
1960年代のマカオ(aa)

人影もまばらで寂しい坂道。 
バックの街並みも家屋は廃屋のよう、空も広く開けている
2010年の聖パウロ教会からの眺望(aa)
 
 
 
 今の
サンパウロ天主堂から
眺めた坂道
 人、人、人観光客で
混雑し
賑わっている

麓の街も高層ビルが林立



1960年代
サンパウロ天守堂に続く道

1960年代のマカオ(jj)

 観光客というよりも、マカオに住む人々の生活の日常の光景
 
 大三巴街

同じアングルからの

 
人の賑わいや
道路脇の
建物も
豊かさや活気が
溢れている
エネルギシュな街
 
 
 
1960年代のモンテの砦
(サンパウロ天守堂の右手の位置する防御施設。1617年から1626年にかけて
イエスズ会との協力で築かれた。中世のヨーロッパの城砦の文化を持ち込んだものといえる)
 
火炎樹が立ち、子どもたちが坂で遊んでいます。
 
1960年代のマカオ(ff)
 
この斜面は、現在は公園として整備され
ガジュマルの大木に覆われ
サンパウロ天守堂からモンテの砦は
今では眺望できなくなっています。
 
1960年代
 モンテの砦からのサンパウロ天守堂の眺望は
こんなに開け、対岸の朱海市も見渡せた
 
1960年代のマカオ(bb)
 
 
モンテの砦より(dd)
 
 
 同じポイントから撮影した
サンパウロ天守堂
 
高層ビルが林立し
対岸を見渡せないだけでなく
手前も公園の樹木によって
天守堂の階段や坂は
見えなくなっています
 
 
 
この写真は1960年代
ペニャ教会が立つ「西望洋山」という更に南に位置する丘から
モンテの砦を撮影したもの
1960年代のマカオ(cc)
 
 
ベニャ教会(ee)
 
2010年

 ペニャ教会の立つ
丘より
麓の高級住宅街を
撮影したもの
木陰から垣間見える
左端の茶色の建物は
現在の
ポルトガル領事公邸
 
 
 

 
同じアングルから撮影した 
1960年代の景色
 
 1960年代のマカオ(ee)
 中央の建物が現ポルトガル領事公邸
40年前は旧ベラ・ビスタ・ホテル
 
マカオは16世紀から、西洋と東洋を結ぶ貿易の中継地として
盛衰を繰り返してきた。西洋列強の外交官や商人たちの社交場
リゾート地としての特色を持ち、カジノも其れと共に発展した。

1960年代のカジノ
 
1960年代のマカオ(gg)
 
 
カジノ街
 
 
 
 2010年

不夜城のごとく
夜も休むことない街
カジノ
 
 
恋愛巷(縮)
 美しく整備修復された街並み
 
40年前のマカオの町並み
 人影もまばら
 
1960年代のマカオ(hh)
 
西洋と東洋を結ぶ、ある時は、海のシルクロードとして
またある時は、東洋へのキリスト教布教の拠点として
西洋と中国を融合し共生した400年余りの歴史を生きて来た
 マカオは今、
その歴史の文化遺産を観光資源として、
中国本土から膨大な人々を招き寄せる観光の街として、
驚くべき発展をとげ
活況を呈している

日本にもカジノをつくり、街を再生せよという政治家がいる。
猿真似の付け刃で、カジノを導入して
街や村が真に再生は出来ないのでは。

マカオの歴史はその事を物語っている。
即ち
マカオの観光、カジノの街としての繁栄は
長い歴史の継承としてあり、
突然に今出現したものでないということである。
この意味で、マカオの今の盛況は
その歴史的必然なのである。

1)マカオに咲く亜熱帯の花々 2)マカオ今昔物語(その1)(その2)に続き、
次回は マカオの世界文化遺産(1)を紹介します。





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最終更新日  2010.02.26 10:40:17
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Re:マカオ今昔物語(その2)(02/24)   K.S1229 さん
こんばんは。ネットでマカオのことをしらべていて、このブログが見つけました。
突然すみませんですが、“サンパウロ天守堂から見下ろした坂道”の写真に写っていた人物(女性2人+こども)とはお知り合いですか?もしかして、姿が家族の人に似ていますので…
(2010.05.31 23:56:17)

Re[1]:マカオ今昔物語(その2)(02/24)   冨士子婆 さん
K.S1229さん
>“サンパウロ天守堂から見下ろした坂道”の写真に写っていた人物(女性2人+こども)とはお知り合いですか?
-----
お尋ねの写真は1960年代のものですね。この3人は、写真撮影者・Danjoseの家族です。ほぼ半生紀前の家族の写真です。幼な子は現在45歳、お母さまは現在90歳、ご健在です。何という長い歳月が流れていることでしょう! (2010.06.01 17:11:09)

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