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無茶々凡太の日記 [全382件]
川崎市市民ミュージアムの「福田繁雄大回顧展」を見に行く。 福田繁雄はグラフィックデザイナーの重鎮で、2009年に76歳で亡くなっている。 展覧会の説明書きやギャラリートークでは「急逝」と表現していた。 76歳で「急逝」とは違和感があったが、つまりはそれまで元気だったということである。 実際、死の直前まで創作活動は続けており、しかもその作品は年齢を感じさせない。 すっかり白髪頭になった作者が、インタビューを受けているビデオも流れていたが、 その受け答えや、話す内容も本当に若々しかった。 私自身も、もう若いとは決して言えない年齢になり、 今後の自分はどんな年のとり方をしていくのだろうかと思うようになっているので、 こうした人を見ると、実に参考になる。 福田繁雄の若さは、本当の若者が持つ若さではない。 成熟しつつ、それでいて、枯れることがなく、絶えず何かを追い求めている若さである。 サミュエル・ウルマンの有名な詩が描く「青春」とはまさにこの若さであろう。 自分もまたこんな風に年を取りたいと、ふと憧れを持った展覧会であった。 ![]()
9月3日の日本経済新聞の何でもランキング「職場でも使える健康グッズ」で、 (おそらく)1000ポイント中950ポイントを取り、 ぶっちぎりの1位だった、マッサージクッション。 というわけで、思わず衝動買いしてしまった。 コンパクトながら、しっかりツボを刺激してくれて、なかなかGood! 値段もアマゾンで6210円と手ごろである。 もはや我が家では手放せないものとなっている。 ![]()
鎌倉の「川古江家」で私が頼んだのは「鎌倉五山」という蕎麦。 とろろ、山菜、しらす、天ぷら、胡麻豆腐と一緒に蕎麦を食すというもの。 ある意味、いい所とりの贅沢な一品ではあるが、逆に特徴がないかなという気もする。 なので、後から思い出して、うまかったという感慨が残っているものではない。 まあ、こういうのは旅の思い出といったところであろうか。 ![]()
先週鎌倉へ行った際、駅前にある「川古江家」で連れが食べたミニしらす丼セット。 しらすというと江の島なのだが、近いということもあり、鎌倉でもよく見かける。 妻はおいしいと言って頬張っていた。
一度見たら忘れられないインパクトのある絵である。 松本峻介は、暗い彩色の風景画のイメージしかなかったので、 ここまで人物を強調した絵があることに認識を新たにした。 この男は松本峻介本人とのことである。 一見その立ち居から威風堂々としているように思えるが、案外表情は冴えない。 更によく見てみると、立っている本人から見て、右半分が弛緩しているのに、 左半分が緊張した凛とした表情を見せている。 右手の拳は開いているが、左手は握られている。 同様に、右目は腐った魚のような目をしているのに対して、 左目は強い意志を持っているように遠くを見据えている。 1942年に描かれたというから、第二次世界大戦に突入し、 これから激しさを増そうという時代である。 戦争という未来が見えない絶望と、それでも生きていかなければいけない現実と。 そうしたものがこの絵の中に凝縮されているのであろう。 松本峻介は1948年に36歳の若さでなくなっている。 この絵を見てもわかるように、まさに松本峻介は永遠の青年であった。 オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」ではないが、 松本峻介はまさに自分の若さと人生をこの絵の中に閉じ込めている。 ![]()
三連休を利用して、鎌倉に行く。 目当ては神奈川県立近代美術館。 「開館60周年 ザ・ベスト・コレクション 近代の洋画」展。 明治以降から戦後まもなくまでの67点が出品。 お気に入りは松本峻介「立てる像」と古賀春江「窓外の化粧」。 ![]()
仲のよい2人のミュージシャンが奇しくも揃ってミニアルバムを自費出版した。 しかも、2人とも売上の一部を今回の大震災の義捐金にするという。 彼らだって、決して音楽だけで生活していけているわけではないだろうに、 そのやさしい心意気には感心するばかりである。 ミュージシャンというのはやさしい気持ちの人が多いらしい。 ![]()
そういえば最近すっかり勝間和代を見聞きしなくなった気がする。 流行が去ったといえば、それだけなのかもしれないが、 今回の東日本大震災と無縁ではないと思うのは私だけであろうか。 ツールを使って効率的に効果をあげるという勝間和代式のやり方は原発にだぶるところがあるし、 復興支援のボランティア活動は勝間和代のスマートで理知的な世界とは違って、 まさに泥臭く、ヒューマニスティックである。 もっとも、だからといって、勝間和代のやり方がもう駄目だと言っているわけではない。 いい悪いの単純な二元論ではなく、大震災をきっかけに、止揚したまた新しい価値観が 生まれようとしているのではないかという気がしている。
もう四半世紀も前に、池袋のリブロで買ったトマス・ウルフの『時と河について』の原書。 デ・クーニングの表紙が何ともおどろおどろしい。 トマス・ウルフの小説は長いのだが、これも1035ページもある超大作。 残念ながら翻訳は出ていないので、自力で読むしかないのだが、 いつものごとく、最初の数行しか読んでいない。 『失われた時を求めて』同様、これもまた読むことはできないかな。 ![]() |一覧| |
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