マカオ世界文化遺産(その4)
マカオで最も古い教会・聖アントニオ教会と最も古い公園・カモンエス公園の間にある広場カモンエス広場 16世紀のポルトガルの国民的詩人・ルイス・デ・カモンエスの名前を冠したこの公園には19世紀前半に据えられたカモンエスの胸像がある。 (公園内の丘にある3個の岩からできたトンネル状のほこらの中にカモンエスの胸像がある。台座には詩の一節が刻まれている。) カモンエスは16世紀初頭の数年間をマカオで過ごした。「ここに地果て、海始まる」の一節で有名な代表作「ウル・ルジアダス」を、この地で執筆した。 公園の噴水の周囲にはその「ウル・ルジアダス」をテーマにした10枚のモザイク絵がある。 これは そのモザイク絵の一部である。この公園でもモザイク絵がカルサーダスというポルトガル独特の技法による敷石となっている。 カモンエス公園は中国系の人々がよく集まる広場老人が昼寝をしたり、将棋に興じたりとマカオ市民の憩いの広場として市民の生活のなかに深く入りこんだのんびりとした雰囲気の公園である。 マカオ世界文化遺産の最も北に位置するのがカモンエス広場であるとするなら、最も南の方角ペニャの丘にあるのが、 リラウ広場 (リラウとは、ポルトガル語で「山泉」という意味。この広場にもカルサーダスの石畳) 初期にマカオを訪れたポルトガル人たちはペニャの丘から湧き出る水の豊かなこの地を定住地に選んだ。 マカオを訪れたポルトガル人にとって第二の故郷となったリラウ広場 リラウの水飲みし者 この地を離れがたし されば、この地を故郷とするや または、必ずマカオの戻らんこんな詩が残っているという。 リラウ広場界隈には 17世紀のマカオの風情が色濃く残っている。 マカオ世界文化遺産の最南端に位置するマカオ最古の中国寺院・媽閣廟(マァコッミュウ) 正門、中国式鳥居と4つのお堂から成り、1つのお寺に異なる神々を祀っている。 阿媽と道教の神、一番上の観音閣には仏教の観音が祀られている。 女神「阿媽(アマ)」とは、中国南部や台湾などで、広く信仰されている航海の女神である。 これは、観音さまを祀っている観音閣どこか日本の観音さまのお寺の雰囲気漂う懐かしさ 1つのお寺に複数の神や仏を祀るというこの共生の姿。多様性。西洋のキリスト教文化とも共存して生きるマカオこのごちゃ混ぜさこそマカオの今の繁栄のエネルギーなのだろうか。日本では信じられないあり方である。 「媽閣廟」は中国語で発音すると「マァコッミュウ」と言い、マカオの地名の起源とされていると言われている、という。 ポルトガル本国のカルサーダスカモンエス公園のモザイク絵は、このような本国の技法と同じ敷石ですね。 マカオの数々の広場には、今まで見てきたように、中国返還時敷設されたポルトガルのカルサーダスという敷石がいたるところで見られた。これらは、ポルトガル400年余りの統治を現代にとどめているだけでなく、様々な宗教が共生し生活する歴史がここには刻まれているのではないだろうか。宗教や人種の対立や争いが悲惨な暴力的な争いに発展し、その暴力を断ち切ることが出来ない現在の世界に対して、マカオの世界文化遺産の数々は共生して平和に生きてきたお手本ではないか。 文化をこのように継承してきたマカオには現代が学ぶべきもの多いと思いました。このマカオ今昔シリーズは、8回にもなってしまいましたが、私は、このシリーズを書く中で、日本とマカオの歴史的な関りにとても興味を持ちました。その中で出合った本司馬遼太郎著:「南蛮への道」この本についてもいずれ紹介したいと思っています。