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私は、ユダヤの大旅行者たちの動機について調査してみた。未知の国へ旅行するユダヤ人の心理についてである。…私は、その論文(大学時代に書いた論文)で、ユダヤ人たちが未知の国へ大旅行した目的は、地上の楽園を求めることにあったのだと、結論した。その地方の人たちと文化をわかち合い、平和に暮らすことができる土地を見つけることが、その大旅行の目的だったのである。
古代アッシリア帝国の圧迫のもとで、あるいは古代バビロニア帝国の圧迫のもとで、古代ユダヤ人たちはこのような大旅行を何度となく企てたのである。 その後、ローマ帝国の圧迫、キリスト教会による圧迫、回(イスラム)教徒たちによる弾圧がわれわれユダヤ民族にふりかかってきた。 そこで、われわれの先祖たちが考えたことは、強制的に改宗をせまる圧迫のない土地をもとめること、虐殺の行われない居住地を探すこと、どこに地上のシャングリラがあるのだろうか、どこに楽園が存在するのだろうか、ということであった。 そこでユダヤ人たちは、世界各地に旅行したが、どこにもそのような土地は発見できず、彼らの旅行はますます遠距離にわたるようになった。 このような幾多の経験から発見されたことは、アジアの奥地深くに行けば行くほど、そこの人たちは寛容であるということだった。より理解し合える広い心があった。 ヨーロッパのキリスト教徒たちは、クリスチャンでないものを愛することはできず、憎しみがあるだけだったが、インドに行けばヒンズー教はユダヤ人に対しては何らの迫害も加えることがないということがわかった。 この関係は、回教圏においても同様であった。回教徒は、その敵を彼らの剣で切り倒したが、ユダヤ人たちに対してはその宗教をとやかくいうことはなかった。 シルクロードを東へ行くほど、寛容度が深まり、平和な土地が出現してくるのであった。そこでは、友好的な雰囲気さえ感じられたのである。 このようにより東方へ行くほど平和があったが、しかしユダヤ民族にとってはその魂のふるさとであるイエルサレムとの連絡を欠くことはなかった。 そこで古代ユダヤ民族の行ったことは、教師やメッセンジャーをアジアの中央にあるユダヤ人居住区へ送り、ほぼ一年か二年滞在させたのち、ヨーロッパへ呼び戻すという方法であった。 「ユダヤと日本 謎の古代史」 マーヴィン・トケィヤー著 ユダヤ人に関する様々な本を今まで読んできた。 そんな本を読んでいると ユダヤ人の血が自分にも流れているんじゃ? なんて時々思うことがある。 閑話休題。 ユダヤ教のラヴィが説く説で僕が一番印象深いのが、「やまと」「大和」「倭」と言う言葉に関してでヘブル語だと「神の民」の意となるという解釈。 秦氏という古代日本に渡った渡来人と異端視され迫害を受けたキリスト教ネストリウス派=景教との関係。 今のところは、こんなトンデモ扱いですが・・・・ http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK200811130009.html 古代の日本とユダヤ人との関係を示唆する日ユ同祖論や文献は、わが国で多く書かれる。 ユダヤ陰謀論などで特に指摘される。 明治時代に多くのユダヤ人が新しい日本に入国し近代化に貢献した。 第2次大戦敗戦後に米占領軍総司令部(GHQ)にもまた多くのユダヤ人が参画している。 という2点。 ナチスドイツと手を組んだ日本が世界で唯一ユダヤ人を満州経由で数万人単位で逃がしている。 最大の功労者が東条英機である史実。 戦前の日本軍部が立案した河豚計画で満州にユダヤ人国家を作れば、歴史は、相当に変わっていただろう・・・・ また、アメリカ国内で起きていた論争・・・ユダヤ人自治州を作るのが最も賢明な選択だったと思う。 これまた情報の読み間違いで頓挫するのだが・・・ アインシュタインの米大統領宛の書簡からユダヤ人科学者オッペンハイマーが 原爆開発研究所のリーダーとなり、広島長崎への原爆投下への多くのユダヤ人の関与。 亡命ユダヤ人側からすれば日本へではなく、ドイツへという思いだったはずだが・・・ 次々と同胞が殺されていく中で戦争終結への悲願がユダヤ人には、あったと僕は読むのだが・・・ 日露戦争でのヤコブシフの日本国債購入という戦争資金提供。 これまたポグロムというロシア国内のユダヤ人差別の問題と切り離せないかと僕は読む。 こういった歴史をよく考える。 戦前の日本人は、明らかに国際感覚の欠如があり、情報戦で敗れている。 戦後はどうか? 戦前より尚酷いかと思う部分が目に付く。 この手の話を切り出すととめどなくなるので一点に絞れば・・・ 森有礼は、伊勢神宮に安置されている三種の神器の1つ、八咫鏡の裏に、エヘイェ・アシェル・エヘイェというヘブライ文字(シナイ山で神が自らの名を述べたもの)が書かれているのを見たと主張したとされているが、真偽は確認されていない。これに関し三笠宮は、昭和天皇も自分(三笠宮)も鏡を見たことがないと答えられたとされている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E3%83%A6%E5%90%8C%E7%A5%96%E8%AB%96 こういった問題がそろそろ決着がつくような予感がする。 蛇足だが・・・・ 血液型占いとユダヤ陰謀論が、「なんで日本でだけ」これだけ未だに流行るのだろうか? なんて時々思う。 日本が近代化を強行に推し進めた時代にこれらの流行は、始まった。 東京裁判で殺された東条英機が死ぬ間際にこんな言葉を残している。 「今回の法廷で人類の戦争が裁かれるとしたらアヘン戦争からはじめなければならないだろう。」 と・・・・・・・ この世界には、視点ひとつで様々に読み取れるようなことが沢山ある。 より良き未来を築くには、過去から学ぶ必要がある。 今を起点に遡り、欠点や悪い部分を認める。 そして、変えるべき事を変える。 これが、我々にとって如何に難しいことなのか? 問題の先送りや否認ばかりが目に付きすぎるのです。 じゃあ自分に何が出来るだろうか? と問いかければ。 誠実さや率直さを大切に生きたいなと思うのでありますね。 マーヴィン・トケィヤーは、親族をほぼナチスドイツに殺され奇跡的に生き残りました。 そんな経験が普遍なるもの、不変なるものへと氏を導いたのだろうと思います。 イスラエルとユダヤ人問題に関して2人の人物の言葉を紹介して終わります。 「イギリスがイギリス人に属するように、また、フランスがフランス人に属するように、パレスチナはアラブに属するのです。アラブ人にユダヤ人を押し付けることは間違いであり、非人道的行為です。今日パレスチナで起こっていることは、いかなる倫理規定によっても、正当化されることはできません。委任統治は、先の戦争での制裁以外のなにものでもないのです。誇り高いアラブの人口を減らし、そこにユダヤ人を入植させることにより、パレスチナを部分的に、あるいは完全にユダヤの国に作り変えるということはまさに、人道上の犯罪でしょう。」 『私の非暴力:パレスチナのユダヤ人』マハトマ・ガンジー著 「私の意見では、ユダヤ人国家を作るよりも、平和な共同生活についてアラブ人の同意を得る方が、道理にかなっている。……私がユダヤ教の本質的な特性として理解する良識は、控え目にみても、国境や、武器や、世俗的政権の計画を持つ国家という概念とは相容れない。私は、国家の発展の論理によって、仲間内の狭い国家主義によってユダヤ教が内的に受ける被害を恐れる。我々は、マカベア(紀元前2世紀のユダヤ教徒による王朝)時代のユダヤ教徒とは同じではない。再び政治的な概念としての国民に復帰することは、我々の預言者の創意の賜物である共同体の精神的環境から離れるのと同じことである。」『わが時代のユダヤ教の堕落』アインシュタイン著 (-∧-)合掌・・・地には平和を!! ユダヤ製国家日本
日本はとくにお祭りでは旧約聖書に近いものが沢山あるから、私自身このタイトルに関してはかなり興味深く感じました。(2010年08月07日 20時49分23秒)
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