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散文小径 [全142件]
ここで、おしらせです。 ちょっと、blogが使いにくい。 前々から思っていました。 なので、引っ越しを考えた次第です。 こちらに引っ越し。 「散文小径」 http://musuitouzan.blog.fc2.com/ 記事の転記が困難だから、とりあえず、こで1年間続けてきた里見の記載は置いていきます。 そのうち、里見というテーマが夢酔から離れたときに、削除されると思います。 それまでは、大事なデータベースとして、これまで同様ご愛顧くださいませ。 最後に、「聖女の道標」の頃からお世話になっていた楽天blogに、御礼申し上げます。 じゃあ、FC2blogで、待っているぞ!
閑話休題 追記 いつも筆が遅くて、すみません。 現在取り組んでいる里見関連の構想に時間をとられて、なかなかblogに手が出ていません。申し訳ない! いまは罵声に堪えながら、書くわ、ワシ…… ここでお知らせ。 稲村城・岡本城の国史跡指定を記念したシンポジウムが4月に開催されます。 夢酔、時間をつくって、行くつもりです! もし会場で見かけたら、気軽に声をかけてね~ 1.日 時 平成24年4月14日(土) シンポジウム 13:00~(12:30受付) 祝賀のつどい 18:00~(17:30受付) 2.場 所 たてやま夕日海岸ホテル TEL 0470-23-8111 3.参加費 シンポジウムと催し 無料(ただし「記念誌」は別途購入1,500円) 祝賀のつどい 7,000円(「記念誌」代含む) 4.国史跡巡り 遠方から来られた宿泊者対象で15日に無料バス見学会予定 稲村城・岡本城 5.申し込み 3月20日(火)まで 6.お問い合せ 小高記念館内 NPO法人安房文化遺産フォーラム TEL/FAX 0470-22-8271 今日はもう一個、お知らせだ! 南房総市「第22回 南房総フラワーマーチ」で署名活動の予定です。 参加者はもちろん、応援されるご家族友人も、署名コーナーをみかけたら 詳しくは、南房総市HPまで。 http://www.city.minamiboso.chiba.jp/0000002731.html 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 1月29日の若潮マラソン会場。皆さまからたくさんの署名を頂きました。実行委員会に代わり、心よりお礼申し上げます。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html 里見氏研究で著名な滝川恒昭先生から貴重な資料を進呈いただきました。 この場をお借りして、御礼申し上げます。 ![]() にほんブログ村
閑話休題 いつも筆が遅くて、すみません。 現在取り組んでいる里見関連の構想に時間をとられて、なかなかblogに手が出ていません。申し訳ない! 考えれば考えるほどに、泥沼に落ちていく感覚ですが、きっと、解決できると、ベリーポジティブに割り切っています。みんな、おらに力を分けてくれ~! ここでお知らせ。 稲村城・岡本城の国史跡指定を記念したシンポジウムが4月に開催されます。 夢酔、時間をつくって、行くつもりです! 1.日 時 平成24年4月14日(土) シンポジウム 13:00~(12:30受付) 祝賀のつどい 18:00~(17:30受付) 2.場 所 たてやま夕日海岸ホテル TEL 0470-23-8111 3.参加費 シンポジウムと催し 無料(ただし「記念誌」は別途購入1,500円) 祝賀のつどい 7,000円(「記念誌」代含む) 4.国史跡巡り 遠方から来られた宿泊者対象で15日に無料バス見学会予定 稲村城・岡本城 5.申し込み 3月20日(火)まで 6.お問い合せ 小高記念館内 NPO法人安房文化遺産フォーラム TEL/FAX 0470-22-8271 ![]() どーせ安房入りするからには、少しでも色々と巡る機を考えたいです。いい情報がございましたら、お招きください。時間が許す限り、1分1秒惜しまず検討する所存。 どーぞ、よろしくね。 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 ![]() 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 1月29日の若潮マラソン会場。皆さまからたくさんの署名を頂きました。実行委員会に代わり、心よりお礼申し上げます。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html 里見氏研究で著名な滝川恒昭先生から貴重な資料を進呈いただきました。 この場をお借りして、御礼申し上げます。 ![]() にほんブログ村
八犬伝じゃない里見の歴史、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 シリーズ・里見家のおんなたち 8 里見家に生を受けた女。 里見家に嫁いだ女。 円満な者も、不遇な者も、女たちの数だけ笑いもあれば涙もあったことでしょう。そんな里見家のおんなたちは、おおよそ、実名の残されていない者が多かったのです。院号または通り名で後世に伝えられる女性の逸話を、ひととき一緒に語りましょう。 里見家の女傑。 少しでも知識がある人は、すぐに 「龍雲院」 と答えるでしょうか。 龍雲院。 小田喜正木氏の盟主・正木大膳亮時茂の娘で、里見義頼の妻になった女性です。 しかし、初っぱなから彼女が女傑街道をひた走っていた訳じゃありません。 彼女は堪え忍ぶことも多かったのです。 まず、正木大膳亮時茂のもとから里見家に嫁いだ時期。年齢的にみて、恐らく時茂の死後のことと思われます。彼女が里見義康を生んだ頃、正木大膳家は第二次国府台合戦敗退後の離反状態にあり、家中にいることは針の筵でした。それは夫である里見義頼にとっても同様で、上総派・安房派と、里見家分裂の危機感さえ孕んでいました。これを頭から抑え込んでいたのは、里見義堯の存在ありきだったことでしょう。 義堯が没し、義弘が事実上の長老当主になったとき、龍雲院に新しい試練が訪れました。なんと、突如同盟関係になった小田原北条家から、義頼の正室を迎えるというのです。 彼女の心中は如何だったでしょう。 既に義頼のみを頼りに里見家で生きてきた彼女。嫡男である義康を生み、恐らくこの頃に次男の時茂を生んだばかりです。事実上の正室でありながら、その座を引かされる屈辱。 「案ずるな」 きっと言葉少なめに、力強く夫が励ましたことは、想像に易いことです。そうでなければ、堪え難いことです。 北条家の女性との縁が薄かったことは、既に触れたとおりです。 確証はありませんが、北条家との間に産まれた男子とされる義高の養育も、ひょっとしたら彼女が進んで引き受けたかも知れません。すべては、夫である義頼への信頼だけが、支えといってよいでしょう。 龍雲院が女傑への路を歩み出したのは、最愛の夫・里見義頼が急逝したときからと考えられます。 新当主・里見義康の生母。 実家である正木家を相続した次男・時茂の生母。 その立場が、里見家の裏方を総帥する絶大な権力保持者へと、彼女を変えていくことになります。 龍雲院のことは、夢酔、まだまだ知りたいことが沢山ございます。 現在進めている新作の後半部、どうしても龍雲院のウェイトが大きくなるのですが、本編のサイドラインに彼女が位置するため、一応省略できる部分ではあります。しかし、女性の生き生きと活躍する場面が薄いと、こういう作品は暑苦しくなりますからね……(笑)。 彼女のことは、やや間を置き、この場で語りたいと思います。 他の女性を語ることで、龍雲院の後半の人生を描きやすくなるからです。 ご勘弁。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 1月29日の若潮マラソン会場。皆さまからたくさんの署名を頂きました。実行委員会に代わり、心よりお礼申し上げます。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html 里見氏研究で著名な滝川恒昭先生から貴重な資料を進呈いただきました。 この場をお借りして、御礼申し上げます。 ![]() にほんブログ村
八犬伝じゃない里見の歴史、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 シリーズ・里見家のおんなたち 7 里見家に生を受けた女。 里見家に嫁いだ女。 円満な者も、不遇な者も、女たちの数だけ笑いもあれば涙もあったことでしょう。そんな里見家のおんなたちは、おおよそ、実名の残されていない者が多かったのです。院号または通り名で後世に伝えられる女性の逸話を、ひととき一緒に語りましょう。 奥平忠政。 この武将は徳川家康に深くつながる人物です。生母にあたる人物は、徳川家康の長女・亀姫。亀姫の母は家康の正室・築山御前で、嫡男にあたる松平信康は同母兄という綺羅星のもとに誕生した姫です。だから、家康にとって奥平忠政は可愛い外孫のひとりという訳です。 この奥平忠政の正室が、里見義頼の娘。 いかに徳川家康が一時期の里見家を意識していたか、窺い知ることが出来ます。 義頼の娘は名前が伝わっておりません。また、いつ結婚したものか、いつ亡くなったのか、徳川家に詳しい方なら資料を探せるのかなと思うのですが、あいにく夢酔、徳川のことは委細承知しておりません。誰か知っていたら、情報提供プリーズ。 奥平忠政の嫡男は忠隆といい、慶長13年に誕生しています。正室腹としたら、それ以前の婚姻ということになりますね。ただ、徳川家と里見家の蜜月関係は、里見義康の死により緩やかに冷えてきますが、まさしく慶長13年はその頃です。とすれば、里見家にとって破格の黄金期である関ヶ原以後の婚姻と推察できますね。 その頃、里見本国は鹿島三万石の加増、里見忠重が板鼻一万石の独立と、いいこと尽くしでした。吉事の延長線に慶事があっても、むしろ自然ではないかなぁ。ただし、関ヶ原は慶長5年、嫡男誕生は8年後。時期次第ではやけに生まれるまでが長すぎるんですよね……。 奥平忠政が家を継ぎ大名となったのは、慶長7年(1602)10月22日に養嗣父・菅沼定利の死去による相続。上州吉井二万石です。そして、慶長15年(1610)7月26日、実父の奥平信昌から家督を譲られて、美濃国加納藩十万石に移封したのです。 ただ、彼、若年です。 慶長19年(1614)7月2日に死去したのですが、享年なんと35歳。病弱だったのでしょうかね。とすれば、なかなか子宝に恵まれないのも、仕方ないのかなぁ。 さて、里見義頼の娘のその後について、残されているエピソードはございません。夢酔が知らないだけだったら、お笑い草です。はい。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 告知 1月29日の若潮マラソン会場。皆さまからたくさんの署名を頂きました。実行委員会に代わり、心よりお礼申し上げます。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html ![]() にほんブログ村
八犬伝じゃない里見の歴史、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 シリーズ・里見家のおんなたち 6 里見家に生を受けた女。 里見家に嫁いだ女。 円満な者も、不遇な者も、女たちの数だけ笑いもあれば涙もあったことでしょう。そんな里見家のおんなたちは、おおよそ、実名の残されていない者が多かったのです。院号または通り名で後世に伝えられる女性の逸話を、ひととき一緒に語りましょう。 天正7年、里見義頼が正室として迎えた鶴姫が早世しました。法名、龍寿院殿秀山芳林大姉。 その早すぎる死に、当惑したのは北条氏政でした。 この時期、北条氏はあらゆる局面に対処するため、江戸湾を対峙して接する里見氏とは講和関係を維持したいと考えていました。海を隔てて里見から直接攻撃をされたくないという本音が透けています。事実、長駆海路からの攻撃実績も里見氏にはありました。 北条氏政を悩ます情勢は次のようなものでした。 御館の乱(上杉氏家督争い)。 由良国繁背信の危機(佐竹義重からの調略) 甲佐同盟の活性化(武田・佐竹・蘆名の連携) 上杉謙信に送った養子(氏政弟)が家督を盗れば、北条氏は上杉を包括した大勢力になった筈でした。しかし、この家督争いは失敗したのです。養子同士の内乱に発展したとき、氏政は手を汚すことなく漁夫の利に奔ったことが原因とされます。結果、同盟関係にあった武田勝頼との関係も切れ、佐竹を中心にした北関東の大きな壁が立ちはだかってきたのです。そして、太田三楽斎を介して、佐竹と里見は親交を築いていました。 里見だけは中立に誘導しなければ……という、氏政の焦りは想像に易いでしょう。 鶴姫に代わり、急いで北条氏から継室が送り込まれたのは、そういう背景からでした。俗書によれば、この女性の名は菊姫。氏政の妹にあたります。この女性についても、詳細が残されていないようです。一説では義頼との間に男子を設け、それがのちの里見忠重になったとされますが、信憑性は???です。 彼女がいつ没したのか、何を残したのか、定かではありません。こういう書き方をすると、いつの時代も女性は被害者的に受け取られがちです。しかし、いつの時代も、女々しきは男性にて、女性こそ戦国を逞しく生き抜いたものと夢酔は思っておるのです。 それにしても、北条氏政がどれほど里見氏に気を配ったものか、この時期の婚姻ひとつを取っても、ありありと見えて参りますね。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 告知 署名活動のお知らせを頂きましたので、この場をお借りして周知させて頂きます。 1月29日の若潮マラソン会場で署名活動を行うそうです。 ちなみに、今回、夢酔は所用により参陣できません残念。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html ![]() にほんブログ村
八犬伝じゃない里見の歴史、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 シリーズ・里見家のおんなたち 5 今日は御機嫌よく、2本同時UPですぜ! 里見家に生を受けた女。 里見家に嫁いだ女。 円満な者も、不遇な者も、女たちの数だけ笑いもあれば涙もあったことでしょう。そんな里見家のおんなたちは、おおよそ、実名の残されていない者が多かったのです。院号または通り名で後世に伝えられる女性の逸話を、ひととき一緒に語りましょう。 天正5年、里見義堯の死後、里見義弘は北条氏政と和睦を果たしました。江戸湾を巡る攻防は、表面上、静謐を迎えることとなったのです。その和睦の条件として、義弘は男子を人質として小田原へ送り、北条家から女子が来たのです。その女子は和睦の証として、輿入れしてきたことになるのです。 嫁いだ先は義弘の養子・義頼のもとでした。この女性の名を、鶴姫と申しますが、信憑性は定かではありません。 このとき義頼は正木時茂の娘と婚姻関係にあり、男子もいました。のちの里見義康です。だから今更の婚姻です。このとき北条に気を遣った義弘は、正木時茂の娘を側室に下げて、正室として鶴姫を迎えたのだと云われています。 俗書によれば鶴姫は〈相模の方〉と呼ばれたそうです。 ところが義頼は彼女のもとに足を運ばなかったと伝えられます。 岡本城から江戸湾を望むと、三浦半島の端影の彼方が小田原方面。富士のシルエットを眺めながら、気分はすっかりホームシック。そのせいか判りませんが、鶴姫は安房にきて2年も経たずに急逝してしまいます。 死因は確証されておりません。 心因性な衰弱か、参詣途中の不慮の事故か。 海禅寺にある一体の十一面観音は、鶴姫を模したものという伝承があります。なんでもこの観音様、沖を行く船を止める威力があるのだそうで、それを防止するため、寺とは別にお堂を建てて海とは反対の方向に祀っているのだそうです。非業の最期を遂げた人間特有の伝説でしょうか。 法名、龍寿院殿秀山芳林大姉。 その墓所がどこにあるのか、よくわかりません。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 大河の署名用紙「Yahoo! ボックス」にUP! ぜひダウンロードしてください。 https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-3cwv2wfiuh32cvdru3iad3wwoe-1001&uniqid=a82d0f16-38fb-4e71-a93a-d67a27a62932&viewtype=detail 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 署名用紙の欄外に 「夢酔に頼まれた!」 と添え書きくだされば幸いです。 告知 署名活動のお知らせを頂きましたので、この場をお借りして周知させて頂きます。 1月29日の若潮マラソン会場で署名活動を行うそうです。 ちなみに、今回、夢酔は所用により参陣できません残念。 それから、11月27日署名活動の写真がUPされていました。恥ずかしい…… http://www.awa.or.jp/home/kabuto/osirase.html ![]() にほんブログ村 |一覧| |
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