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寿ん一の日記 [全67件]
評価されないのは、相手に感動を与えていないから。 そう教えられた。 仕事をすることは、突き詰めればお金の為。 でも、それだけじゃ勿体無い。 どれだけ真剣に遊ぶことが出来るか。 それが幸せに働く秘訣だと知った。 感謝、感謝。
カップラーメンは体に悪いと言われている これを非常時に寄付するのはいいことなのだろうか 実際に東日本大震災の時には、たくさんの缶詰めや菓子ぱんと一緒にカップラーメンが寄付されたと聞く。 あくまでも暖かい食事が即席で作れ、なおかつ遠方から運搬しやすく日持ちがするという利点のみを見ての寄付であり、寄付した人にはこれっぽっちも悪意がない。 だが、カップ麺を送られるならばせめてラ王やスパ王クラスであって欲しい。 想像して欲しい。避難所で配給されたカップラーメン。隣りの人が赤いキツネだったとしよう。 その隣りはエースコック。その隣りはイオンの安いやつ。そして何故か自分だけラ王。 こんな格差はいらない。 元気出さなきゃいけない人達に寄付するカップラーメンはラ王クラスでなければ駄目だと思う。 昔、友人の犬にいろんなものを混ぜた不味いカップ焼きそばをあげたら、死ぬほど美味そうに食べてた。 ボロボロの野良犬を見つけて不憫に思い冷飯と生姜焼きをあげたら、生姜焼きだけ食べて冷飯は残された。 お金がなくなり節約のため、大量のカップラーメンを買い溜めした。 近ごろ貧乏が板についてきた。あのボロボロの犬になりたいものだ。
彼女は手の甲に手のひらを重ねた。触れた手のひらがジンジンと熱い。指が膨らんでいくような感覚がする。彼女はしばらくの間そうしていた。少し青白くなってはいたが、その手はいつもと変わらない。野菜を煮込んでいる鍋の蓋を開ける時、冷蔵庫から牛肉を取り出す時、視線は知らず知らず手に向いた。彼女はなるべく手のことは気にしないようにして夕ご飯の支度を続けた。外は昨日から雪が降っていて部屋は暖房がよく利いていた。彼女は綺麗好きな性格だった。部屋はモノトーンで統一され高級過ぎないそれでいてセンスの良い家具が具合よく配置され生活用品はきちんと整理されていた。雑誌や新聞がそこらに投げ出されているようなことは決してなかった。主婦である幸せに溢れ、愛する夫が帰って来るのを待つ妻。彼女の様子を見れば誰が見てもそう感じるに違いない。しかし、実際はそんなに順風満帆ではない。一流企業に勤める夫のたけしは浮気を繰り返しては彼女を暗い気持ちにさせた。彼女は鼻歌を歌っている。テーブルにサラダや箸を並べる。鍋にソーセージを入れ、一煮立ちさせる。彼女は味を確かめ、その出来に思わず微笑む。夫の帰りを待たずにスープを 並べ席に着く。そして、また手の甲に手の平を重ねる。『武さん、今日のスープ、とっても美味しく出来たわよ。』冷凍庫から取り出したばかりの手は冷たくて、触れた手の平がジンジンと熱かった。怒りはすでに消えていた。
信じることは難しい。それは何故か? 信じていることを証明出来ないからだ。 私はあなたを信じている。と言ったところで、それが嘘かもしれない可能性が残る。 または、絶対に浮気をしていない。と言ったところで、浮気相手がこの世に存在しない場合でさえ、それを証明することは出来ない。 信じることを証明することは出来ない。 そもそも、信じるという言葉は、信じていないことから始まっている たまごが先か、鶏が先か。 信じていない前提がなければ、つまり疑っていなければ信じることは出来ない。 結局のところ、それを証明することもできない。 生まれたての赤ちゃんは、母親を愛している。 愛すること=信じること。信じること=疑わないこと。 上記の公式から導き出される答えは、愛すること=疑わないこと。 しかし、この公式は、こうあって欲しいという思いこみにすぎない 赤ちゃんは疑うことを知らない。知らないということは、信じることも知らないのだ。 赤ちゃんは母親を愛しているものだという決めつけがなければ、そして愛しているとは信じることだという決めつけがなければ成り立たない。 どんな言葉も証明は出来ない。 この世に信じられるものなど存在しない。 しかし、存在しないことを証明することは出来ないのだ。 だからどうなのだと言われれば、どうもしない。 この世で自分は何者なのかと悩むことに意味はない。 また、何かを熱烈に信じることも愛することも自分を生かしてなどくれない。 愛は不確かな何かでしかない。 信じることは、疑いに目をつむるようなものだ。 愛することは、嘘を見過ごすようなものだ。 デカルトは疑っていることを真実とした。 疑っている自分だけは、確かなものだという公式である。 それは、馬鹿げている。 疑うことが確かだと証明出来ない。 それが存在することを証明出来ない。 我思う、故に我あり 信じていると思えば信じている 愛していると思えば愛している ただし、愛の証明は出来ないが。
肩に置かれた手から悲しみが溶け出していくのが分かった それは波紋になって彼女を通り過ぎて遠くへ流れて行く 彼女は自分以外の人の悲しみの質や量を推し量ろうとするような仕草を時々みせた それは私を苛立たせた 彼女は優しい表情を浮かべて痛みに耐える人がするみたいに何も言わない 悲しみは口にした瞬間に少し形を変えてくれる それでも悲しみを口にするのは勇気がいる それを察した彼女の仕草に苛立つのだろう それなのに彼女の手を必要としていると感じた 悲しみや喜びをいちいち数えていたら時間はあっという間に過ぎてしまう だから何も考えずにいられることに そんなことに気づかせてくれる彼女に ただ感謝するしかなかった 悲しみはきっとどこにも行かない だけどそれを忘れることが出来るのだと思う
事件簿はふいに更新される 人生にとって大きな事件 未来が変わるような 自分がなんで生かされているのか分からなくなる日 誰にも祝福されない誕生日みたいな日 そんな日 僕らには何も出来ない どうすることも出来ない虚しさだったり痛みだったり、あるいは悲しみだったり そんなもの達から光は生まれる 希望なんてもんは最初は何が何だか分からないような事件でしかない 事件のあとには次の未来が待っている また新しい希望が待っている |一覧|Recommend Item
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