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私は力だ。
力の結晶だ。 何ものにも打ち克つ力の結晶だ。 だから何ものにも負けないのだ。 病にも運命にも、否あらゆるすべてのものに打ち克つ力だ。 そうだ!!強い強い力の結晶だ。 四十や五十はもちろん、七十、八十になっても情熱を燃やさなきゃ。明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。 こころは感じてから思って考える。だからマイナスのことを感じても思わないこと。 即座に殺されちゃっても仕方のないところを、お前の生き方には誤りがある、と自覚を促すために病なり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵ですよ。それを考えたら、恨みどころか感謝をもって誤りを是正する方へと自分の心を振り向けることが一番必要でしょう。悔やんだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるんなら、本来の積極的な方面に心を振り向ける。人生は心の置きどころ一つ。 人間の多くが、気が散りやすいのは、自分では気づかないうちに、己の心の中に不必要な雑念や妄念や邪念がたくさんたまっているから 心は自分の生命を監督するために働かさなければならないのが、感情や感覚の奴隷になってしまう。そうなったら、人間は惨め以上の哀れなものになってしまう。 人生あまり難しく考えなさんな。 暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる. 中村天風というとんでもないおっさんがいた。 上記の言葉はそのおっさんの言葉。 以下貼り付け。 修猷館中学(現・修猷館高校)に入学。立花家伝の隋変流(流祖は立花宗茂[1])の剣術と居合も修行した。幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能になる。柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺(ただし正当防衛は認められた)、修猷館を退学になる。その頃、玄洋社の頭山満の知遇を得る。 16歳の時に頭山満の紹介で陸軍の軍事探偵(特殊工作員)となり、満州へ赴く。軍事探偵として活躍し「人斬り天風」と呼ばれたという。1904年(明治37年)3月21日コサック兵にとらわれた三郎は銃殺刑に処せられるところであったが、ギリギリの瞬間に部下に救出された。113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの1人。 日露戦争後30歳にして、奔馬性結核を発病。33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、アメリカへ密航する。途中アメリカでは自らの病の原因を尋ねてコロンビア大学で自律神経系の研究を行ったとされる。イギリスに渡った後、フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候し、各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった。1911年日本への帰国の途上、カイロにてインドのヨーガの聖人、カリアッパ師と邂逅。そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第3の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。 1913年日本へ帰国途上、中国で孫文の第2次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力。その謝礼として財産を得た。東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。 1919年突然感じるところがあり、一切の社会的身分、財産を処分し、「統一哲医学会」を創設。街頭にて教えを説き始める。政財界の実力者が数多く入会するようになり、会は発展していく。1940年「統一哲医学会」を「天風会」に改称。1962年国の認可により「財団法人天風会」となる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8 カイロにてインドのヨーガの聖人、カリアッパ師と邂逅。そのまま弟子入りし、ヒマラヤ第3の高峰、カンチェンジュンガのふもとで2年半修行を行う。 とこれだけじゃわかりずらいけど。 死を待つばかりのところでインドの山奥で修行することになるんですね。 どんな修行だったかは、↓に少し出てきます。 http://plaza.rakuten.co.jp/godislove/diary/200906160004/ 中村天風で インドの山奥でぇ♪ 修行をしてぇ♪ というレインボーマンの主題歌を思い出すのは、僕だけだろうか? (-∧-)合掌・・・ ヨーガに生きる 【送料無料】愛の戦士レインボーマン 1 【DVD】 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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