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そういちの平庵∞ceeport∞

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とみた ふじや

「昔の日本人は、生まれ育った環境から逃げられないという“島国文化”を背負っていました。出会った者同士が向き合っていくしかない、縁というか必然性をわかっていたのです。善しあしは別にして、そういうしがらみの多い社会では、人をえり好みする余裕はありませんでした」

 かつて農村や下町の共同体に生きた人々は、そんな温かくもあれば息苦しくもあるような関係の中で、他人の心を忖度(そんたく)したり、人と折り合ったりする、今の言葉で言えば、コミュニケーションスキルのようなものをはぐくんでいたのだろう。

 「昔の人は人間関係の術(すべ)を自然に身につけていたはずなんですが、悲しいことに現代ではそれを学ばなければならない」

「『聴く』という字は、耳へんに十四の心と書きます。一つの言葉にもたくさんの思いが込められており、それに耳を傾けるのが、『聴く』ということなんです。『聞く』のではなく、『聴く』。自分の気持ちを伝えようとして、うまく言葉に表せない時のもどかしさを察してあげること。それがカウンセリングマインドの第一歩です」

 「人間はそれぞれ自分の“枠組み”の中で生きたり考えたりしているのですから、せめぎ合いが生じるのは当然です。『せめぎ合って、折り合って、お互いさま』という気持ちが大切なんです。人との関係をあきらめず、いずれ良い方向に変化していくものだと信じていれば折り合える。けんかをしても仲直りをすればいい」
 「人間関係をつくる選択権は自分だけにあると思い込んでいますよね。でも、相手から選ばれる経験、例えば嫌われる経験も必要なのです。選択権は相手にもある。それを交換しあうのが本当に人と出会うことなのです」

 人間が多面的であることを知ったうえで時間をかけて付きあおうとする姿勢がなければ、出会うべき人とも出会えなくなってしまうということだろう。

 「他者に心を預けることが出来ない人が増えている一方で、人の心を預かることのできる人も少なくなっている。かつては、相手の存在をただ肯定してあげる、受け入れるというコミュニケーションのあり方があったのです。報われない努力は努力と呼ばない時代になり、人間の感性がさび付いてしまったのでしょうか。問題を抱えている人にとっては、しった激励やアドバイスをしてくれる人よりも、まず自分を認めてくれる人がいることがうれしいのですが……」

とみた ふじや
 1954年静岡県生まれ。教育・心理カウンセラーとして、相談や講演活動を精力的に続ける。著書は『心理カウンセラーをめざす前に読む本』『言ってはいけない親のひと言』『還る家をさがす子どもたち』など。千葉県松戸市在住


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