1.なぜ公共投資?


6.なぜ公共投資?

では予告どおり、政治家にとって、なぜ公共投資が必要なのかを検証してみます。

通常公共投資というものは、例えば
1.住民の需要がある
2.地元からの強い要望がある
3.国の政策的に理に適ったものである、
などいくつかの条件がそろって初めて実現されるものであり、その結果、公園・道路が整備されたり、何かの施設・イベントが誘致されたりしていきます。
本来のモデルなら、政治家の皆さんが地元の需要・要望に応える形で、国に要望を出し、国の事業検討→認可→予算配分という過程を経て、公共事業は実行へと移されていきます。その結果雇用・投資・誘致等を勝ち取った政治家は、地元では次回の選挙で評価され再選されますが、一方で投資・誘致等を逃した政治家は落選の憂き目に遭ってしまいます。

これが表向きの、政治家が公共投資を必要とする理由です。
「政治家だって職業なんだから、公共投資獲得に努めるのは当たり前で、そこに何の問題があるの?」と思われる方が、いらっしゃると思います。
そう、通常は全く問題ありません。だって政治家だって失業しないように、業績を残そうと必死なのですから。

しかし近年よく問題視されてきたのは、いわゆる「政治家」ではなく「政治屋」と呼ばれる方々の存在です。

公共投資を行う際、必ず付きまとうのが土地の買収や業者の選定です
仮に政治家が公共事業に乗じて儲けようと企んだとします。
1-
すると政治家はまず、公共事業が公表される何年か前に、荒れ果てた土地を安い値段で買っておきます(所得した土地の名義は、極力政治家本人にはしない)。勿論何年も前から計画するのは、のちのち足がつかないようにするためで、土地の買収資金は自己資金でなくても金融機関からの借入れでもいいでしょう。
そして数年後に、その買収しておいた土地の上に高速道路を作る構想を打ち立て、政府等から予算を取ってきます。
例えそこに需要がなくても、また地元からの要望がなくても構いません。理由は政策雇用とでも何とでも付けられますし、署名なんかも人海戦術で何とかなります(費用と手間かかりますけどね)。
すると、買っておいた土地の値段は、公共団体が買収するのが目に見えてますから値上がりします。仮に値上がりしなかったとしても、地方公務員を使って買収金額を高く設定することも不可能ではないでしょう。
そうして最終的には、政治家側から公共団体に土地が売却(収用)され、政治家はここで初めて、一定の儲けを手にすることになります。
しかし、政治家にとって得する事は、この後まだまだ続きます。
次に考えられるのは税制優遇です。例えば
1.土地収用による代替資産の購入をするなら取得日を引き継ぐため、いわゆる課税繰り延べの特典が得られる。
2.収益補償金、移転補償金など種々の補償金が得られる。
3.ある一定の条件を満たせば5000万円までの税制特別控除が得られる。
など、のちのちおいしい事が続く事になります。

2-
さて最後の仕上げが業者の選定です。
政治家は土地を買うと同時に(出馬する前からでも構いませんが)、あらかじめ自らの会社を設立しておきます。当初の形態は自らの政治活動のマネージメント会社でもいいですし建設会社でも構いません。とりあえず準備だけしておきます。
もしくは露骨なことを避けたい方は、そういった会社の役員に名前を連ねておくだけでもいいでしょう。
そしていざ、その公共投資が実施される段になると政治家は、その関連会社に公共事業を受注(落札)させます。
公共投資は表向き入札制が原則にはなっていますが、それでも入札参加者の技術力・資金力などの点で、選定の基準はいくつかあり、そこには意外と政治家・官僚が恣意的判断を差し挟む余地があります。そういった理由を巧みに使い、政治家は自らの関連会社に、工事を予定価格ぎりぎりで落札させます。
(※ただ同業者間、当然談合も存在しますから、次回は別の業者に譲るとかいう配慮もこの時必要です。)
こうして公共事業のおかげで、関連会社の業績は伸び、政治家も自らの役員報酬が増える、というシステムになっているのです。
そして更に更に、その過程で金融機関・下請業者・地元住民・その他政治家の方など、寄ってくる方は一杯いますので、その皆が影で色々とお金を落として行きます。
政治家にしてみると「GIVE」するのも大変ですが、それなりの「TAKE」もそこで発生してくるわけです。

以上が一つの問題とされるモデルですが、他にも稼ぐ手段はあるでしょう。
ただ近年は足がつかないように、色々な方々に協力いただいて、金銭の流れをそれなりに複雑化するのが普通なようです。ただ、この流れがいくら表ざたになったとしても、上のモデルでは明確に犯罪性を立証するのは困難だと言わざるを得ないでしょう。明確に違法な点は何一つないのですから。

さて議論を全体へと移します。
こういったことが、全国で積み上げられていった結果、ミクロレベルの経済では、一般に競争原理が働かないという現象が生じます。すると当然、マクロレベルでも無駄が生じ最適配分ができなくなるわけですから、中央政府が景気底上げにいくら奮闘したとしても所詮は構造的に無理な話、という結論に至ってしまうのです。
これが財政政策が次第に骨抜きになっていく一つのイメージです。

さて最後に、誤解を招かないように、二点述べさせてください。
一つはこれは日本だけではなく、他の国でもこんな事は手を変え品を変え、あるであろう、という事です。西洋・東洋問いません。内容については詳細述べることも立証することもできませんが、それは皆さんそれぞれでご判断いただいた方がいいでしょう。
そして二点目は政治家みんながみんな、上で私が言ったような事を企んでいるわけではないだろう、という事です。中には青雲の志を持った方もいらっしゃるでしょう。ですから最初から政治家の人を疑いの目で見るのではなく、皆さんは厳しくも、優しい目で政治家を見ていただければ、と思います。

以上で今日のコラムを終わります。
次回テーマについては、検討中です。ご期待ください。

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This essay is updated on JUL.11,2004
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