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テーマ:たわごと(26727)
カテゴリ:いろんな雑談
私は写真を撮られるのは大嫌いで、仲のいい人間にしか撮らせない。自分の容姿に自信があれば別だが、俺の顔なんか撮っても仕方ないだろうに、と思う。
特に高校時代までは、絶対に写真は嫌だった。だから中高時代の私の写真はほとんどない。 ところで、私は大学時代映画研究会に属していた。 私は大学に入ったら8mmで映画をバリバリ撮ろうと意欲に燃えていた。 ところが、映画を撮っている諸先輩方に誘われてしまい、映画を「撮る」よりも「出る」ことが活動の中心になってしまった。 映研に入った早々、新歓コンパである先輩から声をかけられた。 「君はいいキャラクターしてるね。目が狂ってるよ。オレの映画に出てよ」 目が狂っていると聞いて、この人オレに喧嘩売っとんかと思ったが、どうやらほめ言葉らしい。 私は自主映画の世界で俳優をやることになった。 そして、私は注射器を持って叫び回りながら主人公を襲い、最後は雷にうたれて感電死する狂人の役をやることになった。 写真嫌いのくせして、一気に映画で狂人役とは、どえらい変わりようである。 この狂人役は別の人がやる予定だったのだが、その人の都合が悪くて、私にお鉢が回ってきた。 その人は佐野史郎という本職の俳優で、冬彦さん役で一世を風靡した人である。まだその頃は佐野史郎氏は無名だったが、職業俳優として仕事がどんどん入ってきて映画のスケジュールが取れないということで、私が代役になったそうだ。 先輩監督は私の面相容貌に、冬彦さんと同じ狂気を見出したらしい。 その後も別の先輩からは、鉢に入った怪しげな花を売る営業マン役、そしてラブホテルの下品なオーナー役に誘われ、さまざまな役をやった。 私を誘う監督はみなホラー系・スプラッター系・ギャグ系・ナンセンス系の人たちばかりで、スタイリッシュな恋愛映画を撮る監督からは、全くお呼びがかからなかった。 映画の撮影というものは、監督とカメラマンと照明は忙しいのだが、俳優は待ち時間が多い。監督が完璧主義の人で、照明のセッティングに1時間ぐらいかかることがあった。 そんな待ち時間の間、友人や先輩と話すのは楽しかった。 また、日曜日にはよく車で遠征して撮影した。幕張の海浜公園で撮影したときは、横でテレビドラマの撮影をしていた。 女優さんの顔を見ると中山美穂だった。神々しいほど美しかった。 で、横には猿顔で目つきの悪い男優もいた。織田裕二だった。 大学時代の、いい思い出だ。今も俳優を続けていたら、私はどうなっていただろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/02/07 06:20:55 PM
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