カテゴリ:日本
成田からロンドンに経つ便を待っている間、ラウンジで読売新聞を読んでいた時に一つの記事が目に留まった。
私自身はこの人のことをまったく知らなかったが、メンズファッションコーディネーターの落合 正勝氏という人が書かれたその記事は、「クールビズ」なる今夏を代表するキャッチフレーズにちょっとした警鐘を鳴らしていたというふうに私は受け止めた。 その新聞をそのまま持って帰るわけには行かなかったし、その記事のために、読んだ新聞をもう一度買おうとは思わなかったので、ちょっとメモを取った。 なので、以下の日記の内容は落合氏の記事の部分的借用と自分の感想を一緒くたにしているので、あらかじめお断りしておく。 日本に帰るやいなや、私たちの目にも飛び込んで来た「クールビズ」という言葉。 この間から多少はその言葉を見聞きしていたが、結局これはなんなんだと思っていると、その言葉はあっちでもこっちでも目にする。 職場での冷房の基準温度を少し上げて燃料消費を節約したり(このことで、薄着をしている女性の内勤社員が膝掛けや重ね着でわざわざ冷房対策に臨むことを防げる)、ネクタイが襟元で放出を阻む体温をできるだけ放出しやすくしたりするために、スーツの上着ないしジャケットとネクタイをはずしたスタイルを国民的レベルで励行することを、一つのキャッチフレーズとして「クールビズ」という言葉に置き換えて周知を図ろうというキャンペーンのようなものらしいと知った。 この言葉、わざわざ公募した結果で選ばれてこのポジションに収まったらしいのだが、個人的には「なんだかとってひっつけたような言葉だなぁ」と思っていた。 デパートに行っても、東京の地下鉄の構内でもクールビズのポスター。 国会中継を見てても議員たちのパッとしない(垢抜けず、間だけが抜けた)格好が映っている。 趣旨はわかる。 だが、カッコ悪い。 似合っていない人が多過ぎ。 無理やりカジュアルを目指そうとするあまり、かえってめちゃくちゃ無理してるなという感じ。 「クールビズ」なんて、言葉だけはなんだか中途半端に洒脱さを狙おうとしているだけで、中身はと言えばオイルショック時代に呼びかけられた「省エネルック」と同じじゃないか。 ダサさ加減から言うと、明らかに「省エネルック」という言葉のほうがぴったり来る感じだというのが正直な感想で、私としては「クールビズ」なんていう言葉、頭にはいくら叩き込まれても、自分の口からその言葉が出てくることは絶対にないと思った。 さて、その読売新聞の記事。 落合氏は「クールビズ」と誰も彼もが免罪符のように口にはしているが、それはとりもなおさず「ドレスコード」の破壊につながると指摘している。 「ドレスコード」というのは本来、どこで・いつ・どんな服を着るのがふさわしいか、を表した一つの基準であり、「クールビズ」などという付け焼刃的な発想が突然持ち込まれることで、日本だけでなく、国際社会で過去から継承されてきたTPOの尊重がヤバくなるんじゃないかということだ。 落合氏は指摘する。 「『クールビズ』が国政でOKなら、それでは冠婚葬祭にそれを持ち込んでもいいのか」と。 そりゃそうだなと思った。 いや、冠婚葬祭はそういうわけにはいかない、真夏にお葬式があれば、やっぱり喪服が常識であり、黒いスーツに黒いネクタイが必要に決まっているというなら、その線はどこで引くのかということだ。 これがお葬式でなくて結婚式であっても、クールビズだからと言ってあまりにくだけた格好をしていれば、招待したカップルにもその他の招待客にも失礼ということになる。 まあ、もともとの言葉の成り立ちが「クール」な「ビジネス」ということで、仕事場に限られた発想なのかも知れないが、ここまで「クールビズ」という言葉が先行してしまって、そこに追いつこうとする無理だけが残ってしまう印象があると、元も子もないのではないか。 落合氏は服装が持つ意味を「身体の保護」「礼節」「装飾」と3つあげており、今般の「クールビズ」という唐突な発想が「礼節」という古来からの発想に対して与える混乱と影響を暗示しているように感じられ、なかなかおもしろい記事だと思った。 かつて水前寺清子が「♪ボロ~は~き~てても~、こころ~はぁ~にしき~」と歌っていたが、これは考えてみれば、ピカピカの心を持つ人でもお金はないからいいモノを着て身を飾りたくても飾れないという話なのだと思う。 今の「クールビズ」はそういう話でもなくて、とりあえず男性ならシャツとネクタイとスーツがあれば、そこそこの体面は保てる(欠点もカバーできる・・・私服はかえってカバーが難しい)ところ、いきなりカジュアルにコードダウンしましょうと国民的レベルで奨励するから、中にちぐはぐな人が出てくるのではないかと思う。 もちろん、カジュアルでイケてます、という人はそれはそれで結構だが、中には自分で今一つ自信がなくて、そんな格好するために毎朝悩んだり、週末になると余分な服探しに行って逡巡したりするくらいなら、スーツのほうがマシと思っている人もいるはずだ。 落合氏が記事の最後に引用していた一首、これは私自身もかなり気に入ったので再引用。 「ネクタイを固く結びて締め上げる 鏡に一人の男生まれゆく(光栄 尭夫)」 まったくの個人的な主観だが、私はスーツが好き。 ネクタイも好き。 ともすると画一的な印象になってしまう姿ではあるが、無数のサラリーマンの中で、さりげなさ過ぎて目立たなくなってしまうほどにスーツとネクタイがイタについている人を見るのが大好きだ。 暑苦しい中でガマンしているという姿が涙ぐましくて、そこに男性の魅力を感じてしまうということもある、ということで。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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