葉っぱのフレディ
生と死(チサの住むマンションの隣家の古木の榎木(エノキ)。市の保存樹に指定されており、樹齢数百年。市民の暮らしを見続けてきた生き証人。今年も、若葉を茂らせて、夏には涼しい木陰を人々に与える)葉っぱのフレディ ーいのちの旅ーレオ・バスカーリア作 ; みらい なな訳葉っぱのフレディは、春に大きな木の梢に近い太い枝に生まれました。そして夏にはもう 厚みのある りっぱな体に成長しました。と始まるレオ・バスカーリアの絵本「葉っぱのフレディ」には、葉っぱが芽ばえ、成長し、葉っぱのいのちを生ききって秋には鮮やかに色づいて晩秋のある日に静かにそのいのちを終えて大地に還って行くお話である。葉っぱの誕生から死までを劇的に物語ることを通して生きるとは何か、死とは何か、人は何処から生まれ、何処にいこうとするのかを静かに深く考えさせてくれる。大自然の美しい四季の移ろいのなかで誕生し、生き、死んで行く。そして、又、めぐり来る春に蘇るいのちをそのいのちの輪廻を読む者の心に静かに悟らせてくれる。チサは若葉の瑞々しい緑が陽光に乱舞して輝き、風にざわめく初夏の山里で誕生した。そしてその同じころ96歳のいのちを静かに穏やかに終えた女がいる。チサのジイジの幼い頃の育ての親タケおばさん。大きな戦争を人生の一番花であるはずの青年期から壮年期に体験しまさに、激動する歴史に翻弄されながらもしぶとく大地に根を張ってもくもくと生きてきた女。大樹のような一生。一族の栄光と奈落をじっと見つめてある時は屈辱に耐えある時は貧しさに涙しながらもただ、ただ、黙々と家族を一族を支えつづけて生きてきた女、タケおばさん。誰からも、感謝されることもなく誰からも、褒められることもなくそして、感謝されることを期待することもなく、無心に働き続けて96歳のいのちを全うした。何という長い歳月、何といういのちの大きさ。今に生きる私たちにいのちの重さと意味を静かに語りかけている。チサのジイジはタケおばさんのこの無償の愛と根気に支えられて成長した。そして、今のジイジがある。そしてチサがいる。チサよ、あなたはまだ生まれて20日に満たないいのち。チサよ、タケおばさんの96年に及ぶ、女の苦難の道があり、その延長線上にチサのいのちがある。この事実を忘れてはいけない。タケおばさんのいのちは、チサにバトンタッチされた。(生後2週間目の小さなチサ。ぐんぐん体重を増やして2700グラムに。最近は母乳を1回50グラムも飲めるようになった。ママのお腹の中でもこうやって伸びをしていたのかな。可愛らしい赤ちゃん)(本の紹介)核家族が一般的な現代では、子供たちは、日常のなかで本物の死に中々出会っていないので、死という概念を、自分の生きることと重ねて考えることが出来ません。そんな子供たちに、この絵本は、生と死を自己の人生と結びつけて考える機会を与えてくれるでしょう。生きることの意味をはっと気付かせてくれるでしょう。大人にも生と死についての深い思索の機会を与えてくれます。葉っぱのフレディ -いのちの旅ーレオ・バスカーリア作 みらい なな 訳(童話屋)英語版The Fall of Freddie the Leaf(A Story of Life for All Ages)By Leo Buscaglia,PH.D.Published by SLACK中学3年生の英語の教科書;New Horizonには、葉っぱのフレディが要約ですが扱われています。ぜひ原文も読んでみたいですね。「フレディ」から学んだことー音楽劇と哲学思想ー日野原重明著 (童話屋)この本は、100歳近いお歳でなお現役のお医者さまでおられる日野原先生のお書きになった本です。前半は日野原先生がお書きになった音楽劇「葉っぱのフレディ」の戯曲。後半は先生の「生と死」についての哲学的思索。東洋的な仏教思想「輪廻」について。「フレディ」の作者バスカーリアがいかに影響をうけているかなどを述べておられます。哲学的思索などと難しいように見えますが、生きること、死ぬことを医師の立場から実践的に述べられており、とても明快で深いものがあります。